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作家殺し【短編小説】#5

玉石混交
 


 街灯のすぐ下に、異様な光景を目の当たりにした。

 大和誠治はしゃがみ込み、うねうねと動く集合体をまじまじと見つめる。数十匹のミミズが互いの身体を弾き、光を苦しむように激しく波打っていた。

 ライターを点火し、その火に制汗スプレーを吹くと簡易的な火炎放射になるが、ミミズのまとまりを容赦なく燃やしていく友人を、大和はイカれてると思った。

 時刻は夜中の二時になろうとしている。

 この日は中学校の友達と花火をしに井草森公園に来ていた。大きな原っぱを囲うように、舗装された散歩コースの途中で、ゲラゲラと楽しんだ。

 花火を一通り楽しんだ大和たちは、何でもいいから燃やせるものを探していた。バチバチと音を立てて黒く焦げていくミミズは眩しく、少しだけ綺麗だと思う。

 光に寄ってくる蛾や蝿などと違って、負の走光性のミミズが街灯の下に集まっているのは、どこか人為的な背景が窺える。誰かがミミズをこの場所に掻き集めて、それがたまたま友人の目についてしまい、燃やされた。

 無数のミミズの命が、人間の命と同じ様に尊いものだという認識は誰も持っていない。

 池の近くに行くと、拳よりもやや大きめなイボガエルが一匹、舗装された道の真ん中で見つけてくれと言っているかのように堂々と佇んでいたが、そのイボガエルもまた、友人に火炎放射をあてられた。足を苦しそうに何度も伸ばし、やがて腹を天に向けるようにひっくり返る。ボー、と火炎放射が容赦なく続き、体の表面には水滴が目立ち始め、両の足を痙攣させると、イボガエルは失禁した。児童向けの水鉄砲のようにぴゅー、ぴゅーと出てくるそれを、友人達とゲラゲラと面白がった記憶がある。

 数年ぶりに訪れた地元の公園で横になっていると、大和はこの公園での思い出を嗜んだ。

 あんなこともあったなと、芝生の上に横になってぼんやりと、雲が流れていくのを目で追い、あれから随分時間が流れたんだなと時の流れをしみじみと感じている。

「大和?」 

 声のする方を向くと、かつての友人がこちらに向かって歩いてくるところだった。

「やっぱり大和か。なんだかあんまり変わってないね」

 大和は腰を起こした。

「鳥羽はすっかり変わったようだな。額が広くなったのは気のせいか? それにお腹も」

「ちょっとね」と鳥羽は照れくさそうにして自分の額とお腹に手をあてると、つられて大和は微笑んだ。

「急に呼び出して悪かったな。仕事も忙しいんだろ?」

「いいって。仕事はまあ、ぼちぼちだよ。昔みたいにあちこち動き回っているわけでもないし」

「出世ってやつか?」

「まあね」鳥羽はそう答えて大和の隣で胡坐をかく。

「結婚は?」と訊き、鳥羽の左手を確認して直ぐに「してないか」と鳥羽が答える前に答えを見つけると、大和は僅かに安堵した。第一段階で躓いてしまってはこの先色々と考え直さないといけない。

「大和は?」

「俺がしてるように見えるか?」

「い、いや」

「この野郎」と大和は鳥羽の肩を軽く小突く。

「ごめん、ごめん」

「まあいいさ。三十になっても定職についていなけりゃ、そりゃ結婚なんてしてるわけないよな」

 うーん。と唸るだけで、鳥羽は明言することを控えた。定職についていても、結婚していない鳥羽には何とも言えないのかもしれない。

「それより、連絡くれた時に言ってたお願いっていうのは」

「そうだ、それなんだけど、お前まだ一人暮らしか?」

「そうだけど」

 鳥羽が答えるとすかさず、大和は自分と、もう一人知り合いを一緒に泊めてくれないか、と訊いてみた。

「もう一人って、もしかしてあの子じゃないよね?」

 鳥羽がいうあの子、と言うのが、かつて一緒にお笑いのコンビを組んでいて、一緒に鳥羽の家に入り浸っていた西上だということは直ぐに分かった。

「死神ちゃんではないよ。今回は男だ。安心してくれ」

 鳥羽は昔、大和が西上と一緒に家に来ていたことをあまりよく思っていなかった。自分の家に、たいして仲もよくない人間が来るというのは、一人暮らしの家と言えど、あまりいい気はしない。

 大和がいる時ならまだしも、西上という女は大和が鳥羽の家を出て行ってからも度々出入りすることがあった。

「男だからって言っても、僕の知らない人はもう勘弁して欲しいな。自分の家が自分の家じゃないみたいで落ち着かないよ」

「大丈夫だ。今回は俺もあまり知らない」

 そう伝えると、鳥羽は困り果てた顔になった。一体、知らないとはどういったことなのだろうか。そして、大和は更に自分の伝記を書いてほしい。と鳥羽にお願いをした。

「伝記って言われても、一体何を書けばいいの?」

「なんだっていいさ。俺に関することならね。生い立ちや出生、俺に関して鳥羽の知ってることを書いてくれて構わない。何か聞きたいことがあれば質問に答えるし、何かリクエストがあれば言ってくれ」

「そんな、急に言われても伝記なんか書いたことないよ?」

「でも、俺の事を面白いと思ってくれてるのは、多分鳥羽、お前だけだと思うんだ。お前が面白いと思ってることを書いて欲しい。勿論面白いことだけじゃなくても構わない。悪口が入ったっていいし、なにか感動するようなものでもいい。もっとも、そんな話が記憶にあるならの話だけどな」

 鳥羽は渋る顔のまま唸るだけで、濁したままこの日は別れた。
 
 大和はこの日、実家に立ち寄った後に井荻駅に向かった。

 一見小さな商店街にも、一際活気に満ちた場所があった。昼間は八百屋の客を呼び込む声が、狭い道を行き交う人々に行き届き、夜になるとバトンを受け取るようにその隣で赤提灯が灯る。店頭販売を行っている焼き鳥屋が大きな声で商店街を歩く人々を掻っ攫い、その声のする店内へと大和は入っていく。

 若いお兄ちゃんが、元気よく出迎えてくれた。大和は予約している事を伝えると、用意された二人掛けのテーブル席に着く。

 店内は満席で、狭い通路をスタッフが機敏に行き交っている。大和は先にビールを頼み、直ぐに運ばれてきたジョッキを傾け、半分程を一気に流し込んだ。

 煮込みと串の盛り合わせを頼んで間もなく、ガラガラ、と引き戸が開き、大衆酒場には似つかわしくない西上が入ってきた。

 西上は店員に小さく会釈をすると、人差し指を店内奥へと向ける。それを見た若いお兄ちゃんが「お待ち合わせのお客様ご来店です、いらっしゃいませっ」
と店内に声を響かせ、後に続くように他のスタッフも「いらっしゃいませ、こんばんは」と声を出した。

「お久しぶりですね、誠治さん」

「だなっ。とりあえずなんか頼みなよ」

 そう言われて西上は烏龍茶を頼み、運ばれてきたグラスをこつんと軽く合わせる。

「ごめんね、遠いのに来てもらっちゃって」

「いえいえ、とんでもないです」

 顔の前で手を振る西上の左手に、シルバーの指輪がついているのが目に入る。

「あれ、死神ちゃん結婚したの?」

 大和が訊ねると、西上は「ええ、岸上になりました。へへ」と片方の口角を糸で無理やり引っ張られたようにぎこちなく笑って見せた。

「岸上? なんかややこしいから死神ちゃんのままでいいよね。そうかー、結婚したのか。おめでとう」

「ありがとうございます」

 間もなくして頼んだ煮込みと、串の盛り合わせが運ばれてくる。

 二人は芸人を辞めて間もなく、大和は東京を離れてアルバイトをしながら小説を書き、西上はメイド喫茶で働きながらコスプレのイベントなんかに参加していた。二十代後半になり、そろそろメイド喫茶を辞めようかというタイミングで、ずっとファンでいてくれた男性とお付き合いをした後、結婚したことを大和は教えてもらった。

「誠治さんはまだ小説書き続けてるんですか?」

「いや、もう見切りをつけたよ。今はやるべきことが見つかったんだ」

 大和は盛り合わせの串にかぶりついた。

「やるべきことってなんですか?」西上は小さな口を僅かに動かして訊ねる。

「死神ちゃんにはとても言えやしないよ。それより、今日数年ぶりに鳥羽に会ってきたんだ」

 そう言うと、西上は「ああ、あの」と鳥羽の顔を思い浮かべた。

「俺は死神ちゃんが鳥羽と付き合ってるものだと思ってたけどね」

「まさか」と嘲笑う死神ちゃんに、大和は続ける。

「でも、惹かれてたんだろ?」

「ええ。同じ臭いがしてたものだから、つい」そう言って西上はストローに口をつけて烏龍茶を飲んだ。

 西上が言うには、鳥羽は面白いもの見たさで大和の事を見ていて、自分も同じ感覚で誠治さんを見ている節があります。と言っていた。

 自分以外の全てを面白いと思う人間が、自分の事は面白いと思えず、自分が面白いという確かな何かを求めている様に興味は惹かれる。とのことだった。この人は一体どんなことをするのだろう。そんな感覚で鳥羽も西上も、大和を見ていた。

「深くは訊きませんが、私は誠治さんがやるべきことが見つかったのならそれがうまくいくように祈ってますよ」

「はは、ありがとう」

 大和は小さくため息をつくと「うまくいくようにか」と呟いて、思い返すように話を続ける。

「俺はあいつに、見ている世界や作り出す世界が見てみたいって言われて小説を書き始めたけど、あいつが俺の小説を読むことはなかったし、世間にも出ることはなかったよ」

 大和はそう言うと、残りのビールを飲み干して追加を注文した。

「私も読んでみたいです。誠治さんの小説」

西上の言葉に、大和は少し困った顔になり「人に見せれるようなものじゃないから、見せれないよ。ごめんね」と返した。

「どうしてですか。私も鳥羽さんと同じで、誠治さんの見てる世界や作り出す世界を見てみたいです。昔コンビを組んでいた時に、誠治さんは私の世界を見せてほしいって言いましたよね? 私がどうしてコスプレをするのか、どうして自分以外の何かになろうと拘るのか。あの時の誠治さんとの時間は私にとってかけがえのない時間でした。自分の好きなことで人を笑わせることを考えること、誠治さんとのお話、どれも今でも覚えている事ばかりです。でも、誠治さんはあまり自分の事を話そうとしてくれませんでした。話すのはいつも小説に出てくる登場人物の事や、漫画のキャラクターだったり、それに作家のこととか、自分以外のことばかりでした」

 大和は押し黙って西上の言葉を聞き続ける。

「私は、誠治さんは自分の事を曝け出すのを恐れているような気がします」

「はは、いやー、びっくりだなあ。死神ちゃんの言う通りだよ。俺は自分を曝け出すのは苦手かな。ネタ合わせの時もなかなか自分の殻を破れなくて大分迷惑をかけっちゃったのを覚えているよ」

 そう言って、自分がかつて色んな人に手あたり次第、どんなことに面白いと感じるかを知り合い一人ひとりに訊きまわっていたことを思い出した。無論、西上もそのうちの一人だった。

 大和は西上の面白いと感じることを今でも覚えている。自分以外の何かになれるコスプレの趣味そのものを面白いと感じているだろうと思っていたが、彼女の答えは違った。西上は、自分の思い通りに事が運んだ時に面白いと感じると言った。
それは将棋やチェスのように、頭の中で戦術や数手先を考え、相手の動きを予想したり、誘導して思い通りに事を運べた時に面白いと感じるようで、その考えがあったからこそ、西上はお笑いで人を笑わせることを考えるのが面白いと感じていたようだった。それ故に、大和は、西上の行動や言動などの一挙手一投足に何か狙いがあるのではないか、と常々警戒するように接していた。

「誠治さんの小説を読んだ人はいるんですか?」

「いるよ」

「その人は何か言っていましたか?」

 大和は隣の席に座る若いカップルが気になった。大学生ぐらいに見える二人は大和も知っている映画の話をしている。狭い店内で隣との距離も近い。きっと隣にもこちらの会話が聞こえているだろうと思うと、自分が小説を書いているなんてことを話すのが少しだけ恥ずかしくなる。

「言ってたよ」

 立て続けに大和は口を開く。

「つまらなかったらしい」

 大和の言葉に西上は、自分は訊いてはいけないことを訊いてしまったのかもしれないと、反省も込めて出てくる言葉がなかった。

「俺の小説は自己満なんだとさ」

「自己満?」

「そっ。俺の小説には華やかな世界があるわけでも、何か大きな事件が起きることもなければ、誰かが死ぬようなこともないから、読者は読んでいるうちにページを捲るのが苦になってくるらしい」

「それは、どんなお話なんですか?」

 西上の声は患者の患った病状を聞くかのように控えめで、答えることを強いるようなものではなかった。

 大和は西上に自分の小説の事を話そうとしなかった。大和の手がジョッキに伸びる。

「確かに、俺は自分を曝け出すのは苦手だけど、それ以上に、自分が面白くないと言われるのを恐れてるのかもしれない。現にそいつに俺の小説をつまらないと言われた時、なんだか急に恥ずかしくなってきて、全身の血が沸き立っているような感覚になったのを鮮明に覚えてるよ。けど、俺の小説にだって面白いと思える要素は絶対にあるはずなんだよ。たとえ誰がなんと言おうと、つまらないというやつは、非日常的なインパクトに対する浅い楽しみ方しかできない奴らばっかりだ。日常にこそ、もっと深く、大切な面白さがあるというのに」

 西上はやや熱くなる誠治を少しだけ滑稽に思った。自分を理解してくれない他者を否定する姿は、他者になろうとすることを趣味にしている西上にとっては、愚の骨頂そのものだった。と同時に、かつてこの男も、小説の登場人物に共感しようとしていた人間だという事を思い出すと、彼の中で何かがあったのかもしれないと思った。

 先の大和の小説に関する感想も、彼の小説が日の目を見なかったことも、彼に対する風当たりが彼の中の何かを変えてしまったのかもしれない。

「その、感想を貰った方はどんな方なんですか?」西上が訊ねる。

「同じ作家志望だった奴だよ。SNSで知り合って互いに作品を見せて感想を言い合っていたんだ」

「そうなんですね、その方の作品はどうだったんですか?」

 西上はストローの音を立てて烏龍茶を飲み干した。

「面白かったよ。所謂、カニバリズムとデスゲームを掛け合わせたものなんだけど、ちゃんと彼のオリジナルのアイデアがあって、漫画じゃないのに、小説であそこまでの表現ができるなんて」
と、ここまで言うと大和は言葉を詰まらせた。

 悔しさと賞賛の籠ったニュアンスで大和は「あれは確かに面白かった」と吐き出した。

「誠治さんがそこまで言うなんて相当面白かったんですね、デビューとかしそうなんですか?」
 
「彼はもうプロの世界に入っていったよ。書店に行けば彼の本が並んでる」

「ええ、凄くないですか?」

 興奮する西上の熱を冷ますように、大和は呟く。

「許せないけどね」

「え?」 

「確かに面白いけど、俺はあんなもの許しはしない。あんな奴がなれるようなものじゃないんだ。作家は」

 西上は、彼が作家を異常なまでに敬っている事を思い出した。

「あいつの考えたアイデアはどれも現実的じゃないんだ。まるで映像化されるのを前提にしたもので、本である必要はない」

 隣のカップルが会話を辞めて、こちらの会話に耳を立てていることは西上にも分かった。けれどそんなことはどうでもよかった。

 西上は忙しなく背後を行き来している店員を呼び止める。

「すみません、この金宮焼酎のボトルを下さい」

 西上の発言に大和が不意をつかれた顔になる。

「これは私からです。これからの誠治さんの活躍を祈って」

 そう言って、運ばれてきたボトルのセットで、西上はグラスに金宮の焼酎と、炭酸水にカット檸檬を一つ入れ、最後に梅のシロップを数滴垂らすと、透明のグラスの中が徐々に梅シロップでじわじわと変色していく。

「乾杯」

 西上が大和のグラスにこつんとぶつけると、彼女の不敵に微笑む目を見て、大和は、この女は何か企んでいる。と直感的に感じ取った。

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