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作家殺し【短編小説】#6

飛んで火にいる夏の虫


 小さな体は茂みの奥へとどんどん入っていく。

 蜂がいようと、危なそうな毛虫が枝葉にいようとお構いなく突き進むと、ひらけた場所に出る。そこは友達と見つけたカマキリが沢山採れる、秘密の場所だった。

 注意深く枝葉を眺めると、獲物を狩らんとじっと構える黄緑色のカマキリがいた。目の前に手を出すと、カマキリは大和の手の上に乗ってくる。

 お目当てのカマキリを捕まえると、公園内を流れる川の傍に向かった。無数の蜻蛉が飛んでいて、草葉に止まった一際大きな虎模様の蜻蛉にめがけて虫取り網を振った。

 羽を抑えながら、緑色の大きな目を持つオニヤンマを網から取り出すと、大和は両の羽を少しずつブチブチと音を立てながら引き裂いた。茶色くて、分厚い筋のはっきりとしたトンボの肉が剥き出しになる。大和は首に提げていた虫かごから、先ほど捕まえたカマキリを手にして、背中の半分が垂れさがった蜻蛉をカマキリの口元に近づける。カマキリはカマでトンボを優しく掴むと、逆三角形の頭を左右に揺らしながら、大和の手の上でムシャムシャと食べ始めた。肉を食べ終えた後は、虎模様の表皮を齧り、やがて頭の中まで食べつくした。ぽとりと、トンボの亡骸を離すと、カマキリは自分のカマを舐めるように手入れを始め、このカマキリを持ち帰って、ひと夏育てたのが、大和のカマキリを飼っていた時の思い出だった。

 育てるためとはいえ、思い返すと少し行き過ぎたことをしていたのかもしれないと、大和は幼いころの自分を反省した。今思い返せば、自分は生物が生物を咀嚼するところを何度も見てきたではないか、そう思い至ると変に納得もした。

 明かりのついた部屋で、冷静なのは大和だけだった。鳥羽も、西上も黙ったまま、一体何をしでかすのかと、不安な表情で大和を見つめている。

「縛って」と、大和が口にしても、どちらも反応が遅れる。

「早く」

 大和がもう一度声を出す。

 西上は机の上に置かれたガムテープを手にすると、椅子に座った大和の手を後ろに回して巻き付ける。その後、両の足も大和に指示されるがまま椅子の脚に巻きつけた。

 身動きの取れない大和の目の前には、もう一人同じように、体をガムテープで巻き付けられた男がいた。

 鳥羽は自分の顔を手で覆うように包み、落ち着かない様子で辺りを行ったり来たりし始める。
なんの連絡もなく、大和と西上はこの縛られた男を鳥羽の家に連れ込んできたのだった。

 男は酩酊状態で現れ、大和に服を脱がされると全裸の状態で椅子に縛られた。

 今はすっかり熟睡している。中肉中背の色白の男は首がぐったりと垂れていて、やや薄くなった頭皮が大和に向けられていた。男の開かれた足の間には、男性器が椅子の座面に力なく垂れているのが見えている。

「二人は知らないだろうが」と大和は落ち着いた声で話し始める。

「俺がまだ学生の頃、随分と前の話になるが、この杉並区で、人体の一部を食べるイベントが行われたという事件が起こったんだ」

 二人は黙ったまま大和の言葉に耳を傾けた。

「ある男性が人を集めて、自分の局部を食べさせるというものだ」

 鳥羽は部屋の隅で身を屈めるように蹲り、西上はソファに座っている。

「当然、ニュースになった。テレビや、ネットなんかでは色んな意見が飛び交ったが、俺が今でも覚えているのは、実際にそのイベントに参加した人物のブログの記事だった。そのブログには、イベントの概要はもちろん、局部提供者の写真や、提供に至った経緯などのインタビュー内容も記載されている。中でも目を引いたのは、調理され、輪切りにされた男性器の写真だった。断面写真を見ると、軟骨組織の部分は白く、他はピンク味がかった赤色をしていた。硬くて、分厚いゴムを噛んでいるようだという感想もあった。そして驚くことにこのイベントには男女合わせて七十人ほどが参加したそうだ」

 そこまで言って、大和は一度大きく息を吸い込んだ。

「どちらでもいいが、最後に水を一杯くれないか」

 反応したのは西上で、コップに水道の水を入れて、手の塞がった大和に直接飲ませた。

大和は西上にありがとう、と礼を言って話を続ける。

「あれはとんでもない事件だった。少なくとも、当時の俺には人体の一部を食べるなんて考えもつかなかったし、人道的に許されるものではないと、現実に、それもこんな身近なところでそんな事件が起こったことが信じられなかった。けど、ネットなんかで調べると、実在したカニバリストと呼ばれる人たちの記事がいくつも見つかった。女性の毛髪が継いだ頭皮を被る奴、眼球の入ったお守りを持ってる奴、自分の子供を燃やして、その灰を薬に混ぜて販売した奴、中でも、真性のカニバリストと呼ばれる男は快楽を求めるために自分の睾丸に数十本の針を刺したり、人肉はもちろん、血液や尿などの排泄物まで食べた奴もいるそうだ」

 そこまで言うと、鳥羽が声を荒げる。

「何が言いたいんだよ、何がしたいんだよ。どうしてこんなことするんだよ、どうしてここなんだよ、もっと別の場所でもよかっただろ。これじゃ監禁じゃないか、大体誰だよこいつ。頼むから僕の目の届かない所でやってくれよ」

 大和は鳥羽の方へ首を回し、申し訳なさそうに陳謝する。

「すまない、ここしか思い浮かばなかったんだ」

「一体何を始めるんだよ」鳥羽は不安で仕方なかった。

 額からこめかみにかけて滲み出た汗が流れ、とても落ち着かない。

「今日から、俺とこいつは断食をする。水も一切口にしない。二人も変に俺とこいつに気を遣わなくていい」

「大和、君は何がしたいの?」鳥羽が訊ねると、それまで口を閉じていた西上が呆れたように鳥羽に言う。

「まだ分からないの? あなたは誠治さんのこと全然わかっていないのね。私たちはただ、見届ければいいのよ」

 すると、大和は落ち着いた声で鳥羽に語り掛ける。

「俺は、崇高であるべき作家の名を汚しかねないこいつを、どうしたいのか正直自分でもよく分からない。ただ、飢餓の状態に追い込むことで、今まで知り得なかったカニバリズムの世界に自分が入り込めるかどうか、ある種の実験も兼ねてる」

 大和は抜け殻のようになった目の前の男を見つめ、改まる。

「鳥羽、改めてお願いするが、どうかこれから起こることも含めて、伝記を書いてくれないか。きっとそれが、俺が面白い人間なのか分かる術なんじゃないかと思うんだ」

 鳥羽は呆れかえっていた。

「書けるわけないだろ」

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