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作家殺し【短編小説】#2

伝記の章


 まず初めに、大事なことを書いておこうと思う。

 僕は友人に頼まれたこの伝記を面白半分で書くことを決意したのだが、書き終える頃には罪悪感に苛まれて後悔しているかもしれない。また、彼を友人として、いや、一人の人間として見続けられるか、自信がない。

 この伝記を書くに至った動機は単純明快で、あの狂った友人の成すこと考えることが面白そうだったからだ。そして事実狂気に満ち溢れていた。しかしその異常性故に、こうして筆を走らせていると、頭の中では自分が何か、取り返しのつかない方向に誘われている気がしてならない。延々と黒く、深く闇の中へと吸い込まれていき、やがて何もかもが無くなってしまう。そんな感覚だ。

 早速その友人のことを書き記そうと思う。

 彼の名前は敢えて控えておくが、いつしか明るみに出て知れることになるのは、時間の問題だろう。彼にもプライバシーがあるはずだと、少なくとも僕は思う。本来は伝記として彼の名前は記すべきなのだろうが、僕の独断で伏せておくことにする。無論、万が一の為に。

 僕は作家でなければ、文章を書くことに長けた人間でもない。なので、伝記の書き方が如何なるものなのかは当然知らず、兎に角彼の事、彼との事をできるだけありのままにここに記そう。
 
 前置きが長くなってしまったが、彼との出会いは遡ること十年ほど前で、朝から頭が痛くなるような曇り空の日だったことを覚えている。決して白くはなく、黒くもない歪んだ空が続いている。生温い風が漂うそんな梅雨の時期に、僕も彼も頭を抱えていた。
 
 当時の彼は本の虫で、四六時中本を手にしていた。彼が手にするのは専ら文庫本で、作中の登場人物を自分に投影し、快楽や苦悩を痛々しいほどに感じ取っていて、一言で言えば、登場人物に成りきっていたように見えていた。彼は他者の気持ちを理解することそのものを楽しみ、なかなか理解できないとなると、頭を抱えて人形のように動かなくなる。そんな異物だった。
 
 今思えば今回の一連の出来事の発端は、彼のそういった本の楽しみ方が起因していたのかもしれない。そんな彼について、特徴的な一面を一つ挙げるとしたら、それは異常なまでの作家への敬い、にあると僕は思う。
 
 これまでの彼との会話を思い出すと、彼の口からは「作家という人間は実に面白く、神秘的だ。きっと俺はあいつらに餌付けされた一匹の飼い犬に過ぎない」そう言っていたのを覚えている。未だにこの言葉の意味を僕には理解することができないし、今の彼を見ていても到底理解できるような代物でないことだけは分かる。

 彼の中では作家という生き物がどういったものなのか明確な定義があり、その定義に即さない作家を彼は極端に嫌っていた。
 
 この伝記が誰かの目に着くころには彼も、そして僕も何かが変わっている事は間違いないだろう。
 
 ある意味、この時代だからこそ生まれた歪んだ時代の産物を、僕は見届けようと思う。

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