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~リンパ輸注に向けての準備~

前回のNoteでは、1月中における私の体調や治療方針などを時系列によってまとめた。

今回は2月に入り、実際にリンパ輸注に向けて動いた流れを記載していこうと思う。

もちろんこれがすべての人に当てはまるわけではないのであるが、一つの事例として捉えてもらえればと思う。

▼ 帰宅

大学病院での説明が終わり、地元へ戻ったのだが小さなトラブルに見舞われた。

単純に「帰りの飛行機で体調崩して降りるときにしんどい思いをした」ということであるのだが、改めて思うのは『小さな変化』も私にとっては大きな影響を与える可能性があるということであった。

つくづく嫌になるのだが、それを受け入れなければいけないというジレンマとは今後も長く付き合っていかなければならない。

悪天候でかなり機体が揺れ、乱降下を繰り返しながらギリギリ着陸出来たという背景から、勝手ながら血圧に大きな影響があった様だった。

体調の悪さのおかげで、自宅ではなく実家に戻り少し静養する必要が出てきてしまった。ただでさえこれからしばらく妻や子供と会えなくなる時間が待っているのに「何をやっているんだろう」という思いは正直あった。

移動先では歩くことが多く、足のむくみなどの症状が出てきていた。人生において足がむくんだ記憶などなかったのであるが、通常の2倍近く膨れ上がってしまった足を見て「筋肉がなくなったなぁ…」と感じさせられた。

▼ 検査前

帰宅翌日には予約が入っていた主治医の元へ向かう。診察では輸注の日付を決定し、そこから逆算して様々のスケジュールを今日確定させるという話を受けた。

一番大切なのはリンパ球を提供する弟のタイミングであるので、そこはすでにある程度病院側の連携で確定させられた様だった。

2月20日

その日を輸注日だと仮定をして、そこから逆算していくとかなりタイトなスケジュールで検査をこなしていかなければいけないということがその時点で判明た。

・ 心エコー
・ PET検査
・ 胃カメラ
・ 大腸カメラ

やりたくないことのオンパレードではあるが、もちろんそんなことは言ってられない。足早に検査の予定が組まれ、2月16日には遅くとも大学病院へと入院することも設定された。

当社は輸注前に放射線や抗がん剤等によって腫瘤少しでも抑えていく様なイメージをしていたのだが、輸注までの時間がタイトすぎて「そんなことをしていられない」という説明を主治医から受けた。

…当初のイメージが変わるのは喜ばしいことではないのだが、選択肢の決断にはそういったものも当然私は含まれていると思う。更には担当にあたってくださる医療関係者の方を『医療という面』では信頼しているので、大人しく指示に従うことにした。

そして改めて、自分の体調を整えることとした。

息子は幼稚園に通うようになり、病気を貰ってくる可能性が格段に増える。よって、妻に息子は任せて実家で大人しくしていることにした。基本的に外出はしないというおまけつきだ。

肺炎に数か月前に罹患しているので、この辺はかなり気を配って検査等を無事にこなしていくことを優先した。

一人の時間が増えると、考えることが増える。入院中もそうだった。それが良いことであれば良いのだが、当然そういうわけにもいかない。

人は時間のある時に、余計なことを考える。

事実の羅列以外の心情の変化等は、また改めて別にまとめようと思う。

▼ PET検査

もう慣れたものであるが、PET検査を受ける。すごく簡単に書くと体中にあるガンの巣を見つけるという検査である。

固形癌に罹患されている人はおおよそ病巣が限られるが、私の様に血液系のガンに罹患した場合は病巣が限定されない。

もちろん固形癌も転移という可能性があるので、PET検査は有効であると思う。どのガンでも一緒なのかもしれないが、ガン細胞が全身にあると聞くと気持ちが憂鬱になる。

今回の検査では、病巣は現時点では左足のふくらはぎのみということで限定されていることに一安心をした。もちろん今後どうなるかは分からないのであるが、小さな不安の重なりがメンタルを崩す要因になるのでその点は良かったと感じている。

▼ 胃カメラと大腸カメラ

私の最も嫌う検査である。特に胃カメラは嗚咽が止まらないので、避けたいのではあるが重要な治療の前にはほぼ必ず実施される検査である。

あるタイミングから検査時には鎮静剤を使用し、ほぼ寝ているカタチで治療をしてもらっているので気が付けば終わっているのではあるが実施前の準備から少し大変な治療である。

前日から下剤を摂取し、検査当日は絶食。更には大量の腸管洗浄剤を飲み、便が出なくなるまでの苦行を繰り返す。

今回はなかなかOKが出ず、通常量の倍近い腸管洗浄剤を飲む辛さを味わった。そして鎮静剤を打たれたのであるが、痛みや苦しみが止まらずに途中で薬を追加される事態となった。

そのことは全く覚えていないのであるが、結果的にカメラで異常は確認されていない様だ。処置終了後から数時間の記憶も飛んでいるので、そのプロセスに至るまで私は今後胃カメラ・大腸カメラは好きになることが出来無さそうだ。

ちなみに記憶がない中で心臓に懸念が出たとの評価から、再度心エコーや心電図を確認されたらしい。とりあえず問題ない…らしいのであるが、心臓に懸念というのは文字だけで見ても少し恐ろしい。

皮膚だけに病巣が留まって欲しいという願いと、生命維持に重要な臓器に懸念が出た場合を天秤にかけながら生きていくことを考えると、この先も一生不安を背負う覚悟が必要なんだと改めて感じる。

▼ さいごに

何はともあれ、大学病院での治療前に必要な検査は一先ず終了した。家族と離れて過ごすことへの苦痛はあるが、予定を優先して自宅を離れた。

今この記事は、大学病院のある都市のホテルで書いている。

治療が無事に終わること、治療の効果が出ること、自分の望みに近いカタチで生きられること…。

様々な願いを持ちながらリンパ輸注へ向かう。この治療が受けられることへの感謝と望んだ成果が出ることを、心の底から願っている。


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