鉄道を生涯愛せるか?~「最長片道切符の旅2015夏」の記録~7.進退
前回の記録はこちら!
7.進退
親戚がいる京都で2日間の休息ののち、いよいよ最長片道切符の旅は後半へ。まあ京都は蒸し暑かったですね。最高気温30度でも湿度が高くてちょっと歩いたらもう倒れそう。いやあすごかったですね。
22日目:2015/08/19 曇り 京都→鳥取
164本目:京都8:00→東海山陽新幹線ひかり493号→西赤石8:38 0h38m
朝早く京都駅へ戻り、新幹線で新大阪をスルーし一気に兵庫県の西明石まで。N700系でひかりでしたが、名古屋以西になるのでほぼ各駅停車のこだまに近い恰好。
165本目:西明石8:45→新快速3232M→尼崎9:22 0h37m
新快速なら1時間はかかるところを40分ほどでたどり着いた後は、そのまま在来線ホームへ走りました。乗り換え時間に余裕がないというやつ。でも後々考えてみればここで乗り遅れても大したことはなかったのですけれども。
166本目:尼崎10:17→3005M特急こうのとり5号→城崎温泉12:50 2h33m
ここでは西へ行かずに、一旦戻ります。大阪の隣の尼崎ですね。福知山線事故がありましたので以前よりはダイヤに余裕がありますがそれでも最高速度は変わっていないのではやいといえばはやい。130キロ出すところはさすがでした。
尼崎で時間をつぶした後はこうのとりに乗ってその福知山線へ。どんどん山の中へ入り、福知山から山陰線へ、山間をしばらくゆっくり走って2時間半かけて城崎温泉へ。これでもまだ兵庫県というのだから兵庫県は広い。
これがこうのとりにあてられた287系。
しかもこの時はまだ京都発着の特急で山陰線に行くもののなかでは381系国鉄者がまだいたんですよね。「あ、いる」とこの時は思ったんですがそれからわずか数年で撤退。もっとちゃんと記録しておけばよかったんでしょうけれど思い出の1ページです。
167本目:城崎温泉14:57→普通177D→浜坂15:52 0h55m
こちらが城崎温泉。途中下車してちょっと散策。この温泉そういえば元兵庫県議会議員の某氏の件で有名になりましたね。カラ出張で政務活動費を不正受給したとかいう疑惑で。その目的地が城崎温泉。ですが実際はきれいないい温泉街でした。
そして戻ると浜坂行きの普通列車が。なんとよくみるとキハ47系のトップナンバー。北海道では1~2両しかない朱色塗装車。気動車なのはここから非電化区間になるから。特急列車は姫路から播但線を経由する異色の特急「はまかぜ」以外は入れなくなります。
168本目:浜坂16:19→普通539D→鳥取17:10 0h51m
浜坂からはさらに普通列車を乗り継ぎます。少し前に付け替えられた余部鉄橋を通って午後5時過ぎに鳥取に到着。
これ確か餘部駅の1枚ですね。天気が曇りになってしまってあんまり何がなんだかわからない1枚になってしまいましたけれども。
この日は親子丼を夕飯にしてたようですが忘れていました。ネットカフェに泊まると覚悟していたので、隣の湖山駅へ移動してその近くのネットカフェに投宿しました。
23日目:2015/08/20 曇り時々雨 鳥取→姫路
169本目:鳥取15:23→普通637D→智頭16:19 0h54m
ネットカフェで目が覚めて鳥取駅に戻った後、午前中は鳥取砂丘へ寄り道。徒歩ではいけませんので路線バスで。あいにくの天気でしたので景色はちょっと微妙でしたがそのぶん涼しかったといえます。
こんな感じで海まで広がっているわけです。
別アングルから、砂丘をのぼっているひとの姿が見えます。
こうしてみると地図上では大した広さではないんですけれども、砂丘をのぼって撮る景色はまた違って見えます。ちなみにこうしているうちに靴の中に砂が入ってしまいましたが予備の靴は当然持ち歩いていないわけでしばらく「砂が入っている感じ」という違和感を抱えたまま旅を続けることになりました。
お昼は地元の山芋でランチ。山芋ってしょうゆをたっぷりかけなくても楽しめる味だったんでしょうか?そういう気づきは大事ですね。後で某牛丼チェーンで同じようなメニュー頼んだんですけど大失敗。頼むんじゃなかった。まだこの時の味を覚えていたのですから。そもそも違うメニューを選べばよかったのですが。
ようやく鳥取に戻ると南に下る因美線に乗車しました。
170本目:智頭16:21→普通681D→東津山17:33 1h12m
智頭からは兵庫県へ下りる智頭急行には入らず(入ったらダメ)、本数が明らかに少ない普通列車に乗って津山方面つまり岡山県へ向かいます。因美線ですね。むかしは直通列車もあったとかなかったとか。今は地域予想のみになっています。最初は順調に走っているように思われたんですがなぜかすぐに徐行運転。
あたりを見渡してみるとものすごい木々が生い茂って車体にかかりそう。しかも制限速度の標識も見えるというありさま。ほとんど自転車じゃないですかあ…だから時間かかるのかと納得。
残ってた1枚がこんな感じ。鬱蒼としてますね。しかも天気まで悪い。
途中駅の様子。これで「なぎ」と読ませるようですね。駅の構造物が木造で味がありすぎです。こういう駅ってあるんだ。北海道のホームが板しかなかったというのもすごかったですがこれはまた別でしょうか。
階段をあがったところにホームがあるためですね。ようやく東津山についたらもう日が沈みそう。構内踏切を大急ぎで渡って待っていた姫路方面佐用行きの普通列車に。
171本目:東津山17:34→普通2834D→佐用18:31 0h57m
勝間田という地名を通過。なぜかものすごく脳裏に残りましたけれども。なんでこんな名前なの?と。そういっている間にいよいよ空が暗くなってきて佐用に到着。もう待っているのが暇だなあと思ったんですが、案外すぐに列車はやってきて。
172本目:佐用18:49→普通876D→姫路19:52 1h03m
乗り込んだらもう真っ暗で。ワンマンの新しめの気動車の普通列車が姫路まで駆け下っていきます。とはいえ途中までは何も見えず、見えたらもう姫路が近いという感じでしたけれども。
夕飯を姫路で下車して食べました。繰り返しになりますが。昼と同じようなメニューのうっかりとろろ定食を頼んだはこの夜だたはず。直近でおいしいとろろ定食を食べていたのにオーダーをしてしまいすごく後悔。だって吉野家ですから。別に普段食べる分にはおいしいんですけどあれと比べてしまってはいけない。
そのあとはネカフェへ、この頃はネカフェ探しに慣れていなかったこともあり、駅から歩いて15分とか20分とか離れたところに宿泊。何年かあとに行ってみたら、ものすごく駅近くにいいネカフェあったんですけれどね。こういうのも勉強のうちでしょうか。
24日目:2015/08/21 曇り時々雨 姫路→倉敷
173本目:姫路9:10→普通953M→相生9:29 0h19m
ネットカフェと駅が離れているため時間がロスしてしまいました。なので休んだ時間はそこそこですぐに普通列車へ。姫路から相生へ。きっぷは赤穂線経由となりますが、より営業キロが長い山陽本線経由で岡山へ。
今であればもっと近いところにネットカフェあったはずんんですけど、なぜか10分も20分も歩かされることになりました。
174本目:相生9:33→普通1311M→岡山10:39 1h06m
赤穂線と山陽線もどちらか選んで乗ることができます。どちらを選んでもいいのですが、最長というのですから距離が長くなるほうを選ぶわけです。北海道の時以来ですね。
実はかかる時間は山陽本線のほうが短いですね。赤穂線の7割くらいの時間で行ける感覚。
175本目:岡山11:06→快速ことぶき3936D→津山12:13 1h07m
岡山からは津山線へ乗り換えて再び北へ上がります。昨日の東津山の隣の津山駅へ。つまりまたまた1駅を進むのに1日かけたわけです。乗ってた列車もまたディーゼル気動車。
176本目:津山12:46→普通861D→新見14:26 1h40m
津山といえば、鉄道ファンにとってはちょっとしたスポットだったのですが、予算も時間も限られておりましたので残念ながらスルー。姫新線をさらに西へ進み新見を目指します。
この路線本当に本数が少なく1本乗り遅れると大変なことになるんですよね。散々同じことを書いているのですがここもひどい。もちろん風情はあるんですけれども、この日は天気が悪くなりそれどころではありませんでした。
新見からは伯備線を今度は倉敷・岡山方面に下ります。岡山と倉敷も隣町ですから15分か20分の移動なのですがここでも7時間かけるわけですね。
177本目:新見15:52→普通858M→倉敷17:02 1h10m
倉敷についた後、茶そばで夕飯。そうすると午後6時くらいになっていましたので、倉敷美観地区へをついでに散歩。実はここ来るの2回目だったんです。前来た時のことを思い出しながら歩きました。
夕暮れ時でのコンデジはまあパワー不足なんです。手振れ補正なんて微妙なもんですし、絞り値もシャッター速度もコントロールできませんから本当に大変なんです。手振れした写真を量産しながら歩きまして、
それでも前に来た時の記憶は浮かんできまして、
わりと夜で手振れがマシだったのがこの1枚でした。人通りが少なくって静かに夜を迎えている雰囲気が伝わるでしょうか?こういうところで「ちゃんとカメラを買わなくて損」ということが起こるんですよね。スマホの画面で見るだけなら最近スマホのカメラもよくなってきてはいるんですけれど。
ホテルは水島臨海鉄道沿線での安宿へ。思ったより眠ることが出来る時間は短くて驚きでした。
25日目:2015/08/22 曇り時々晴れ 倉敷→出雲市
178本目:倉敷6:06→普通333M→福山6:47 0h41m
それもそのはず、翌朝は倉敷を午前6時。つまり水島臨海鉄道にはほぼ始発に近い時間に乗るわけで、そうすると自動的に起きる時間は午前5時になるわけです。8時間睡眠なら夜9時には寝ないといけないのです。
そう考えると時間がない。眠い目をこすりながら福山へ。
179本目:福山6:50→普通225M→府中7:35 0h45m
福山城を観光する暇もなくすぐに福塩線へお乗り換え。写真の通りすぐお隣に建築物が見えるという。まずは電化区間で府中まで。東京の府中ではない。ちなみに天気は回復して朝は青空が見えます。
180本目:府中8:11→普通1725D→塩町9:45(三次) 1h34m
府中には7:35に到着。乗り換え列車はまだ30分くらいありましてもう1本後でもよかったのですがもし遅れなどで間に合わなかった場合は午後・夕方まで6時間以上の時間を棒に振ることになります。
今日はずっとローカル線で本数も少ない区間。府中から内陸へ行く福塩線の末端区間がこのあとすぐの路線、それから芸備線を新見方面へそれから伯備線を米子方面へと日本海へまた上がっていくのです。
でもすべてローカル線。仮にここで乗り遅れると次が午後3時台になり、芸備線に入れるのが夕方5時前そして伯備線に入れるのが最終列車で万が一乗れなければ野宿確定です。
というわけでまたワンマン気動車に乗り込むのでした。
181本目:(三次)塩町13:17→普通356D→備後落合14:31 1h14m
1時間半ほど山間部を抜けると(ここでも乗客に話しかけられた)塩町へ。ただ、ここは塩町~三次の運賃を支払って三次まで。
乗り換えが3時間以上あるのでここで暑いのは暑いんですが散歩と昼飯と思ったんですが腹痛でトイレへ。この日はこのあと数回下痢。最初はなんでだろうと思っていましたが、翌々考えたら節約のために手に入れたパンを朝食として2日以上夏場に常温で保存するというのはダメですね。
おなかの調子がひと段落したので観光案内所で広島県内ご当地のお好み焼き「唐麺焼き」の存在と歩くと歴史的町並みがあることを教えてもらい、街並みを歩いておなかが減ったころにお好み焼きを食べることに。
この日は昼間は晴れ間が広がって青空もとてもきれい。その代わり直射日光も激しいのでまたまた暑いしかも正午前後なので最も厳しい。
街並みはこんな感じ。2020年からはCovid-19の流行で日本のそこかしこで閑古鳥になっていますがこの当時はこういう昼間でも人気がなければ珍しがったものです。街並みのメインストリートは電柱がなくなっていますね。
わき道をのぞくとこんな感じ。奥に山が見えるという…のどかな光景ですね。
三次駅から街並みのあるメインストリートまで1キロくらいはあったんですが、その間に川を渡ります。奥に見えている橋は今は廃線されてしまった三江線です。この構図なら三江線の列車を風景写真としておさえることができたのかもしれません。この時はこの3年後にすぐ廃線されると思ってなかったので撮り鉄しようなんて考えていませんでしたけれども。
182本目:備後落合14:34→普通444D→備中神代15:48 1h14m
三次駅に戻ったらお昼。三次駅前のお店でお好み焼き。設備は新しくて涼しくて超快適です。
ぱっと見普通の広島焼に見えるんですけど、下のポスターのように甘めのソースではなく辛めのソースに焼きそばの麺に唐辛子が練りこんであるので実際はカレーの市販の辛口くらいには辛いものになります。
程よい辛さだったのでいけるんですよねこれが。辛さがあるからこそソースや素材のうま味が引き立つのかもしれませんね。引き出すって簡単なようで難しんですよね。この旅行でおいしかったものベスト10には余裕で入る味だったと思います。いやあまた食べに行きたい。もう5年以上遠ざかってますからね。
おなかの調子よくないのにあっさり平らげました。疲れてきているぶん、おなかも減るので調子が多少悪くても食べられるんですね。いつもならダメでしたけど。あと普段よりよく眠れるようになってきていました。体力は使うけど精神的なストレスは少ないからです。好きなことに取り組んでるわけですから。
とはいえ、試されています。中国地方に入ってもう4日目です。しかし、ゴールは見えません。進まないもどかしさはどこかにありましたし、「なんのために旅をしているんだろう」なんて思ってしまうんですよね。進みが遅いこともあって。
確か画像は備後庄原だったでしょうか。ちょっと雲が増えてきましたね。結構立派な駅だったはずなんですがいまはワンマン列車が行き交うだけの寂しい光景です。
そして、備後落合。ここがひとつの境目です。島根県方面へ向かう木次線と岡山県新見へ向かう芸備線の続きと。最長ルートはここで島根へ上がるのではなく、新見まで出てから伯備線で米子そして松江へ向かいます。
備後落合からはなぜか乗り合わせの男性につかまりまして、外の景色を見るどころではなく…まあ実際は徐行運転のものすごい山間を進んでいたんですけどね。今度は外の景色でものんびり眺めてみたいものですが。
そうこうをしているうちに、新見の手前の備中神代へ。この駅が伯備線との合流駅になるので、ここで下車しました。2面3線あるのですが、無人駅。民家は奥のほうにあるかなというくらい。あとは風の音か、虫の鳴き声しかしないという感じで。
183本目:備中神代16:36→普通831M/289M→出雲市19:46 3h10m
乗ってきたワンマンカーはJR西日本だったらおなじみの形式の車両です。レールバスみたいな感じ。最近のリニューアルされた内装の車両ならともかく、このときはオールロングシート。そのへんの通勤車両と変わらないわけで。
米子方面の列車まで少し時間がありましたが、そのあいだに貨物列車と特急やくも号が通過していきました。特にやくも号は国鉄時代の車両をいまだ現役で使っておりますので、やっぱり目の前で見る違いというのはありますよね。まあこのころまでは「きのさき」号も同じ381系だったのですが。
そこから今度はまた普通列車に乗り換えて米子方面へ。乗ってみたらまた普通電車も国鉄形式の115系で、モーターの音も昔です。写真は出せるのがありませんでしたが・・・
そして大山が見え出すと再び日本海側へたどりついたサイン。この時は晴れ間も見えていたようです。
8月も後半になると日は午後6時過ぎには沈んでしまいます。そのまま出雲市駅に着いた頃にはすっかり真っ暗になっていて、とりあえずこの日も近くのネットカフェを探して入ったのを覚えています。この日はおなかの調子が悪いという意味では散々な日でしたが、食べ物はなぜか全部おいしく食べていました。夕飯も例外なくそうでした。
あの、パンとかを夏に翌日まで保管しようとしたのが間違いでしたね。しかも開封済のやつを。このころって学生でしたからとにかく予算を削ろうとしてたのですが、後先考えずに削るとこういうことになるわけです。学ばなければいけませんね。
26日目:2015/08/23 晴れ 出雲市→広島
この日もすぐに出発しませんでした。
まずはせっかくだからと出雲大社を見て回ることに。
一畑電車、「バタデン」でしたっけ?乗ること途中の乗り換えを入れて数十分。昔はJRも乗り入れていたんですがそちらは廃止になっています。
オレンジ色に白のラインが当時のカラー。いや今もまだ同じでしたでしょうか。JRから少し離れた建物に入ってそこから2Fに上がるって感じでした。
終点につくと、初代というか昔の車両が静態保存されてました。カラーリングは変わらないのですね。路面電車ならともかく1067ミリの鉄道でここまで古い車両というのは過去にもほとんど見たことがなくて…
出雲大社いかにもという有名な観光地だったので自分としてはそれ以上の感慨はなかったんですが、一番印象に残ったのはその近くで食べた出雲そば。ダシがとにかくおいしかった。とにかくすごい濃い味なんですけどたんに醤油がきついといったことはなくてアゴだしだったのかそうした素材の味がちゃんときいているうま味が感じられる。これとそばの相性がとにかく素晴らしい。
出雲大社の写真は残ってましたがそこそこでスルー。
こちらも店舗の中には入らずでしたが、出雲大社目の前にあったスタバ。京都みたいに景観をあわせてあるということですね。
こちらがJRというか国鉄時代にあった駅。大社駅ですね。木造の駅舎がそのまま残っていて往時の面影がそのまんまとなっています。
駅舎の中には実際に適用されていたであろう運賃表も残っていました。今となっては運賃表って近郊エリアしか見れないことも多いのですけれども、ちゃんと名古屋とか大阪とか遠方の運賃もわかるようになっているのがすごい。この当時は自動券売機で指定券からなんでも発売ではなかったでしょうからね…
目をつぶると断片的でも浮かんでくる過去の光景。出雲大社よりゆっくり見ていたかもしれません。
なお、うさぎが可愛かったのですが、これは出雲大社の境内だったでしょうか…
184本目:出雲市14:04→快速アクアライナー3455D→江津15:14 1h10m
午後からようやく旅を再開。といっても、中途半端なところで終電を迎えると本物の野宿になりまして、まあ野宿できるセットなんて持ってませんでしたので屋内に避難できるところまではなんとしてでもたどり着きたいわけで、この日は広島到着が必達ノルマになってました。
ひとまず江津まで行きます。
185本目:江津15:17→普通429D→三次18:47 3h30m
ここからは三江線。陰陽連絡としては全く使えない路線なのですがなぜか当時何があっても廃線にならなかった路線ということで、不思議半分面白さ半分。
江の川の流域をゆっくりと上がっていくんですが、この川の水の色が晴れていればとてもきれい。そしてこの日は天気が良かったので本当にきれいだったのですけれども。
この様子は当時「三江新幹線」と言われた区間で少し新しい時代に建設されたため線形もよく85キロまでは出せるというスピード区間。なんと高架になっているんですね。こんな表情もありました。
見下ろすとこんな感じ。集落が丸ごと見わたせるようなイメージだったでしょうか。
口羽駅で少し時間があったので駅の時刻表を…と1日4本とか5本しかないのです。しかも、口羽駅から日本海側の江津へ乗り換えありで抜けられるのは3本だけ。さすがローカル線というしかありませんね。
口羽までくると三次まであと1時間くらいなのですが、8月の下旬ですからこのあたりで日が暮れます。日が暮れる時の川の輝きや差し込む夕日の色合いそして沈んだ後の今の写真のようなブルーアワーいずれもきれいでした。
写真のほうはコンデジ時代。まあとりあえず何も考えない阿呆でしたのでまあこんなカットも残っています。夕日が漏れてくるのが印象的でしたが画像のほうでわかるかといわれるとたぶんわからない。
さらに別の1枚。もうピントが合ってない感じがすごいですし、ハイライトが飛んでしまっている(いまならこんな人でももう少しうまく撮るんですが)のですが夕日がまさに落ちようとしているところでした。
車窓をまったり眺めるには本当にいい路線でした。中国地方の中で後に乗った木次線を除けば個人的には気に入っていた路線でした。
それでもやっぱり全然終わらない。乗ってから3時間半もかかって直線距離では100キロも移動せずにようやく三次駅に戻りました。
今度はハイライトが落ち着いた写真ですね。こんな感じでレールが照らされて。いやあきれいでした。
186本目:三次18:57→普通1879D→広島20:48 1h51m
三次で乗り継いだたらあたりはすっかり真っ暗でした。三次から広島方面の芸備線は最低でも1時間に1本前後で広島が近づくにつれて本数がどんどん増えていきます。ただ本当に真っ暗で車窓はほとんどなにがなんだかわからず思ったより時間がかかるなあと思いながらの乗車でした。
ただ唯一感動したのは広島駅到着直前に芸備線は少し高いところを走っていたのかプロ野球のマツダスタジアムが眼下に突然浮かび上がってきまして、広島の試合なので赤い応援グッズを持ったファンで埋まっているのが見えました。真っ暗闇から浮かんでくるのは何とも言えない美しさがありました。
この日も、ホテルには泊まれません。広島繁華街のネットカフェを探して夕飯を松屋で食べたのち投宿しました。
27日目:2015/08/24 くもり 広島→新山口
この日の天気は悪くありませんでした。
しかし何日か前から8月25日以降は台風が接近し、鉄道も運休になる可能性が取り沙汰されていました。とにかく先に進むことも選択肢ではありましたが、何かの時にしばらく滞在できそうなところということで新山口としました。小倉方面へも広島方面へも戻れますからね。
もっとも、この日は出発しようと思ったらなんと、最長片道切符とそれを入れているクリアファイルが見当たりません。ついに落としてしまったようです。
「しまった!」と思ったのはつかの間、おいてきたとしたらどこだろうかと必死に考えた時に、昨晩の松屋しか思い当たりませんでしたので朝食がてらだったと思いますがたずねてみると「ありますよ」とすぐに返ってきました。危なかったです。まだ有人の店舗だったから事なきを得ました。
この日の広島の様子です。奥に山も見えて街並みが圧縮されてまさに広島の情景って感じです。これだけ見ると今日明日に台風が来るとは思えなかったんですけどね。
広島を離れる前に少し時間があったので、原爆ドームと平和記念資料館を見学。まあ初めてではなく子どものころ以来2度目だったんですけど。
大人になってから見るというのはまた違うものがありまして。子どもの頃より様々な知識や経験が重なって見えてくるので受け取る感情もまた変わってきます。今回の時のほうが命がなくなるとはどういうことか、取り返しのつくものつかないものってなんだろうかということよりリアルに感じられたというのが正直なところでした。
この年が敗戦70年の節目の年だったからなおさらそうだったのかもしれませんけれども。
そして、関心を持っている人が特に海外からの人でそういう人が多いのがとても気になりました。というか印象的でした。
187本目:広島14:15→普通649M→宮島口14:44 0h29m
さて、新山口まで行ければ十分なためまだ時間の余裕があります。
というわけで宮島口で下車してあの厳島神社へ船を渡っていきました。このあたりから本格的に雲が出てきて「これは本当に台風来るんだな」って思った瞬間でもあったわけですが。
この日は潮の満ち引きの関係で鳥居は水没しておりました。
188本目:宮島口17:50→普通363M→岩国18:15 0h25m
夕方になってようやく宮島口を出て岩国へ。このあたりで日が暮れました。
189本目:岩国18:16→普通3383M→新山口20:20 2h04m
なお岩国から先は券面では徳山手前の櫛ケ浜駅まで岩徳線となっていますが、山陽本線を乗っても岩徳線のほうが運賃計算キロも短くなるのでそちらで通算する特則があるので岩徳線に乗る義務があるわけではありません。
より距離のが長い方を旅してこそ最長片道切符の旅です。きっぷのルール上可能な限り距離の長い方を選択していきます。
これは前半の北海道・森→大沼の考え方とおんなじです。
新山口についたら既に20時をまわっていました。山陽本線なら美しい海辺を通過していくのですがこちらはやはり見えませんでした。
ひとまずご飯を食べ、宿泊し台風をやり過ごすことにしました。
28日目:2015/08/25 晴れ 新山口留置
この日は新山口発着の在来線がすべて運休のため旅の再開はできませんでした。起きたら天気はやや強い風が吹いているくらいでしたが、それはこの周辺がたまたまそうだっただけのこと。
翌日ようやく再開の一報が入ったのでした。
29日目:2015/08/26 くもり 新山口→益田
190本目:新山口8:52→スーパーおき2号3002D→津和野9:57 1h05m
新山口からはとりあえず山口線を。山口線は再開になったものの、そのあと美祢線がまだ再開されていないとのこと。再開を祈りつつでした。しかし、山口線もまだ徐行運転をしていたため、実は津和野まで到着できたのが11時過ぎ。もうお昼ですね。
徐行運転ってこの時は自由席で運転席の真後ろだったのですが、自転車並みのスピードですね。車には抜かれるわ。これ、特別急行ではなく特別不急行ではないでしょうかって感じ。まあゆるーい感じの雰囲気でしたね。特急列車でこの雰囲気は後にも先にもなかったような…
小京都ってあちらこちらにあるんですが、津和野もそう呼ばれています。こうしてみると確かに街並みがそれっぽい。とはいえすぐ引き返し。後続の普通列車がそのままであればすぐに来るはずなので。
とはいえ駅に戻ってみたらまだ来ないとのことでそのまま駅そばで肉うどんかな?食べました。薄味でしたが肉がのっているとうまい。納得の味でした。
ようやく来た普通列車に揺られて40分ほどで益田へ。ちなみに普通列車は12時半過ぎにようやく来たのでした。時間ちょっと余ってしまいましたね。
191本目:津和野11:10→普通2539D→益田11:50 0h40m
益田に到着しまして、改札を出ました。
駅の掲示板というかホワイトボードを見ます。果たしてどうなっているでしょうか?
淡い期待は打ち砕かれました。美祢線は運休。益田から長門市まで行ってもその先がありません。美祢線が運休であればこれ以上進んでも意味がありません。
いつになったら運転再開になるのでしょうか?その情報はついぞ手に入りませんでした。明日なのか?明後日なのか?1週間後なのか?それとも…?
代行バスが走れば通れますが(そして一応その区間も乗ったことになる)それもどうなのか情報がない。どれくらい路盤の損傷や橋梁の損壊があるかは全くわからなかったのです。
ひとまずわかったのは今日はもう進めないということだけです。
そう情報がないなかではいろんな想像が出てきます。
わからないということであれば、当然代行バスもしばらく走らない事態も想定しないといけません。しかし、さすがにそんなけ待っていては予算オーバーになってしまい帰るときに困ってしまいます。手持ちのお金を考えると運転再開か代行バスによる開通を待てるのはせいぜい数日。1週間なら危ないでしょう。それを超えるようであればゴールを断念することを選ばざるを得ないでしょう。
「ゴールを断念」この可能性が頭をよぎりました。
それでもひとまず今日の宿を探さなければいけません。ネットカフェも近くには手ごろなのが見つからず。これもしばらく探して東にある浜田まで行けばあることがわかりました。ワンマン列車に乗り換えて1時間ほど。
天気は悪く車窓は鈍色の雲の下に日本海をのぞむわびしいものでした。
こちらも最長ルートからは外れるので追加で運賃を払う必要があります。
下りた後、ネットカフェに入る時間を調整し、夕飯までもまだ時間があるので近くの海岸まで。
誰もいない海岸でした。海は荒れていて白波がたっていました。雨もぱらついていたように記憶しています。
ボーっと時間をつぶしてから夜を迎え夕飯を食べてネットカフェに入りました。この日のネットカフェはワンオペだったのか、係の人が1人しか見当たらずおまけに外部とケータイで電話をしているというなかなかゆるい環境でした。まあお客様もあんまりいなかったのですけど。
運行状況との駆け引きが続きます。ここまで来たからにはゴールはしたい。ゴールできたのに引き返すほど悔しい話はありません。しかし、ゴールを求めた余り引き返すタイミングを逸してしまったらそれこそ無事では済まないのです。
とはいえ、傍から見れば本業でもないことで何をそんなにこだわるのかという話になるのでしょう。にもかかわらずこだわる理由はなんだろうか?何のために旅を続けているのだろうか?SNSも当時はアカウントを持っておらずそういったものもないなかで旅をするというのは自分自身ととことん向き合う時間となります。
また、体力も限界に来ていました。これも不安感を余計に増幅させます。
何かを食べたら必ず眠たくなってしまうのです。寝過ごしたことは一度もありませんでしたが、夜になると体が若干ふらつくのが自分でもわかりましたし、広島で切符を落としかけたのは疲れがたまってきて集中力や注意力が落ちてきているサインであることはわかっていたからです。
思えば、中国地方に入ってから長い時間が経過しています。そしてなかなか先に進まない。というかやめることも考えなければいけない。いくら鉄道が好きだったとはいえ、苦しい状況に陥ってしまったのです。
焦りの夜を明かしました。
つづきはこちら
小計:乗車本数28/乗車時間34h54m
総合計:乗車本数191/乗車時間192h33m
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