鉄道を生涯愛せるか?~「最長片道切符の旅2015夏」の記録~8.九州

結果的には、長期運転見合わせの心配は杞憂に終わりました。

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8.九州

30日目:2015/08/27 快晴 (浜田→)益田→大分

※浜田5:31→341D →東萩 6:25
まだ夜が明けるか明けないかの時間でネットカフェを後にしました。
行ってみると美祢線は動くみたいということで益田へ戻り、旅を再開することにしました。台風で止められている最中に立てた予定は全部崩れてしまいましたけれども。
半ば眠い目をこすりつつも、日が昇ってくると天

気は回復していたようで青空がトンネルとトンネルの間から見え隠れするようになっていました。

192本目:益田6:30→1563D→東萩7:44  1h14m

とはいえ、順調かと言われるとそうはいきません。
今度は車輪が空転してしまい前に列車が進めず遅延。
キハ40系やはり重たいのでしょうか?走りも普段から重めですが、この日は特にそうでした。
東萩に着いたらもう30分遅れ。

それでも乗り継ぎ列車までは時間もあったので、海岸へ。晩夏の快晴で海も青く透き通っていたのを想い出します。

193本目:東萩9:08→1565D→長門市9:45  0h37m

結局、乗り継いだ列車も遅れてしまい、長門市駅での乗り換えが10分しかなくそのままでは間に合わないという事態に。ただ、ここも接続待ちがあったのでおかげで乗り換えはできました。少し遅れてはしまいましたが。

194本目:長門市9:57→726D→厚狭11:01  1h04m

乗り継ぎ待ちだったため少し遅れて発車しましたが、厚狭駅に到着する頃には時間通りに。意外に早かったですね。今までの今までが徐行運転を繰り返すような区間ばっかりだったせいだろう。スピードが元に戻っただけでも感触が違うのである。無事に乗り継げたたため、旅を先に進めることができました。とりあえず雨天長期間見合わせでのリタイアは回避。

このあたりから九州方面という文字が踊ります。


195本目:厚狭11:17→3535M→新下関11:40 0h23m
※下関11:48着まで乗車

そして、瀬戸内海側に戻って、山陽本線を新下関へ。
後で検証すると規則を踏まえると実際にはやらないほうがよかったのですが、実はここから素直に下関・門司・小倉と在来線で繋げば良かったのだが、少し遠回りになるかなと言うことで山陽新幹線を使っています。

しかしいきなり乗り換えたのではなく、いったん下関まで行きます。
事前に調べて実は関門海峡は徒歩で越えられるということを知っていました。子どもの頃はもっと津軽海峡みたいな大きなものをイメージしていたのですけれども、実際に目にしてみると本当に目と鼻の先。

降りてからまずは唐津市場、佐賀じゃないんです、下関なんですけどー海鮮丼は高いので避けたいとおもって避けていたはずなんですが、海鮮丼頼んでいたようですね。


それから頑張って歩いて、例の歩道へ。国道って書いているではありませんか。そのエレベーターには入れる施設があってそこから下るとトンネルが。

写真では上が車道となっていますが、歩道は海底をくぐるので見えてないということになります。

そして地下への入り口。


照明に照らされた通路を歩いている。まあ海が見えたら大変なことなのですが、ここからが本州と九州の境目ですよと目印も。九州は立ち入ったことがなく徒歩で初めての九州上陸を果たしたのです。案外あっけなかったですね。初めて青函トンネルをくぐったときは時間もかかったこともあって本州へ抜けたときの感動があったのですけれども。


この境目を踏み越えてようやく九州です。とにかく長かった。中国地方でローカル線が並んでいたので、距離のわりにそもそも進まなかったのですがやはり台風による足止めは大きい。



そして九州側の出口へエレベーターを上がりました。差し込む光は写真よりもずっときれいだったのでは。
とはいえ、上ったところで近くに駅はありません。

門司港駅までバスに乗り、門司港駅から在来線で門司駅・下関駅・そして新下関駅まで戻ったのでした。歩いて移動して、もう夕方になってしまいました。歩き疲れました。時間が経つのは早い。

そしてレトロな雰囲気の門司港駅から戻りました。

196本目:新下関15:38→741A(こだま741号)→小倉15:47 0h09m

新幹線で1駅。あっという間に小倉です。新幹線だとトンネルであっという間。これで鉄路でも九州へ進出。

このときは500系新幹線に乗ったようです。
かつてはのぞみ号だったのですが。


ここから普通列車に乗り換えてもよかったのですが別府で温泉に入る、大分に宿をとっているとなると時間短縮もしたかったので特急を選択。

197本目:小倉16:09→3035M(特別急行ソニック35号)→別府17:25 1h16m

この時点で夕方になってしまうとまだまだ巻き返さないと辿り着けません。ということで特急列車の出番。ソニック号で一気に別府へワープします。

振り子ということもあってカーブでの走行は速いもの。在来線でここまで特急にすがったのはこうのとり以来。こうのとりは正直速くはないので、しなの号以来まともに特急にすがった感じがします。あっという間に別府。


なんとソニック号の運転席の写真が残っていました。


別府と言えば、温泉です。とりあえず予算がないぼくは、近くの公衆銭湯に。そうすると少し年配の一人旅の男性と一緒することに。
印象的だったのは以前のドラえもん(2005年春まで)でスネ夫役を演じていた肝付兼太さんと声がそっくりだったこと。もちろん親戚とかではないんでしょうけれども、耳からとにかく離れない。そんなこともありました。

ただ、その声はどこか寂しそうにも感じました。一人暮らしなのでしょうか。とはいえ、自分のペースで旅をすることに幸せを感じているようで、基本は漫画喫茶に泊まって、最後の夜は疲れをとるためにビジネスホテルに泊まるなんて話しをしていたでしょうか。九州は普通列車限定の「旅名人切符(当時の名前です)」を使っていたような…

しかもアイスをおごってくれました。

198本目:別府20:24→4665M→大分20:39 0h15m

大分に普通列車で移動して、その日は地域グルメの団子汁を食べてビジネスホテルに投宿。


もう21時は過ぎていたでしょうか。疲れていたのであっという間に寝ましたけれども、翌日の発車がはやかったのでアラームでたたき起こされることになりました。


31日目:2015/08/28 くもり 大分→鹿児島中央

この日は天気がさえず…というか最後まで天気がすごくよかったということはなく雨か曇りばっかりだったのですけれども。微妙に眠いままこの日は一気に鹿児島まで行こうとしました。

199本目:大分9:14→4633M→佐伯10:39 1h25m

415系の旧式の列車に揺られます。幸崎くらいまでは本数もあるのですが、そこから南へ下っていくにしたがって本数が減っていく路線。日豊本線というのですが。



佐伯にはついたのですが、ここから峠を越えて延岡へ行きたいのです。しかし、普通列車はもう夕方くらいまでなくて普通列車にこだわったら7-8時間待ちというとんでもないことに。
わかってはいたのですが、どうしようかと悩んだ挙句特急に。
仕方がないので特急券を購入したのですが、余裕で1000円に達してた、次の停車駅の延岡までなのに…

でも、時刻表を見てみると60分くらい(距離も60キロくらい)。隣の駅といってもまあ遠いですね。

200本目:佐伯11:04→5007M(特別急行にちりんシーガイア7号)→延岡12:07
※1h03m

それでも1時間も待たないくらいで特急が来ました。783系特急列車。子どもの頃から「ああ、こんな車両あるんだな」と思っていた車両のうちの一つ。あっという間に山へ分け入りました。
特急といっても、やっぱりスピード落ちてましたけどね。

時刻表で以前、1日数本しか来ない駅ということで「宗太郎駅」というのを見かけたことがあって、どんな駅だろうと思いましたが、山間にあって周りにこれといったものをみかけないという意味ではやっぱり秘境駅でした。


201本目:延岡12:33→737M→宮崎14:08 1h35m

延岡へ下ったら、貧乏旅行人なので再度普通列車に乗り換えました。
このときは、延岡→宮崎と乗りましたが、数年後に宮崎→延岡で乗った時、車窓が目まぐるしく変わるので飽きない区間だなと思った次第です。

宮崎では少し乗り換え時間がありました。外に出てみるとかなりの暑さであっというまに駅舎へ引き戻されました。駅舎で昼飯。少し奮発してハンバーグを注文。ブランド牛のものではなかったのですが、かなりレベルが高かったことだけはよく覚えています。

202本目:宮崎15:34→6767D→隼人20:36 5h02m
午後からはまた普通列車へ乗ります。日豊線は鹿児島まで続いているので、普通に考えるならそのまま日豊線を突き進んでの鹿児島到着をイメージすることでしょう。
しかし、ここでも吉都線と肥薩線を経由すればより長いルートになるのでそちらをまわることになります。列車も電車ではなく、キハ40シリーズの気動車。北海道と違うのは冷房がとてもよくきいていること。
天気は良くなかったので、とにかくぐるっと大回りしていることしかわかりませんでしたが、よくよく考えれば3時間とか4時間とか乗っていたわけで。合計5時間なのですが、まあとにかく冷房が寒く感じておりました。
翌々考えると同じ列車に5時間も揺られるのって北海道以来か。

夕暮れの車窓を眺めながらずっと揺られておりました。

203本目:隼人21:03→6965M→鹿児島中央21:43 0h40m

某テレビ番組で有名だった嘉例川駅は夕刻の時間帯で通り過ぎてしまいまして、何も見ることができぬまま隼人駅で再度鹿児島線へ。本当は美しい海岸を通過していたはずですが夜になっていて何も見えずに明かりが見えたら鹿児島でした。
この日はネットカフェ宿泊だったのですが、なぜか「利用するんですよね?」とスタッフから謎の上から目線を吹っ掛けられて「怖」と思って寝床につきました。以後ここまで吹っ掛けられたことはありませんね。


32日目:2015/08/29 雨のち曇り 鹿児島中央→川内

この日は寄り道をして指宿枕崎線を乗ることにしました。鹿児島も初めてでしたし、いつでも気軽に行ける場所ではないからこそ、できることはできるうち今のうちにやろうと思ったのです。
予算はなかったのですが、寄り道その他用に青春18きっぷを1枚用意していたのです。すでに0日目や東北で使っていましたがまだ残っていたのです。

ただ、普通列車だけで予定を組むのは大変です。朝一番でさっと行ってさっと帰ってこれないと1日がかりでなおかつ鹿児島から先へ進むことができないのです。

というわけで、朝4時台の始発に乗るというこれまで無茶な予定が出来上がったのです。

もう、8月も終わりですから、太陽が昇るのは6時前。まだ真っ暗の中、ネットカフェを旅立って気動車に乗るのです。この日は本当に本降りの雨で気温も下がって涼しくなっていました。
しかし、車内は冷房がフル回転です。
指宿で枕崎行きのキハ40に乗り換えたのですが、もう寒くて寒くて何しに九州まで来ているのかなと思ったほど寒かったのです。上着は必ず持っていたんですがそれではお話にならないほどの寒さでした。寒さは北海道だけで十分なのですけど。


当然ながら本降りの雨、垂れ込む雲ということで開聞岳なんかまったく見える気配がなく枕崎駅へ。10分で折り返しでした。無人駅だったんですね…駅員がいない。駅舎も待合室みたいなのがあるだけ。稚内駅とは全然違うなあと感じました。そう、日本最南端の鉄道駅(モノレール除く)も通り過ぎましたね。

天気がものすごくやばそうだったのでとりあえず急いで帰ったのですが、指宿で運転見合わせそして階段ですべって転んで痛い目にあいました。もうここまでくると散々です。
まあそれでも指宿まで戻れたのでバスを捕まえれば鹿児島市内に戻ることができます。
少々の待ち時間でバスはきて、後部座席に座り込みました。
一安心です。

と、快適に鹿児島までは戻ることができました。途中乗っていた乗客からは桜島行くといいよと言われたので、午後は桜島へ行くことにしたのですが…鉄道だとちょっとしかかからないのに、鉄道でないと2時間くらいかかったかな…思ったより時間がかかったということもあり…鉄道のメリットというのをもう一度実感したのであります。

鹿児島中央駅からは少し離れた天文館付近でバスを降りて近くの某有名チェーン店で昼食をとって、フェリーターミナルへ。
桜島行き結構大きな船でした。時刻表を見るとわりと充実していて夜も深夜も便を出している。これは意外。

それでも天気はずっと最悪で、桜島もぼんやり。ついた後は公園に足湯があってそこでまったりして、野良猫の相手をしただけで終わってしまいました。まあそれ以上お金かけられなかったということはありますけれども。

鹿児島中央駅に戻って、予算がないと言いながらとんかつ定食を食しました。

204本目:鹿児島中央18:08→2462M→川内18:57 0h49m 

夕飯を食べてから、在来線で川内へ移動。
今日はビジネスホテルへ泊まるというポリシーを固めていたのでなんとか川内で見つけることができました。駅前なので翌朝も楽々です。ちなみに新幹線も走っていますが、在来線のほうが長いのでそちらを選択。
転倒したときの痛みはまだありました普通に眠れました。

33日目:2015/08/30 曇り時々雨 川内→吉塚


翌朝、この日もまたまた天気が悪いのですが、新幹線が開業しているためもともと鹿児島本線だったのが肥薩おれんじ鉄道に。なので川内から熊本方面へはいったん新幹線に乗って、新八代から在来線に戻るというルートに。

本日は昨日進めなかった分忙しい。とりあえず、この日と翌日をもって最長片道切符の旅が終わることがわかりましたが、もうずっと旅を続けているので実感がわかない。その先もずっと旅をしているような気がしている。

205本目:川内7:42→5314A(新幹線つばめ314号)→新八代8:14 0h32m

九州新幹線は、通常5列のシートが4列になっています。4列とかだとグリーン車をイメージするのですが、普通車でこれなのでゆとりがあります。インテリアも趣向が違い、N700よりも居住性重視の感じ。
でも新しい区間なのでほぼほぼトンネルが多く、景色はそれなりにでしたけれども。数十分で新八代へついて下車。
うん、新しい駅なのですがなにも見当たらない。


206本目:新八代8:51→6328M→熊本9:28 0h37m

ちんたら移動していると、これがものすごく悔しい話なのですが、接続する普通列車にタッチの差で乗り遅れるという失態をやらかしました。
何もやることがないのに30分待ち。いやあ、実にこういうのがたるいというか、目の前で列車が去っていくほど気分が落ちる話もなかなか。

気を取り直して後続の列車に乗りました。

207本目:熊本12:32→332M→荒尾13:14 0h44m
熊本では熊本城近辺をぶらぶらしたあと、すぐに戻って在来線を久留米へ北上。あっというまに午後に突入。

208本目:荒尾13:15→4248M快速→久留米13:48 0h33m
既に14時前。このままではいけないと思い、久留米駅エキナカでラーメンを食べる。
豚骨でとてもおいしかったのです。ただラーメンは安定の選択肢なので思いつかないとラーメン、またラーメンと毎食ラーメンを選び続ける可能性があることに気付くべきだったと反省しております。


209本目:久留米14:20→1855D→夜明15:07 0h47m
久大線に乗り換えます。いったん内陸へ行ってそれから博多方面へ再度出直すことになるのです。
実は昼食を食べていた割にはさっさと乗れた。

途中から山間に入ったところで夜明駅。駅名がすてきですね。明けない夜はない。
鐘があってそれを鳴らして駅ノートに書きこんだことを覚えています。スマホで調べると、最長片道切符の旅、後続にあと2人は続けていることがわかってましたので駅ノートはそれを意識していたように記憶しています。
後続の2人は見たのでしょうか。

跨線橋から東の大分県側をのぞみます。左側が今はなき日田彦山線の線路がわかれているのがわかります。

夜明駅には鐘があります。鳴らすと幸運が呼び寄せられるのでしょうか。

210本目:夜明15:54→968D→田川後藤寺16:53 0h59m

もう夕方ですが、田川後藤寺へ。今は災害のためバス代行になりBRTとなっていますが、この時代は列車で実際に旅をすることができました。とはいえ、根室線と同じように峠をかき分けて進んでいくローカル線なのですけれども。

1時間くらいで峠を下って田川後藤寺駅に到着。

211本目:田川後藤寺17:18→1560D→新飯塚17:38 0h20m
田川後藤寺はむかし炭鉱があった地域のせいなのか、構内がだだっ広い。けれども長編成の列車はいない。時々ワンマンの列車が来るという駅。
そして後藤寺線で飯塚方面へ行くのですが、なぜか端っこ端っこへ飛ばされまして、そのホームに来た単行に乗るという感じ。まあ、線路がすぐ左へ曲がっていくからこういうことなのでしょうけれども。

昔は栄えたであろう工場か何かの跡を横目に走ったら新飯塚。この辺から暗くなってくる。

212本目:新飯塚17:45→4652H→折尾18:24 0h39m
篠栗線へ乗り換えますが、いったん北九州の折尾へ北上します。

しばらく揺られていると折尾へ。かつては弁当がうんぬんとか言われて大変有名だったのですが再開発が始まっていたはず。そうでなくてもなにがなんだかよくわからない感じでしたが…

213本目:折尾18:50→4269M快速→吉塚19:36 0h46m

夜も更けて、鹿児島本線をかけくだり吉塚駅に着きました。
ここでとりあえずエキナカのラーメン店に入りました。
なんと2回続けてラーメン。
それでもおなかはしっかり減っていたようで、替え玉残りかなんかもサービスで入れてくれてたかなんかだったのですが何の苦も無く食べた記憶が残っております。豚骨ではありますがあっさり目。食べやすかったです。

ただ吉塚では投宿しませんでした。
予算の都合上、ここからは最後までネットカフェで通すしかなしと思い博多駅へ一駅移動です。
博多駅に隣接するビルのネットカフェに寝床を確保することができました。

しかしここで気付いたことがあります。

切符がなくなっていました。

つづく

小計:32本・乗車時間12h29m
合計:213本・乗車時間205h04m


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