鉄道を生涯愛せるか?~「最長片道切符の旅2015夏」の記録~3.代行バス

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3.代行バス

丸々1日の途中下車を終えて再び最長片道切符の旅へぼくは戻りました。

8日目:2015/08/03/北上→岩沼(仙台) 曇り時々晴れ

本来最長ルートになるはずだった区間を別の乗車券でめぐった翌日、再び最長ルートに戻って旅をつづけました。

36本目:北上6:10→普通1522M→一ノ関6:52 0h42m

貧乏鉄道旅行の朝は早い。

またまた午前6時の列車で旅を始めます。なにせ、今日は一気に仙台まで…北上から仙台に直行するならいいんですが、そうはいきません。一ノ関から石巻へ、それから小牛田へいくまではいいんですが、そのあとはなんと一旦仙台駅を通過して新幹線で福島へ降りてからもう一回北へ上がるんです。

37本目:一ノ関7:18→普通327D→気仙沼8:44 1h26m

まずは一ノ関から一旦太平洋側へ出ます。あれ、ドラゴンラインなんて言われてましたでしょうか?大船渡線に乗ります。あ、「ドラゴンレール」でしたね。すいません。

竜のように曲がりくねりしながら山を越えて本州入りしてから2度目の太平洋岸へ。

気仙沼駅までは確かにレールが敷いてあるのですが、ここから先が「BRT」になっています。つまりJRのバスが走っている区間に。東日本大震災が確かに起きたことを示しています。鉄道での復旧をせずに、路盤などにコンクリートを敷いてその上からバスを走らせているのです。

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奥に列車が見えます。手前が舗装されていてバスが入ってくるのです。もともとはここにもレールがあったはずなんですが…。寂しいような気もしますし、新たな「形」や「姿」と前向きにも考えることができそう。

このあとは一旦寄り道して、「奇跡の一本松」一時期話題になったところですね。いまとなってはモニュメントになってるんですけど。そのときもモニュメントでしたが、あのとき散々話題になっていたので興味はあったんです。

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この日も天気がどんよりと。あたりはすべて更地に近い状態になっていて、津波が確かにこの地域を襲ったことがわかります。その更地になった区画がそのまま見渡す限り広がっていました。それがまさに被害のスケールそのものなのです。その中で1本だけとどまっていたのですから「力強さ」や「希望」の象徴になるのもうなずけます。

人間失った悲しみを乗り越えることは相当困難なことです。離別を簡単に受け入れられるものでしょうか?「前を向け」という簡単なのですが、それを行うことが簡単だとは限らないのです。だからこそ、「奇跡の一本松」はそれがすべてというわけではないのでしょう。それでも乗り越えようとする人々にとっての支えなのだろうそんなことを思うのです。

戻りのBRTで気仙沼に戻り、再び最長片道切符のルートに戻っていきました。

38本目:気仙沼10:56→BRT→前谷地13:27 2h31m

BRTはバスということになりますので、停留所を細かく作ることもできますしおそらくコストも安い。運転ダイヤもわかりやすくなって利便性は上がります。

この一般的な説明には同意ですが、やはり移動は遅くなりますね。海を眺めつつ鉄道であれば1時間強でいけるくらいの距離だよなあと思いながら。だって2時間半かかったんですから。まだ見えぬ石巻となるわけです。

寝不足と半ば格闘しながらようやく前谷地までたどり着きました。柳津からは鉄道もBRTもどちらも走っていましたが、このままこの時はBRTを利用したことが記録に残っています。

39本目:前谷地13:53→普通1637D→石巻14:12 0h19m

前谷地で待っているととても暑かった。そんな記憶が残ってます。再び鉄道に乗り換えて今度は石巻へ。石巻線は女川まで線路が伸びていますが石巻で降りるとようやくお昼休憩です。

この日のお昼は石巻焼きそば。いわゆるB級ご当地グルメというやつです。ちょっと前にブームになっていましたがこのときはまさにそうだったと思います。

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目玉焼きがトッピングされております。もちろんおいしいです。

ただ、店の柱(だったと思いますが)に印が引かれているんです。なんだろうと思って確認してみると「津波が来た高さ」でした。こういうところにもまだまだ爪痕が残っていることを思わされました。1Fのフロアは完全浸水だったようです。逆に言えば、いまそのグルメにありつける現実は、それを乗り越えたことに他ならないのです。

40本目:石巻14:58→快速5534D→塩釜15:42 仙石東北ライン 0h44m

石巻からは高城町まで仙石線を経由し、分岐線からわずか300メートルとされる仙石東北ラインを渡って、東北本線へ合流します。

津波対策ということもあって、線路は付け替えられまして上から見下ろすような光景が広がります。その真新しい線路の上を仙台まで直通する快速は勢いよく走り抜けていきます。

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線路を直進すると仙石線を引き続き進むことができますが、右側に分かれると仙石東北ライン。奥には合流先の東北線が見えます。

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仙石東北ラインはあっという間に東北線へ合流しました。一応松島駅の構内扱いなのですが、松島駅は後方にありますのでこの駅に停車することはできません。なので、ひとつ先の駅の塩釜駅で、乗り換えることで松島駅そしてその先の小牛田駅を目指すことになるのです。

41本目:塩釜15:43→普通2551M→小牛田16:11 0h28m

直通快速を塩釜で降りると反対側に小牛田行きの普通列車が止まっていましたのでそのまま飛び乗りました。乗換案内なら「次の15:59発まで待ちなさい」になるんでしょうけどここはそのまま突入です。

42本目:小牛田16:48→普通1739D→古川16:59 0h11m

こまめな乗り換えになりますが、小牛田からは陸羽東線で一旦内陸に入ります。東北新幹線は小牛田に入らずに古川駅で接続しているからです。

このままいけば鳴子温泉峡。有名な温泉地に行くことができますが、そんなことをしていると日程を消化できなくなってしまうため当然断念。

古川駅では、そろそろ現金が尽きてきたので引き出しと休憩がてら近くのスーパーで買い物って日常生活みたいですが、限界旅行をするにはこういう場面も必要なんです。毎日大量現金放出というわけにはいかないんですよ。

ということでついでに買った弁当類を食べたこともあり新幹線には2時間後乗車。

43本目:古川18:55→新幹線やまびこ54号54B→仙台19:08 0h13m

E2系この頃はいっぱい走ってたんですよね。ああもう過去の話です。わずか10分ほどで仙台駅に着きますが、一旦福島駅までは新幹線に乗ります。そのあと再び在来線で仙台市の南にある岩沼まで戻ってから今度は常磐線で南へ下っていくんです。このあたりは乗車券の経路を指定する際のルールに従っているんですがややこしいことをするわけです。最長ルートとはそういうものです。

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44本目:仙台19:20→新幹線やまびこ220号220B→福島19:46 0h26m

E5系に乗ったのはこのときが初めて。確か、時刻表で確認してあえて乗り換えたように記憶しています。福島までも新幹線ならたった数十分。在来線なら70-80分くらいはかかるはずなんですけれど。

福島駅で降りて在来線ホームに向かうとちょうど札幌行きの北斗星が通過していきました。あれ、この1週間くらいかけた道のりを10時間とか12時間とかで戻れちゃうんだ?という疑問はさておきですけれど。

このときはE5系に乗れるだけで新鮮味があり、今度いつ乗るんだろうなんて思っていました。しかしそのあとH5系と合わせてその後5年の間におそらく8回ほど利用しています。

45本目:福島20:50→普通591M→仙台22:11 1h00m※岩沼まで

はい。接続がありませんでした。そのまま1時間以上待ちぼうけしてからようやく来た普通列車に乗って東北本線を再び仙台方面へ。本当は途中の岩沼から常磐線に入って南下すると東北はほぼ終了するんですけれどもうこの時間です。仙台駅で乗り越し精算することにして岩沼をスルーしてそのまま仙台へ戻る決断をしました。

ということでなんとか仙台に戻ったらもう午後10時過ぎ。このあたりからビジネスホテルなどよりネットカフェのほうが便利になってくることもありまして、ネットカフェに宿泊になります。

貴重品紛失は怖いので鍵をかけて保管するんですけれど(仙台駅からほど近い店でした)、靴をしまい忘れていたんです。

すると隣の男の人がそのままぼくの靴をはいってしまうではありませんか!つまり、盗難です。

びっくりしたぼくはなんと靴下をはいただけの裸足でそっと追いかけました。外へ出るのかと思いきやそのままトイレの方向へ。「それなら後ですぐに取り返さないと」と焦りました。

そこでふと思ったんです、男性ですよね?なんで女性用のトイレに入っていくんですか?そっち違うんじゃないの?おかしくないですか??

その男の人そのまま女子トイレに入ってしまったんです。


結局、靴は戻ってきました。「あ、あんたのか?」みたいなボーっとしたセリフがその男から返ってきまして。どうも酔っぱらってるんでしょうか。なんか視線も微妙に焦点があってないような。すぐにしまいまして事なきを得ましたが、物の管理には注意しなければいけません。

ちなみにその男の人、女子トイレに入り浸るのはレベルが高い(もちろん褒めてないです)。そのうち捕まるんじゃないのって思いました。


9日目:2015/08/04(仙台)岩沼→郡山 曇り時々晴れ

この日の仙台の朝はとても暑い。うわあと思いました。

46本目:仙台11:15→普通242M→亘理11:49 0h17m ※岩沼から

この日は、代行バスを使います。この頃は原ノ町から竜田と福島第一原子力発電所の近くを通る区間の代行バスが出るようになったばかりです。その区間は確か1日2本しか設定がなく、朝便は夜10時の仙台着で早起きしても日程が苦しいうえに間に合わないような感じでしたので没案となりまして。

それで出発が11時になったので無駄に暑い時間に外に出るという悲劇になったわけです。

亘理駅に降りてもまあ暑かった。


47本目:亘理12:00→代行バス→相馬13:01 1h01m

鉄路は浜吉田まで続いていたのですが、代行バスへのお乗り換えは当時この亘理駅を案内されました。のんびり走ると13時前に到着。上のやつは定刻だった場合の時刻ですので。

そのあと再び待ち時間を経由して今度は再び鉄路に乗り換えて原ノ町へ。


48本目:相馬14:26→普通136M→原ノ町14:44 0h18m

たった20分弱なんですけれども再び列車に乗り込みます。確か701系だったような…

あっという間に原ノ町について放り出されました。今度は竜田まで代行バスです。当時原発事故による影響で「帰宅困難区域」という立ち入りを制限されていたエリアを代行バスで通過することを試みます。

ただここでも2時間待ちだったんです。実に暇でしたね。もうちょっと仙台で観光地めぐるかして時間を使えばよかったでしょうか。

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いまだったら、きちんと対岸のホームへ行ってある程度構図を決めてシャッターを切っていたことでしょう。このときこの撮り方。651系ひたちがここで孤立したままになっていました。塗装が劣化していたので寂しいものがありました。時間の経過とそれでも変えられない現実というものがあるような気がしました。


49本目:原ノ町16:50→代行バス→竜田18:15 1h25m

さて、時間が近づくとバス停へ移動します。


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おそらくいまはこのバス停標識ないんでしょうね。途中停車はありません。帰宅困難区域で停車する必要もなければ、停車してドアを開けること自体「?」な話になるわけです。

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そして、住めないくらい被ばくしてしまう可能性ありと当時はされていました。そのため、被ばく量についての告知や注意事項がいろいろと掲載されていました。

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駅前ロータリーに、その件の代行バスがやってきました。

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そして、バスには線量計が設置されていました。

出発すると、最初は町中を進みますので特にこれといったあれはなかったのですが、町中を出て国道へ入って南下を始めると突然人の気配がなくなります。

北海道に住んでいますので「人気がない」というのは慣れてはいるんですけれど、そういう「人気がない」というのとまったく空気が違うんです。北海道は本当に民家がないんですが、この道路には民家があります。

でも、人の気配がないんです。多分、建物があるのにそれがよく見ると朽ちていてそれでいていそうな人の気配がない。なんかこの矛盾があるからこその「違和感」あるいは「異様な雰囲気」というものだったのかもしれません。

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車窓を食い入るように見つめていました。写真で見るとあんまりそういう感じもしないかもしれないんですが、当時は線量計もあってのこの雰囲気です。もしかしたら雰囲気にぼく自身が飲まれたのかもしれません。

東日本大震災の後の原発事故がこのあたりの一帯を変えてしまっています。自然がもたらす災害は確かに恐ろしいものがあります。

しかし自然災害がトリガーだったとはいえ、人が作ったものがその周囲を人が(永遠ではないにしても)住めない土地に変える・変える力を持っているという事実には慄然とせざるを得ませんでした。責任を問うべき事情はない(という意見にぼくが賛成するかは別だけど)しても、やはりこの事実は受け止めるほかないのだろうとそう思った瞬間です。そして、それに対してひとりは実に無力であると。

ちなみに、途中で線量計は何度かものすごい勢いで跳ね上がりました。それが何よりも4年前に大変なことが起きたことを如実に語っていました。

やがて雰囲気が元に戻りました。竜田駅に着いたのです。

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予定より30分ほど早く着きました。民家の向こうに夕日が漏れてそれがやがて沈んでいきました。やはりあまり人の気配がなく、日暮れの寂寥感が周囲を包んでいました。

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ホームから仙台方を臨みました。この向こうはこのとき分断されていたんです。この向こうに列車が走るのは遠い将来のことだろうとこのときぼくはそう思っていました。

50本目:竜田18:29→普通686M→いわき19:03 0h34m

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やがて待ち望んでいた普通列車がやってきました。ちなみにこの時はこれより先に代行バスの区間がありませんでした。ホッとして乗車するとあっという間に日が暮れていきました。


51本目:いわき19:45→普通744D→郡山21:16 1h31m

実は、郡山に行ける最終便です。いわきで休んでもよかったのでしょうけど、明日以降の予定を考えて郡山まで頑張りました。


そういえば、景色を見るの「景色」は何をもってそう呼ぶべきなのでしょうか?景色といえば美しいもののはずだーぼくもそう思っていました。でも、ここまで来て見てきたものはどうでしたでしょうか?

確かに青空や美しい緑もありましたし、霧の向こうから列車が来る瞬間はときめくものがありました。特に霧の向こうからくる夜行列車なんて案外貴重な経験でこれから何度も出会うような話ではないでしょう。

ただ他方では、津波の傷跡、原発事故による帰宅困難区域の姿ー厳しい現実あるいはネガティブな光景も確かにありました。

確かにネガティブなものに焦点にすることは回避できることかもしれまsでん。前を向くためには必要なことだとされるのだと思うのですけれど。最近「そういうのばかりに焦点を当てないほうがいい」ということはよく言われます。

久しぶりに辞書を開いてみました。

旅行=家を離れて他の土地へ行くこと。旅をすること。たび。

出典

もちろんほかの土地に行くときに、絶望を期待していくことはあんまりないのでしょうけれど、ただ旅行をしていて「いいもの」だけに出会うことは保証の限りではないと思うのです。どういったことであっても、そのすべてが「旅行」でありその歩みであると受け入れなければいけないのではないか、当時、言葉にはできていませんでしたがそんな考えを抱くようになったのはこのあたりの出来事がきっかけになったと思います。

「見たものはすべて現実として受け入れるしかないのだが、おまえ、できてないんじゃないの?」そんな厳しい問いかけをされたように思えました。


夜ひたすら走り続けるローカル線は長い。早く着かないかなあと90分。ようやく郡山に着きました。いろいろなことを投げかけられた東北の旅が終わったのです。すでに夜9時を回っておりまして。ネカフェにログインしてそのまま休みました。

旅はこのあと首都圏へ、最長片道切符のルートで最初の山場に差し掛かろうとしていました。

(つづく)

北上→郡山間の小計 乗車時間13h06m/16本乗車

総合計 乗車本数51/乗車時間66h26m


つづき


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