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スペースオデッセイ

あいかわらず、ワクチンが足りないようだ。平仄を合わせたように、「ワクチンを受けたくないひとが多い」という情報が流れてくる。事実、不安を口にするひとを見かける。
ワクチンの問題は多岐にわたる。mRNAを利用した、今まであまり使われていなかった技術であること。臨床試験の期間がほとんど取られなかったこと。脳出血などの、蓋然性のある副作用情報が流れること。明らかに多くの人に多かれ少なかれ副作用があると発表されていること。そしてデマ。でも副作用情報が出ていることは健全だ。「大丈夫」一本槍で情報が隠されていることこそが、不安の種だ。脳出血を起こしたとしても、回復させる医療技術はあるし、可能性を知っていることで対応することができる。

それでも沸き立つ不安には、「私の遺伝情報への介入?」があるのだろうか。私は誰にも揺るがされることのない私であり、変化してはいけないものだ、という決定論的な思考は、20世紀の偉大な神話、セントラルドグマが生んだ。一方21世紀のゲノム科学は、遺伝情報の共同性と広汎性を明らかにしている。

地球上の生命は、どんな意味でも孤立した「個」ではない、というのは皆さん了解されているのだろうか?パンスペルミア説のように、生命は宇宙規模で情報交換をしている。情報交換とは、汚染とも読むことができる。P. K. ディックの小説に、宇宙人を食べて宇宙人(ブタ)になるというものがあったが、食べること、交接すること、濃厚接触すること、空気を吸うこと、水に浸かること、、全ての生命活動は、何らかの情報交換、ゲノム汚染を伴う。それを前提に生命とやらは組み立てられている。
例えばちょっと前まで、腸内細菌の存在はそれほど重要視されていなかった。細菌が遺伝情報を簡単に交換して、例えばO-157のような強毒性大腸菌が生まれることが分かっていても、私たちには関係ないと思っていた。ひとはヘルペスに悩み、インフルエンザに罹り、ワクチンを接種され、健康だと思って生きている。私、は、毎日ちょっとずつ変わっているのだ。ゲノム的に。ビーガンでも肉食でも。
死もまた、物質的には何かなくなることではない。情報的に何か消すことは大変です。絶滅危惧動物の遺伝情報を、完全に絶滅させようと思うと、近縁種まで含めた消滅を図らなければならず途方もない時間がかかる。その一方、その動物/植物は簡単にいなくなる。

遺伝子という安定な土壌の上で、生き物はゲノムという歌を歌っている。外来の、あるいは新規の遺伝情報は、何もゲノムに入り込まなくても構わない。ゲノムの周りの環境が変われば、もうゲノム情報の読み出され方は変わるはずだ。あなたの食べたものが、あなたの触れたひとが、あなたの受けた医療がワクチンが、全てゲノムの環境を構成して、新しいあなたを生み出して行く、あるいは、あなたの骸が薄い皮のように脱げて行く。あなたはもういない。新しい歌が聞こえ始める。

今は、COVID-19 という遺伝情報が、ヒト類の中にスターチャイルドを育てているようだ。ワクチンであってもウイルスであっても、食生活や環境変化であっても、私たちのゲノムは流れるように変わって新世代が生まれる。ウイルスはいつも、私たちに介入する生殖外遺伝情報なのよ。

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