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トークイベント『他者の目 他者の声』(黑田菜月x清水裕貴)①

さいとう読書室は構造材がそのまま露わになっていて、そこに棚がだーっと。ご家族の蔵書を置いているということで、古書店ではないのね。読むところ。カフェもあって、ドリンクをいただきながら話を聞いた。

黑田さんは映像で、他人が何をどう見ているかを意識した作品を作っているらしい。

その家のはなし
ある部屋の写真を見た人に何が見えるか言葉で描写してもらうことだけを依頼したのに、そこで暮らす人の思い出も一緒に語られてしまった。もともとあるものはフラットなのに、ヒトとの関係がからむとウェットになってしまう。うん、そりゃそうなるわ。でもたぶん字で書かせたらそうはならなかったかも?interactiveであることもウェットになる要素かも。

黑田さんは、「見えたものを語ってほしい。それが正解」って言う。けどさ、ここんとこ私がずっと言ってるけど、キャプション読むと感想が変わるじゃん。てか、意図を知ってると知らないとでは、何見た気になってるの?ってことにならないかね?これずっと言ってるよね私。

友だちの写真
いかに、空気を読まない、自分の意見を引き出すか、がだいじで、それを求めて、そこに至るまでに相当考えて下準備したって。スマホカメラではなく操作性のあるポラロイドを使わせるとか、発表の舞台を設えて意見を言いやすくするとか。策士的。

でもその一方で、見えてほしい方向性もある、と。ちょっと最近テレビでよく聞く芸人さんの葛藤と似てるかなと思った。ウケたいけど、ウケ狙いのネタではなく、自分がしたいネタをやっていきたい、という。えー、なんか違うか?

それから権力勾配というワードが出た。撮るほうが撮られるほうより必ず力関係では上になってしまう。結局、撮るのも編集するのも作家でしょ、と。それって素の意見そのものじゃないんじゃないの?という意見。写真だけだと、そんなこともないんじゃない?という気もするけど、ドキュメンタリーだと、たしかにそうだよねえ。黑田さんは、そのあたりもうまいことするって言ってたけど詳しくは忘れた。


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