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透明日記「宗教を思う」 2023/08/27

プログラミングの勉強の合間にふと、宗教について考えた。

昔、「神は死んだ」と聞いた。しかし、現実の社会を見るにつけ、神に何らんかの力が働いたのだろうが、死んではいないとも感じる。たぶん、神は砕かれたのだ。砕かれ散った神の肉片は新たな神々が生まれる下地となり、人間を支配している。

拝金主義が神となり、効率主義が神となり、ヒューマニズムが、ナショナリズムが、長生きが、無農薬野菜が、神となる。あらゆるイズム、あらゆるスタイル、あらゆるポーズが神となる。行動原理としての神々の働きは凄まじい。それらの神の周辺に、よりどりみどりのスピリチュアルもある。

宗教は経済の道具となり、ブサイクな神々に人間が消費される。普遍宗教の権威は毀たれ、救いあぶれた人心は金で神を見繕う。社会は神々で溢れかえっている。それは原初的な、万物に神々が宿る的な宗教ではない。全く新しい神々だ。それを俗宗教と呼べば、俗宗教の神々はそれぞれのテリトリーを持ち、人間はテリトリーからテリトリーへ右往左往することしか許されていないかのようだ。

普遍宗教は秩序を保つ、画期的な道具だったんだろう。根源的な秩序が失われ、果てには人間を労働に結びつける「社会人」という、曖昧な定義で人心を制御する便利な神も生まれた。

宗教の行方はどうなるのだろうか。宗教心というのは胡散臭いが、なにか、人と人を結びつける上で、倫理の根っことして、重要なもののような気がする。

ぼくは信仰心が薄い。宗教にも疎い。神様が救ってくれるとか、神様に失礼だとか、よく分からない。法事とか、墓参りもサボりがちだ。「お天道様が見てる」よりも、「だめだ、馬が見ている」(つげ義春『ヨシボーの犯罪』)の方が好きだ。

それでも、宇宙や地球や石ころや動植物といった万物が生まれ死ぬることに思いを馳せ、薄っすらと万物に心みたいなものを感じるときがある。平等に、移ろいゆく性質で繋がっている。大きな繋がりの中に自分自身を見る。恐ろしく無力な存在であることを自覚しつつ、大きな流れの一脈であることを意識する。

そんな、どこかで覚えたような信仰のおかげかして、淡々と暮らしている。いいことなのか知らないが。

宗教と関係のない、変な詩を書いた。

「七五調言語障害」
日本文化にのめり込み過ぎて七五調
でしか喋れなくなったアメリカ人ジェフ
が勧める総合的人材のための現代短歌選集
を読むとメキメキと労働が捗り、応用力が身に付き、俺はすっかり総合的人材として完成した
ものの、ジェフは七五調のマシンガントークで俺の張りぼての総合性を粉微塵にした
ジェフよ、俺はそんなにも字余りなのか

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