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靴下プレゼントは喜ばれる

 靴下はどちらかと言うと好き。

 年間を通して振り返ると、外に出る直前に履くことが多い。どこかへ行くためのルーティーンの最終段階。靴下を履くと屋外仕様の私が完成する。靴下を履くわずかな時間、気持ちにちょっとだけハリが生まれる。これから行くべきところがある程度、決まっているからかもしれない。
 靴下を履くと、井上陽水の「傘がない」を口ずさむ。「行かな〜くちゃ、君に〜逢いに行かなくちゃ」ってところ。口ずさみながら、家の中をウロウロする。「君」には、恋人はもちろん、友人、コンビニ、近所の川、市役所、行きつけの店など、さまざまなものを当てはめる。だいたいの場合、玄関で靴を履く段階で、「傘が、ない〜〜」と締めくくり、晴れた外の世界に飛び出していく。外出ソングとしては万能な歌だ。

 まあ、しかし、靴下はよく分からない所が多い。

 冬場に家で履く靴下は、期待したほど温かくない。履いてると余計に足の冷えを感じることさえある。履いてるから温かいと思いたい。けど、やっぱり足が冷たくて、靴下の上からさすってみるものの、全然熱が伝わらず、靴下に疑惑が生じる。仕方ないから靴下を脱ぎ、膝の裏に爪先を挟んで温める。

 また、靴下には不足する期間というものがある。ふと、履きたい靴下がないことに気付く。穴が空いていたり、ゴムがよれていたり、何やら、どの靴下もくたびれている。だから、買おう買おうと思う。新しい靴下、新しい日々、新しい私、素敵だ。それでも、靴下は買い忘れられる。毎日履くのに、あまり気に留められない、哀れな存在。仕方ないからザコの靴下を履いて日々をしのぐ。
 しかし幸いなことに、私の周りでは靴下のセーフティーネットがあるらしく、靴下がないと思っているとプレゼントされる。素晴らしく嬉しいプレゼントだ。金額も小さく、気後れせずに受け取れるし。ちょっとデザインが気に食わなくても、あまり目立たないから気にせず履けるし。先日、年を重ねるほど靴下のプレゼントが喜ばれるらしい、と知人に聞いたが、本当にそうだと思う。

 あと、靴下について思うことは、なぜ脱ぎ捨てられた靴下は独特の汚いオーラを纏い始めるのか、なぜいつの間にか片方だけになり、その片方だけを保管し続けてしまうのか、なぜ靴の下と書いて靴下とされているのか、色々とある。
 色々あって、不思議で、あわれな奴だが、これからも靴下を履いて外に出掛けたいと思う。改めて言うほどのことではないけれど。

 次回は、「靴」でやります。

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