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透明日記「風が強くて自然が広い」 2024/08/29

朝、坂口尚の短編集を読む。絵の中に光と風が描き込まれていた。草の感触や匂いまで伝わり、自然に深々とおかされるような気持ちがする。絵も言葉も堪らない。三冊読んで昼過ぎになる。

パンを食う。豚肉と卵を焼いたもの、きゅうり、トマトを挟む。豚肉は微妙だったので、二枚食べようとしたパンを一枚で止めた。

台風のニュースがテレビに流れる。連日、台風情報を目にする。台風とこんなにも関わり合いを持つようになるとは思わなかった。少し不安になる。

午後三時ごろからだろうか、台風で、ということでもなく、気持ちがずんずん沈んでいく。何をするにも手遅れで、もう何もできないような気がする。生き損ねてしまった、と思う。

いっそのこと、名前を捨てて、遠くへ行きたい。今生を捨てて、遠くへ。海辺で過ごしたい。日差しばかりが強い異国の貧村で、言葉の通じない浮浪者たちと肩を並べて、日向ぼっこをして過ごしていたい。

飛ぶ鳥を見つけたら、みんなで空の彼方を指差して、笑い出す。歯の少ない口で、ヘラヘラとアホのように笑う。笑った拍子に誰からともなく、歯の少なさを競い合い、一番少ない者が満面の笑みで場を沸かす。だらだらと、野の果物などを食い、笑っていたい。

台風では海に行けない。ほんとうは、行く気などない。ただただ、生きるということが重たい。急にしんどくなった。

外には吹き上げるような不穏な風が吹く。人が歩いたり、車が流れたり、いつもと同じような街の流れがある。

しばらく歩くと、重たい気持ちが軽くなっていく。家でゴロゴロし過ぎたのかもしれない。ずっと家にいると、時間の流れが分からなくなる。というか、時間が固くなる。自分を離れて流れる時間が見えなくなる、と言えばいいのか。よそで流れる時間が目に入らないと、自分の時間に束縛されて、息苦しい。

外に流れるものを見ると、少しマシになる。買うものがあったので、街の方へ行ったが、川の方へ行けばよかったなと思う。

川には、人間的な時間とは関係のない時間がたくさん流れている。突っ立っている鳥が、特有の時間で過ごしている。そんな自然を眺めると、自分の生きている時間が、数ある時間の一つだということを思い出す。

自然の中で、自分はちっぽけだなと思う。と同時に、自分の時間も数ある時間のうちの一つに数えている。なんだか、生きている時間が肯定される。川に行きたい。海ではなく。

薬局に寄って、カフェで小説を読む。まだまだ時間は固かった。あんまり気持ちがほぐれていない。しばらく本を読み、カフェを出る。

夜の街。ぼうおうと風が吹く。草原にでもいるような気がした。歩道を歩いていても、街にいるという気があまりしない。自然が街を凌駕している。はるかな過去か未来から、人間の生きていた時代を眺めているような気分。周りには人工物ばかりなのに、どの人工物も、かりそめ、という感じがする。

風と空を強く感じる。自然が広い。街の中にも広がっている。家に向かう曲がり角を無視して、東へ、東へと歩いた。

信号に阻まれるたびに、いま曲がればすぐに帰れると思ったが、曲がらずに直進する。信号を渡ると、家に帰れなくなる気がして少し不安になったが、帰る家がないような気もしたので、夜の草原を進むように歩いた。

風に誘われるがまま、一駅向こうの街まで歩く。真っ直ぐ進めなくなったので曲がった。街路樹が並ぶ暗い歩道。向かいのパチンコ屋の照明が樹々の隙間から漏れている。秋の虫が鳴く。

近くの団地から、女が犬の遠吠えを真似るような声が聞こえる。夜の道によく響く。風に風鈴も鳴る。夜の川辺を歩くよりも、暗い街の方が怖い。

しばらく真っ直ぐ歩いていると、団地の方から女の咽び泣く声が聞こえた。遠吠えの女だったかもしれないが、分からない。また風鈴が鳴る。夜が歪んで怪しくなって、帰りたくなった。

坂道をくだる。周りには団地が多い。夜の団地は不気味なオーラを放っている。ますます帰りたい。墓地がある。墓地の向こうの曇りの空に雷が光った。草原を歩く気持ちはいつしかなくなり、後ろに何かがついてくるような気がする。灯りの少ない不気味な坂だ。前からそう思っていた。不気味が背中を撫でてくる。

坂の終わりの信号で待っていると、頭のどこかで、子供の背丈ぐらいの大きなカエルが、おいでおいでをする。アレを相手にすると、へんな所へ連れていかれるなと思った。無視して、歩いていく方向を見る。

うねうねと曲がり、家の近くのコンビニに辿り着く。コンビニに入ると、不気味だなあという感じはしなくなった。おにぎり一つとタバコを買って家に帰る。

まあまあ、夜になっていた。

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