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道具を使うと身体が変わる

 道具は好き。道具にもよるが、好き。便利やし。ないと困るし。なんか、道具の意志に合わせなあかん不気味さもいいし。

 三年前、30歳で初めてカレーを作った。簡単だと聞いていたけど、疲れた。できたという達成感に満たされて、食欲はあまり湧かなかった。
 初めてのことは疲れる。慣れない包丁、慣れない火加減、慣れないピーラー、慣れないジャガイモ。身体の動きがチグハグになる。ジャガイモの持ち方も、ピーラーの角度も手探りだ。ひと皮剥くたびに、いかに身体にフィットした状態で作業するかを考えさせられる。道具に使われている感覚。包丁で切ればジャガイモは変な粘液で包丁に引っ付くし。食材ごとに力の入れ加減も違うし。
 料理のあとは、頭にかあーって小さな熱が広がった。知恵熱ってやつなんだろう。

 料理の他にも初めてスノボーをしたときに、頭がかあーっとなった。長野の白馬村だったと思う。日中、雪山を滑り続け、雪山に転び続けた。重心の移動を身体で覚え、上手くコケる技術にもいくらか通じた。風呂を浴び、部屋に帰って畳の上で仰向けになると微睡んだ。
 このとき頭がかあーっとなっていた。目を瞑ると、スノボーの感覚がありありと蘇る。前方には真っ白な雪の斜面が見え、端には木々が流れていく。耳には風が唸り、ボードが雪に擦れる音が聞こえ、全身にはボードを操る感覚がみなぎる。現実に滑るのと同じだった。
 幻覚の雪山は終わりが見えない。そこで気付いた。さっき部屋に帰ってきたはずだと。名残惜しいが、目を開けた。目を開けると雪山の滑走風景は消え、動かない天井がポツンとあった。
 気になってもう一度、目を瞑る。薄闇の中から滑走風景が前景化し、スノボーの幻覚が身体を満たす。あまりに不思議だったので、何回か目を開け閉めして、スノボー幻覚の開け閉めを楽しんだ。

 料理、スノボー、初めての道具で頭がかあーっと火照るのは、疲れるけれども心地よい。道具の意志に合わせて身体の微妙な動きを修正していく。自分の身体が、慣れない身体に変わっていき、疲れる。その中で、道具に強制されつつ、言うことを聞かす。道具を使えるようになってくると楽しい。
 この点、道具と人は似ている。初めのうちはお互い、どんな自分であればいいのか分からないが、シチュエーションに応じて心の形が変わってくる。心が変わると身体の固さも変わる。
 対峙するだけで身体は相手仕様に変わる。考え方も相手仕様に変わる。人間は多面的で、状況次第であらゆる面が出てくるけれど、相手が変われば自分も変わり、自分の知らない一面が顔を出す。それは、不気味で、面白いことだ。

 次回は、「自我」でやります。

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