見出し画像

推しとの距離感は遠いほうが気が楽な話

「コミュニケーションは受け手が全て」というが、受け手の逆は「攻め手」でいいんだろうか?

それはともかく。

コミュニケーションにおいて、何気ない言葉が相手を傷つけることはままあることだ。
今は芸能人や有名人、配信者などの「推し」とSNSを通して接することができる。
簡単に応援できる一方、その人を傷付ける可能性のあるコメントも推しの目に止まる可能性もある。直接コメントしなくても、何気なくSNSで書いたことが推しやファンの目に止まり、下手するとブロックされることもありうる。
ネットにおいて発言には十分注意しよう、あなたの推しはあなたのコメントを見ているかもしれない。

以上はまぁ、現代の一般常識だろう。


「あなたの推しはあなたを見ているかもしれない」で困るのは、「推し変」をしたときである。
推し本人に推し変バレるのって、「一回行きつけの美容室とは違うとこ行くと、なんかその後行きづらくなる」って感じで、相手は気にしちゃいないだろうけど、なんとなく後ろめたい。

SNSで一方的に応援する程度なら、推しに認知されることなんて稀だろう。
でもイベントに赴いたり、直接会って喋るような経験をして、その写真をSNSに投稿してたら「あ、この写真あの人かな」くらいの認識をされるかもしれない。
もしかしたらたまにアカウント見られてるかも。

その後ろめたさのせいで、もう情熱もないのにイベントあったらリポストだけするような「義務活」しちゃって、こっちのことなんか見ていないであろう推しのために「まだ推してますよー」と言い続けるのは、楽しむための推し活も面倒になってくる。でも、後ろめたさがあるからなんとなく続けてしまう。
「推し」というのはコンテンツであるが、コンテンツを人間扱いし過ぎるとなんだか窮屈な感じだ。

そう考えると、即推しにしようが飽きようが、ガチ恋しようが蛙化しようが、二次創作で○○しようが××しようが○△▫︎しようが、誰と○○○○させようが誰と☆○△▫︎●⬜︎▽★をさせようが気を遣わなくていい二次元はつくづく最高である。

「攻め」の反対は何って聞かれたら、模範解答は「守り」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?