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波佐見の1万年を旅するような語り

長崎県波佐見町には、女王がいたらしい。けれど大和朝廷に逆らって滅んだ。その女王率いる人たちは大和朝廷から「土蜘蛛」と呼ばれていたという。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

今日は波佐見町の学芸員のおふたりに話をうかがってきた。この町のことを「Hasami Life」というWEBメディア(波佐見焼のお買いものもできるよ!)で伝えていくために、そろそろ知識を自分の中で体系立てていってもいいんじゃないかな〜と思ったのだ。

まったく知らない状態で聞きに行くのと、半年以上住んで聞きに行くのと、やっぱり違うもんね。今年2021年は歴史もより楽しみたい!

ということで学芸員さんを全力で頼った。

波佐見の歴史を深堀りして、旧石器時代から現代に至るまで、旅するように物語を語ってもらった。確証のない伝説のたぐいと文献に残っているものを分けて話してくれるのがありがたかった。

ここで今日教わって覚えてることを並べてみたいと思う。間違ってたらあとで訂正します!

旧石器時代の遺跡が見つかっており、そのころから波佐見には人が住んでいたらしいこと。弥生時代には女王がいたらしいということ(「肥前風土記」に浮穴郷と記されている場所が、確証はないものの土地の方角などから波佐見エリアでは?とされていて、その地に女王がいた)。ただそのころの遺跡や、その後の古墳時代の前方後円墳みたいなものは見つかっていないこと。

鎌倉時代には波佐見一族が治めていて、文献にも活躍したことが記されていること。

もともと波佐見町は山に囲まれた「はざま」と呼ばれていた。町名はそこから来ていて、音に字を当てた説が有力だということ。

戦国時代には、ずっと県境で田んぼも多く比較的豊かな土地だったため、狙われていたこと。その戦いのための山城がたくさんあったこと。呪文を唱えて敵を倒す姫や、石を投げて敵を倒す姫がいたらしいこと。(???)

一時的にキリスト教が広まり、原マルチノを輩出した土地でもあったこと。一神教のためキリシタンたちが神社仏閣を焼き払ってしまい、古文書などがほとんど焼失していること。

豊臣秀吉の朝鮮出兵で、陶工をさらってきて焼きものの生産をはじめたこと。藩が異なる有田焼とはかなり早い段階から異なる路線を打ち出し、庶民派の焼きものを生産してきたこと。

などなど。

一気に1万年以上の時を巡る、学芸員さんとの語りの旅。

今日はまだ話を聞いただけ。すこしずつ、自分でも調べながら、膨大な時間を旅してみたい。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。