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感じていることは「ほんとう」だから。
この言葉を微笑みながら告げられたとき、静かに感動が押し寄せてきた。ハッとして、またたく間に心が満ちていく。いろんな人と対峙するとき、建前や言い訳や肩書きやらを重視することをやめた。わたしがどう感じるか。それだけ。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
以前、付き合ってる人と別れるか悩んでいたときに相談相手に言われたのが、今日のnoteのタイトルになっている言葉。
「わたしを好きって言ってくれてるし、悪い人じゃないし、頑張って打ち込んでるものもあるし、でも……」
でも、違う気がする。たとえば。行き違いがあったとき、彼は理由を説明してくれたけど、本心ではなく、どちらかといえば虚栄心。彼自身のプライドのための言葉と感じた。
「あなたがそう感じるなら、そうなのよ」
と、相談相手はさらりと言った。
「感じていることは『ほんとう』だから」
この瞬間、思い知ったこと。
わたしは、わたしの感覚を信じていなかった。
べつに恋愛においてだけの話ではない。仕事や、友人関係や、買いもの、すべてにおいて。感覚より、建前や言い訳や肩書き……目に見えてわかりやすいもののほうが、信頼できるような気がしていたから。というより、引け目に感じていた。ただわたしが感じただけの根拠のないことを、意志決定の要素に使っていいのだろうかと。
でも、目に見えるものだけを優先しようとすると、心がおかしくなる。ちくちくする首元のタートルネックを強制的に着せられてるような、心地の悪さ。
そうなのか、感じていることは「ほんとう」なのか。
「そうだよ、なんで無視してたの!」と自分の中の自分が憤慨していた。
いま思えば、わたしは本質を見ようとしていなかった。目に映るかたちを優先しようとしていた。それなら、誰かの評価や答えを真似できるし、安心できる。見えないものの感じ方は、人それぞれ。答えはない。自分の中以外には。
本質を見極めよう。感じたことを無碍にするのはやめよう。
すぐに恋人とは別れた。
すっきりしたし、安心した。世間から見て正解かはわからないけど、わたしにとっては大正解だった。
生きていく上ですごく大切なことに気づくきっかけをくれた彼に感謝している。
感じていることを、「ほんとう」と信じて生きていく。
わたしの感じることが、世の中の誰かに笑われても、否定されても。となりで一緒に信じてくれる人がいてくれたらいいなあ。と、思っている。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。