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この場所に住んで、わたしは透明になった気がする。

空気の大切さを感じることなく生きている時間が、長すぎる。波佐見に住みはじめて、気づいたことだ。呼吸をしないと生きていけないのにね。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

空気は、場所によって明確に異なる。とくに海外に行くとそのことを強く感じた。

タイは硫黄のような濃厚な香りがした。夜中にアユタヤで大きな野犬を見たときに、もっとも強く匂った気がする。でもなんだか、たまに無性にあの異国感のある匂いが恋しくなる。

ハワイはカラッと爽やかで、海の香りと陽だまりの甘さが混じるような、そんな空気。人々が陽気に過ごせる理由がわかるような匂い。ビンに詰めて外国で売ったらみんな陽気になれたりするかしら?

そんなふうに、遠い土地に行くと「空気ってちがうんだ」とつくづく感じる。でも、すぐに慣れてしまう。まるで適応しないと生きていけないんだから早く、とからだが急かしているみたいに。タイのむせ返るような匂いでさえ、9日間旅行でふらふらしてたら慣れていた。

毎日わたしたちが摂取している空気。でも慣れてしまうせいか、あんまり重要視している人は少ない気がする。わたしもそうだった。空気のきれいさより、交通の便とか、図書館の有無とか、おいしい中華料理屋さんが近くにあるとか、ネパール陣がやってるインドカレー屋さんがあるとか、そういうことばっかり気にしていた。

わたしは波佐見町の空気が好きだ。

ちょっと山を登ると、途端に空気が変わる。気持ちいい、澄んだ空気。

今日も鬼木郷の山の上から、夕暮れどきの月を見た。澄んだ空気がうつくしい空のグラデーションを生み出し、月をも輝かせていた。かの地に住むという餅をつくうさぎが、くっきり見えるほどに。

ここで深呼吸するたび、なんだか余計なものが剥がれ落ちていく気がする。どんどん、澄んでいく。わたしは風を浴びて、透明になる。

昨日今日でお餅をついたという鬼木の方から、お餅をたくさんいただいてしまった。あんこ餅まで。どうか体重も透明になってしまいますように、と年末年始のごちそうを手に願った。

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