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ほぼ毎日電話してる父に「話の本質は?」と問われました。

「自分で自分を忙しくして暮らしをおろそかにしていた」と気づいた最近。そんななかでも、ほぼ毎日続けていたことがある。離れて暮らす父への電話だ。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

横浜にある実家でひとり暮らしている父。ワクチンもなかなか順番がまわってこず、日々感染者は増えて病床使用率は高い。「もしも感染症にかかっちゃったら、家で死ぬだけだなあ」とポロッと言う。おそらく、間違っていない。

長崎に住むわたしに、どうすることもできないけど、日々電話をしている。「なにしてる? ごはんはなにつくった?」と、他愛もないことをきく。

「ほしかった中古のバイクが売れちゃってた!」「ゴルフの試合がおもしろかった」「なんでもレタスに巻いて食べてる」などなど、ささやかな父の日常をきいている。

横浜市長選のときには、「ハマ弁」のまずさについて熱く語り合った。

そんな電話を毎日、短いときは5分、長いときは30分くらいかな、続けている。マメな父なので、もしも電話に出ずにかけなおしてこなかったら、倒れていると思って助けを呼ぼうと決めている。

この話をこのあいだ美容師さんにしたら「お父さん、うれしいだろうね〜」と笑ってくれた。しかし、である。

2日前、父が急にこう言った。たぶん眠たかったんだろうが、言った。

「それで? この電話の本質はなに?」

本質などない。本質などというものがあるとすれば、安否確認であり、そのことはすでに何度も伝えている。

それを、もうおそらく1年以上はこうして毎日のように電話をしてきたのに、「本質」だと?

私「本質なんてないよ…わかった…じゃあもう電話かけるのやめるね…」(わざとらしく&しおらしく)

父「あーよかった! せいせいするわ! じゃーね!」(あまのじゃく)

ということで、昨日は電話していない。

わたしももう父のムスメを30年以上やっているのでわかる。

父はなんにもなかった風を装って、陽気に電話をかけてくるだろう。たぶんあわただしい平日ではなく、休日を待って。

そしたら、わたしはこうふざけて笑うのだ。

「それで? この電話の本質はなに?」

まったく親不孝なムスメだ。

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