見出し画像

人生の主導権は誰が握っているの?

仕事をしていると、わずらわしいことやイヤだなあと思うことも、ある。ゼロではない。でも、主導権はいつも自分にあると信じている。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

外野から文句を言ってくる人がいたり、考え方を押し付けてくる人がいたり、ミスしても謝らないどころか責任を押し付けてくる人もいる。(いまのわたしの状況がそうってわけじゃないです)

でも、どんな人がいても、「わたしは被害者だ」という格好はしたくない。

「敵だ」っていうのなら、まだいい。

堂々と意見を言い、主張をする。そうやって戦えたらいいけれど、ただ被害者でいるのは、イヤだ。

そういう自分に慣れて、つねに人生の「主役」じゃなくて「被害者役」になってしまう気がする。

だから、もし誰かのせいにしそうになったら。せめてそういう自分と戦うほうがマシだと思う。もっともっと自分を磨けるチャンスと思い込みでも思いたい。

あの人のせいにするくらいなら、距離を置こう。関わらないようにしよう。勉強しよう。経験を積もう。そうやって自分の行動を変える。

イヤな人といつまでも付き合わなくていい。自分の人生の時間を無駄にしないように、行動していく。

……とわたしが思っているのは、過去のわたしが「被害者役」だったからだ。

毎日怒鳴られて、言い分があっても主張できず黙って聞いて、頭を下げて、家で泣いて。未熟で至らない点ばかりだったとは思うけど、勝手な勘違いで怒られることも多かった。

それでも耐えた。耐えているうちに、わたしはわたしではなくなっていった。まさしく、主導権を握れていなかったのだ。

人を思い通りに動かすことは、できない。脅迫や暴力や支配などで動かそうと思えばできるのかもしれないけれど、そんなことには興味がない。

思い通りにできるのは、自分だけ。

その特権を、人生の主導権を、ぎゅっと握っていたい。

どんな人が相手でも、自分を尊重する。そうやって自分を大事にできることが、相手も大事にする前提にあると思う。

短い人生、嫌いな人や攻撃してくる人と一緒にいるのももったいない。人生の主導権には、命と同じだけの期限がある。

好きな人たち、尊敬できる人たちとともに過ごす時間を、いつだって大切にしたい。

必ず、どんな状況だって、自分の思いと行動で、いい方向に舵を切れる。今日のつらさが明日も続くとは限らない。自分が変える。そう信じよう。

わたしの場合、数年前から「いま」を見つめると、思いもよらなかった景色が見える。きっと、これを読んでるあなたもそうなんじゃないかなあ。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。