あのころ、わからない曲を何度も脳内リピートしていた。
音楽の聴き方が変わった。大学生になってiPodを手にした。高校生のころは登下校のときMDで音楽を聴いてた。その前はCD、さらに小学生のころには、車でカセットテープをかけていた。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
大人になるまで、音楽はCDやMDなど「モノ」を通して聴くものだった。
何年前だったか、とある東大卒の頭のいい知人マーケターは「くりたくらいが、モノを持ちたい意識がある最後の世代かもね」と言っていた。
いまは配信サービスやYouTubeで音楽を聴く人が増えて、わたしもよほど好きなアーティストでなければCDを買うことがなくなった。
気になった音楽はすぐに検索して探し出せるし、曲名がわかんなくったって鼻歌で曲を検索できる時代だ。
便利ですばらしい。
ただ、なんだか幼いころの自分の音楽の楽しみ方も、あれはあれでよかったよな、と思う。
テレビにくぎづけになって、流れてくる曲に耳をすませる。それが誰のどんな曲かもよくわからない。曲名さえあいまい。でも好き。好きだから、歌ってみる。
あれ? あんなに気分が高揚したのに、メロディがわからない。
それでも、曲が頭の中で流れる。あんな音かな?こんな音だった? 歌詞も溶けてあやふやになっていく。
夕暮れどき、おつかいを頼まれてコンビニにひとり行く道でも、ちいさく口の中で歌ってみる。やっぱり歌えない。あの曲が、好きなのに。メロディが出てこない。歌っていたら、もうまったくの別物になってしまって。
もどかしい。何度も曲を脳内リピートしては、うまくいかず、好きの気持ちだけが胸を焦がす。
そしてまた、数日後に曲を耳にして、「あの曲だ!」とよろこぶ。ほんとにあったんだ、こんなすてきな曲が。そううっとりして、にやける。さっきまでうまく思い出せなかったメロディを聴いたときの快感といったら。
もう二度と出会えなかった幻の曲もある。記憶にもないけど、ある。
ああいう快感って、もう、味わうことないんじゃないかなあ。味わわなくてもいいんだけどさ。あれはあれで、不便なりにしあわせだったんだよなあ。
十代半ばのわたしにいちばんの謎脳内リピートをもたらした曲を、今日聴いていた。劇場版天空のエスカフローネの挿入歌「SORA」。
夜中にテレビをつけたらCSでやっていて、アニメの内容よりもなによりも、その曲のうつくしさに心惹かれた。
あたたかくて、儚くて、切なくて、懐かしくて、胸が締め付けられる。
しかし、なんて曲なのか、わからない。アニメのこともわからない。この曲の場合、メロディはあたまに残っていて、でも歌詞がまったくわからない。わからないだらけ。
妄想だけがふくらんでいく。あれって英語かなあ? それとも違う外国語? たまにお風呂で「ららら」で歌ってはもやもやする日々。
その後、ネットで調べて、曲にたどり着いた。そして歌詞がまったくわからなかった理由がわかった。この曲、造語曲だったのだ。どこにもない言葉。
そのときから、菅野よう子さんのつくる曲がより好きになってしまったんだよなあ、なんて思い出した土曜日の昼下がりでした。
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