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どうしていつも、原稿を書くとき泣いてしまうのか。

もうだめだ。ひとり、PCの画面の光を受けながら、絶望する。涙がはらはらとこぼれる。理想とする「なにか」を書ける気がしない。

ということがわたしには、ちょくちょく訪れる。

こんにちは、こんばんは。ライターのくりたまきです。

まばゆいほどの、すばらしいコンテンツが、世の中にはいっぱいある。それに比べて、わたしが書くものの、どうしようもなさといったら。足元を見ると、呆然とする。ぼんやりと理想が遠くに見える気がするのに、そこにたどり着かない。純粋に、力が足りないのだ。

みたいな思考に陥って泣いてしまう。でも、書くことを仕事にしはじめたころには、そんなことはなかった。むしろ先輩に怒られて泣いていた。自分で自分のつくるものを見つめて泣くようになったのは、いつごろからだろう。

もしかしたら、原稿を見つめる読者としての自分が研ぎ澄まされてきた、ということかもしれない。正解はわからないけど、不正解だけは山ほどわかるのだ。

極限で原稿に向かい合ってるときのわたしは、できれば他人に見せたくない。自分で自分に突っ込んでほっぺにビンタしてるし、最近なんかもはやグーで殴るしつねるし、しまいに泣いてる。顔面がひどい。

どうして、こんなに書けないんだろうか。

いつも、のたうちまわってる。のだけれど。今日、いまも泣いたあとなんだけど、これまでと違う涙だった。

ずっと原稿の構造がまとまらなくて、なんどもインタビューの文字起こし(取材中の話してる言葉をそのまま加工せず文字にしたもの)を読み直して、悩んで。土日もほとんど机に向かってたけど、わからなかった。それが、さっきノートに書き出してたら、スーッと芯が浮かび上がってきた。消えないうちに書き殴る。

泣いた。

そうか、こういうことだったのか。文字起こしに潜んでいた思いと出会った気がした。その思いを前にしたとき、胸を打たれた。

まだ原稿は、ぜんぜん書けていない。たぶん、また締め切り前には泣いてるだろう。

それでも、ひとつ扉が開いた。これまでにない泣き方をしたことで、ちょっぴり成長した気がする。涙がバロメーターになるのもなんだかなあって感じだけど。

どうしていつも、原稿を書くとき泣いてしまうのか。

絶望しながら、今日も書く。絶望してからが勝負だし楽しいんだと自分に言い聞かせてみる。人生もたぶんそうで、絶望を経ていない自分を想像したら、ものすごくいけすかないヤツだったし、文章もきっと今よりもひどかったもんね。人生ってうまくできてる。

さあ、書くぞ。

30minutes note No.896



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