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クリスマスを急き立てる街よりも紅葉散る町が好きかもしれない。

秋が終わろうとしている。寒さはすでに冬並みに感じていたけれど、色づく木々の葉がほとんど落ちたのを見て、「ああ、秋が終わるんだ」と思った。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

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この写真は10月の波佐見町・西の原の様子。染めたように赤い葉。この木の葉っぱは、今日見たらもうあと2枚だけ。ずっと上のほうの梢に揺れていた。

今日、取材に出た先でも、もみじが色づいて、もう散りかけていた。

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すこし褪せた色の芝生に、星屑のようにもみじの葉が散っている。もちろん、このあと芝生にダイブした。

ふと、この11月に東京へ行ったときのことを思い出した。街にはすこしの寒さくらいしか秋を感じるものがないのに、もうすでにクリスマスの赤い装いだった。ポスターが貼り出され、ツリーが飾られ、カフェのテーブルにもサンタ。まだひと月以上先だと言うのに、気が早い。秋を楽しむ気はあるのか。

ここまで早めちゃったらもう、それはしあわせの先取りや準備ではなくて、単に購買意欲をそそるためだけの仕掛けではないのか。

ちょっといじわるなことを考える自分がいた。これまで「早いなあ」とは思っても、そんないじわるは考えたことがなかった。それは、わたしが日々が季節を味わっているからのことだった。

以前は「もうすぐそんな季節なのか、わたしはまだいまの季節さえ日常で感じてないぞ」という焦りがあった。でもいまは違う。ささやかな季節の色彩と陰影が日常に、手の届くところにある。だから「クリスマスには、あまりに早いんじゃないの」と思う。

過去に取材をした職人さんに、聞いたことがある。「地元の大阪に戻りたいとは思いませんか?」みたいなことを。ともかく大阪や京都の人は地元愛が強いイメージがあったので(友人たちを見ていても)、気になったのだ。

その方は「もうあんな都会には住めないですねえ、こっちの穏やかな暮らしに慣れちゃうと」とはにかんでいた。

わたしはどうだろうか。波佐見に暮らして1年半、確かに波佐見での暮らしは心地よい。だけれどもたぶん、都会に住まないといけない必要性が生じたら住める。都会にも、大きな駅を外れれば静かで緑の多い場所もあると知っているから、できるだけそういうところを選べばいいんだろうと思う。

そんな未来の予定はとくにないのだけど。

もしも、将来どこか違う場所に暮らすことになったとしても、きっとこの波佐見での四季の豊かさがこころと身体のどこかに残っていて、日常を彩ってくれる気がする。

別にひとりのクリスマスがさみしいからとか、そんな理由でもないし都会も好きだけど、「わたしは穏やかな波佐見での暮らしが、とても好きだなあ」と芝生の上でほんのひととき考えていた。

30minutes note No.912


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