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どうしようもない日々にも、花が咲く。

今年最後のnote、さてどうしようか。大晦日なのに、振り返るのは、なんだかダルい。とか思っちゃう自堕落なわたしがいる。今年一年の渦巻く記憶と感情を、言葉になんか、できるのかなあ。でも、とりあえず、今日も書いていこう。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

仕方ない。誰の役にも立たない個人のできごとだけど、振り返っておこう。拙くても、いつものことだから、いいよね。ちっぽけな歴史を、ここに残します。

コピーライターを辞めて、無職だかフリーだかわかんないような、リセット期間の最中からはじまった2020年。どうやって生きていこう、なにがわたしにとってしあわせなんだろう。東京で、お金もないのに、そればっかりたくさん考えていた。お金もないのに! 記事を書いたり、花束をつくったり、ピザを焼いたりしながら。

この期間に企画からライティングまでしたコンテンツは、今も印象的で我ながら好きだ。

花に関する仕事をしたいなあ、とも思っていたのだけど、今は無理だなと諦めたタイミングもあった。

いくつか内定をいただいて、いくつか落ちて、こころは千々に乱れた。内定をもらっても乱れるんだから、もう、こころってやつは。

選考を受けるなかで、2月かなあ、課題のひとつとして、父にインタビューをした。世の中には出てないんだけど。そのときの父との対話は、わたしにすごく大きな変化を与えてくれた。すごく、すごく、大きな。

いつか、このnoteを読んでくれてる人にも、見てもらいたいなあ。

それから、3月にはじめて長崎県波佐見町へ。どんな場所なのか、自分の目で見てきた。

すてきな場所だなと思っても、なかなか心は決まらなかった。

迷って、迷って、感染症にも振り回されて、ようやく決心して、5月に波佐見町に引っ越した。

結果として、この決断は、正解だったと思う。

引っ越して、必死に掃除をして居心地の良い部屋をつくりあげて、新しい仕事をして、新しい人間関係に飛び込んで、仕事終わりに自動車学校に通って、免許をとって、車を買って。

目まぐるしい変化のなかで、豊かな自然や、多彩な波佐見焼、職人さんたちの仕事ぶり、町の人のやさしさ、おいしい地のもの……そんないろいろに癒やされて、暮らすことができた。

すてきな出会いが、いくつもあった。

ただやっぱり、感染症の影響が、どこに行っても影を落とす日々。

それでも、わたしは視覚障害のある友人、と言っていいのかな、大好きなおばあさま、木野ゆずきさんの言葉を胸に抱いて、過ごしてきた。

「どんなときも、できることを数える」

若いときから目が見えなくなっていく人生を送ってきたゆずきさん。いまではもう、ほとんどと言っていいくらい見えないそう。それでも、明るく元気で、いつもわたしのお世話をしてくれる。

今年久しぶりに連絡をとって、「まきちゃんあなた、大人になってさぞ美しくなったんでしょうね。いまはわたしの目が全然見えなくなってしまって、残念だわ」と言われたときには泣いてしまった。2月までのあいだに、埼玉まで何度か会いに行くことができて、本当によかった。

いつだって、目が見えなくたって、できることを数えて、生きている人。

そういう人にエネルギーをもらっていたから、どんなときも「自分をかわいそう」と思わずに生きてこられた年だったと思う。

自己憐憫に浸っていては、前に進めない。どんなときも、前を向くクセをつけていこう、と思えた再会だった。ゆずきさんとの対話がなかったら、今年を乗り越えられていたのかなあ、わたし。

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大きな変化のなかで、生きてきた。
どうしようもない日々でもあった。
それでも。
わたしは、できることを数えて、
どんな画角で切り取るか
こころのレンズを選んで、できるだけ
明るいほうを向いて、生きてきた。

わたしの毎日は、
こうして今年noteに綴ってきた毎日は、
そうやって編集して、360本ちょっと、
花束のように、ここにある。

そのことが、なんだか誇らしい。

すべて、わたしが出会った人たちの
おかげなんだから。

こうしてnoteで出会ってくれたあなたへ。
ありがとうございます。
寒い日が続きますが、ご自愛くださいませ。
よいお年を。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。