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それぞれのプロが違う「大事」を持っている。

いろんな焼きもの関係の人に出会う。生地をつくる人、型をつくる人、絵付をする人、彫りに特化した人、釉薬にこだわる人、などなど。大事なものは、みんな違う。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

土はほどほどで、天然の素材でつくる釉薬を大事にしている人がいる。その釉薬の色はとても美しく、やさしい。毎日使い目にする食器だから、うれしい。

逆に釉薬は買ったものを混ぜたりして使い、土にこだわってろくろを回す人もいる。端正なシルエットで、ある程度の量産もできる技術がすばらしい。

絵付を絶やさぬようにしている人たちもいる。熟練の技術は継承していかないとたやすく失われる。絵付を生かすためデザインを必死で考えている人もいる。

それぞれのプロが、それぞれに「大事」と思うものを持っている。そこに哲学があり、誇りがあり、技術がある。

だから、つくり手のみなさん全員を、すごいなあと思うのだ。

「あそこは土がダメだね」とか「釉薬があんまり」とか「手仕事がすくなすぎる」とか、ちょっと焼きものに詳しくなると言う人がいる。

もちろん、的確な意見であることもあるし、そう判断するのが仕事の人もいて、プロとしてのストイックな目線で発言する人がいるのは、わかる。ただ、それ以外の人の言葉が気になるときがある。「あー、あそこはさ……」とツウな感じでネガティブに話しちゃう人。よいところを語るのではなく、ダメなところをつつく人。いま、多少の知恵がついてきたわたしも、そうならないように自戒を込めて書いてるけれど。

「あの人は他とは違う、すごい絵付をするよ!」という話しはしたいけど、「よそと比べてあそこの絵付はダメだね」というのはわざわざ言わなくてもいいんじゃないかなあ、と思うのだ。

大事にしているものが、違うだけかもしれないのになあ。

なにもかもがパーフェクトってことはない。だって、買ったり使ったりする人もみんなそれぞれの「大事」で選ぶでしょう。地球上のすべての人に選ばれ好まれるものは、ないんじゃないかなあ。

わたしにも好みがあるけど、それ以前にものづくりに携わる人たちへのリスペクトは持っていたい。

どんな現場も、変えるべきところだって、より追求するべきところだって、そりゃあるだろう。現場で必死に働く人たちだって、わかってるはずだ。戦ってるはずだ。

まずは、なにを「大事」にしているかをとことん知ること。これから、書き手として波佐見町のどんなところに話を聞きに行っても、わたしは相手の大事を「大事」にしたい。



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