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受賞した5歳のじぶんの描いた絵を思い出したら尊くなった。

むか〜しむかし。幼稚園に通っていたころ、絵を描いて賞をもらったことがあった。母とわたしを描いた絵。そんなことを思い出した。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

物書きはどこか絵が描けないから文字を書いてるようなところもあるんじゃないかなあ。わたしの個人的な見解だ。小さいときから、絵を描くことが好きだった。高校生くらいまで、漫画みたいな絵を描くのも好きだったなあ。

まあでも、いま現在描いてないってことで察してほしい。絵は無理だった。文字や写真のほうが、はるかに性に合っていた。いまでは栗のイラストしか描けない。

さて、受賞した絵だけれど。幼稚園児の描く絵だ。めちゃくちゃだ。

まだ六畳二間のアパートで家族4人で暮らしていたころの、庭の絵だ。母がエプロンをして、洗濯物を干している。その横に、石に乗ったわたしがいる。ふたりともニコニコしていて、なぜか背景はあざやかなオレンジ色だった。空がオレンジってどういう意図だ。とにかく、そんな絵だった。たぶん。

たぶん、というのはその絵が手元にないからだ。どこかに行ってしまった。おそらくゴミになって燃えた。

幼稚園の先生が応募してくれたのか、その絵が受賞したのだと思う。どんな賞かも、いまとなってはわからない。あやふやな記憶だけれど、大きなホールでいろんな作品に混じって飾られているのを家族で見に行った。

飾られた絵を見て「こんなヘンテコな絵が選ばれるなんて変なの」と思いながら、でも家族で出かけて外食するきっかけになってラッキーだなあとにやにやしていた。

親がよろこんでくれるって、幼い子どもの心をくすぐる。

名刺くらいの大きさの額に入れて、その絵を印刷してプレゼントしてもらったことも覚えている。当時はじぶんの絵が小さくなったことがうれしかった。変かな。

まだ純粋に母を愛していたころの絵。

今日は母に電話をした。来週の父の誕生日にごはんを一緒に食べないかと誘った。

紆余曲折、曲がりまくって、なんども母に対して勝手に絶望したし愛されていないと思ったけれど、去年決めたのだ。わたしが母を愛する、それでいい。大変なことがあったぶん、わたしは強くなった。健康に産んでくれただけで、十分。もう母はなにもしてくれなくていい。

電話では「行くよ」と言っていたけれど、いつもの調子だったら来ないかもしれない。まあ、それならそれでいい。

もう頭のなかにしか存在しない、絵のことを思い出す。あんな風に、あたたかい心で愛するだけで、それでいいんだよね。5歳のじぶんにはできてたことが、尊く感じるなんてなあ。

でも、ぜんぶを知った上で受け入れて愛そうとするいまのじぶんも、いいよねって思えるのだ。

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