目が肥えてきちゃってる!という事実と、あらがい。
波佐見陶器市と有田陶器市を取材したGW。たくさんの焼きものを見た。もしかして。わたしは恐ろしいことに気付いてしまった。もしかして、わたしって、うつわを見る目が多少、肥えてきちゃってる……?
こんにちは、こんばんは。栗田真希です。
もうすぐ波佐見に住みはじめて2年。いろんな焼きものを見てきた。波佐見にはどんな焼きものの歴史があるのか、どんな技法が使われているのか、どんな職人さんがつくっているのか、貪欲に吸収してきた。波佐見の焼きものを見たら「〇〇窯さんでつくられてるやつだ」とだいたいわかるし、どういう色の釉薬がお値段が張るのかも知っている。「こういうテイストのうつわの先駆者は〇〇だよね」というのもわかる。絵付を習っているので絵付師の技量も想像できる。
もちろん、まだまだ知らないことばっかりだとも思う。生地の上等さの見分けや、陶石のこと、ろくろや窯焼きや釉薬のこと、パット印刷の技術、上絵のこと、波佐見以外の焼きもののこと……知らないことがありすぎて、なかなか勉強が進まないくらい。
でも、引っ越してきたばかりの、ピュアなわたしじゃなくなってしまっているのだ。これは由々しき問題である。
読者は数年前のわたしと同じ素人かもしれないからだ。
土ものと石ものの違いもわからない、産地も知らない、焼きものがその名の通り「焼かれている」という実感さえない。それが波佐見に来る前のわたしだ。学び続けるのだけれど、ちゃんと素人の自分をキープしないとなあ、と改めて思った。
わたしの師匠は「〇〇に住んでたときの自分」みたいに住まいを区切りにして、素人のときの自分を覚えていると言っていた。わたしも引っ越し前の、東京に住んでたときの自分を座標のように覚えておくことにしている。
でも、意識していないと、難しい。
今回の陶器まつりシーズンに自分が購入したうつわを眺めて気付いたのだ。
「たぶん波佐見に来る前の自分だったら、このラインナップを買っていない」
学べば学ぶほど、こぼれ落ちていくものもある。きちんと意識して素人の自分も保っていこう。
こういうことを考えるとき、いつも「大学生のとき、カメラを売っててよかったなあ」という結論に落ち着く。高くていいカメラもあれば、高くてあんまりなカメラも安くてそれなりのカメラもあった。自分の好き嫌いもあったけれど、でもどれも誰かによろこばれる。
とっても安くて軽くてちいさいカメラを、うれしそうに買っていくおばあちゃんがいた。わたしだったら選ばないカメラ。でも彼女は「きっともう死ぬまでカメラを買い換えることはないわ、これが最後」と笑って帰ったのだ。
どのうつわも、自分の好みじゃなくても、誰かに好かれる可能性がある。わたしはどんなものでも売るわけじゃないけど(自社サイトの Hasami Life でお買いものできるうつわは厳選して並べているし)、ちゃんと経験しているからあんまり迷わない。
それに、対象への光の当て方は、コピーライターのときに培った。
作家もののうつわも好きだけど、それだけに傾倒することもないのは、北欧の椅子のことを勉強してきたから。1940年ごろからかな、成形合板の技術が発達して、三次元曲面の椅子が生まれた。わたしが最近手に入れた中古の「セブンチェア」も成形合板だ。成形合板だからこその造形としなりが、座り心地をよくしてくれている。機械化も新技術も、扱う人間次第だと知っている。
ほどよいバランスを保ちつつ、もっともっと焼きもののことを学んでいきたい。毎日noteを書くってことは、いつでもアクセスできる数年前の自分をつくるってことにもなるんだろうな。
30minutes note No.1005
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。