転んで厄落とし、ありがたい。
このnoteを読むあなたにとってどうでもいいことだと、わかっていながら言いたい。
今日、転んで両手両足に擦り傷ができました。
はい。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
朝、いつものように始業前7:50過ぎに走って会社に向かっていたら、ロングスカートに足を取られて転びました。なぜ人はこうも簡単に転んでしまうのか。転んださまは、まるで幼稚園児だったと思います。ベチッと手をついて倒れる32歳。ちょうど通り過ぎようとしていた高校生のチャリが一瞬止まった。驚かせてしまい申し訳ありません。
会社に行って、傷口をよく洗い、救急箱にあった消毒液と絆創膏をもらいました。情けないことに念のため一度家に帰らせてもらい、ズボンを下げてみたら、やっぱり膝小僧に傷が。座って薬を塗って絆創膏を貼って。擦り傷って、大したことないのに、ジクジク痛むんですよね。
これはあれだ、とわかりました。
厄落とし。
間違いない。
思えば東京ではいいことがありすぎました。いろんな人が会ってくれて、お酒だって飲み、おいしいものを食べ。仏さまにも歌われ。幸運すぎたのです。その代償に転んだと思えば、こんなちいさな怪我でバランスをとれるありがたさよ。
▲仏さまに歌われてるわたし。
「ありがとうございます!」
と声にして気合を入れて立ち上がって、それからズボンを引き上げて。
元気に仕事へ行きました!
なんの話を読まされてるのかとあなたは思うと思うのですが。起きたことには意味があるし、意味を見つけ編集するのは自分しかいないし、ポジティブに考えておくのはお得しかないということです。
わたしは痛ければ痛いほど、厄落としの効果を感じているので、いまも。
でも、縁起が悪いなあとか、「このスカートのせいだ!」とか、わたしが朝から余裕がない暮らしをしてるせいだ…っていう自省とか、考えちゃう癖がついてしまうこと、あるじゃないですか。わたしも過去そうでした。
不幸を見慣れたメガネなら、とっとと外して、しあわせを見つめちゃう。そういうトレーニングを積むと、楽しくラクに暮らせます。
今日は怪我のおかげで筋トレをおやすみしました。トレーナーさんには申し訳ないけど、昨日東京から長崎へ帰ってきたばかりだし、ゆっくりしたほうがいいよってメッセージでもあったのかもしれません。知らんけど。
仕事のあと、送られてきた荷物のダンボールを片付けたり、クローゼットのなかのハンガーをぜんぶ新しくしたり、おいしいキムチチゲをつくったりして、ゆっくり過ごしました。
また明日から頑張れる予感。寒いですが、からだを大事に、ちょっとずつ前に進みます。
あなたの明日もよい予感に包まれていますように。
30minutes note No.921
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。