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正解なんてないのに不安なんだ。

書きはじめの人の原稿を編集するようになって、実感する。真面目な人ほど、ただひとつの正解を求めるんだなあ。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

文章には正解はない。おびただしいほど、正解があるとも言える。が、しかし。不正解はある。はっきりしている。

いろんな不正解があるけど、つまずきやすい最初のころこそ、不正解が気になる。そうなると正解が欲しくなる。やがて正解がひとつしかないような気になってくる。

これ、わたしにもすごく覚えがあることだ。

何度も何度も、数行の文章を頭を抱えて考え提出しては、赤字だらけで戻され、理由を問えば「自分で考えて」と言われ、結局期限が迫りすべてを書き直されて終わる。

よくある修行の初歩段階の、情けないころ。まあ、いまも情けなさは変わらずだけど。あのころは恥ずかしいけど「もう、正解があるんだったらください……!」と思っていた。

理論立てて、要素を整理して、並び変えて、といったことがさほど得意じゃなかった。結局、体系的な知識としてじゃなくて、感覚的に理解してしまっている部分が多い。理路整然と語れる先輩にあこがれていたのになあ。

まあわたしの話はおいといて、文章の正解を探す、上達の近道を探すというのは、よく陥りがちな思考なのだ。うまくなりたいからこそ、求めてしまう。

そういう人はわたしを含め、セミナーとかに行っても一定数はいたと思う。

でも、そうじゃないんだよなあ。

たったひとつ正解があるとすれば。

泥臭く、つかんでいく。以上。これが答えだと思う。

もちろん、唐木元さんの「新しい文章力の教室」や、山田ズーニーさんの「伝わる・揺さぶる!文章を書く」、古賀史健さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など、名著はある。

だだ、これらはトレーニング器具のようなもので。たとえるなら、ダンベルなのだ。すごくいい感じに筋肉をつけてくれるダンベル。動かし方も教えてくれる。

このダンベルを使ってたくさん練習と実践を積んでいけば、自分なりの正解にたどり着く筋肉がついていく。

焦らずに、コツコツと、延々と悩みながらやってくしかない。不安を置いておいて、腹を括るとすこし楽になる。

まだまだだなあ、と高みを見上げるのは、苦しいけど、いい気分だ。

書くことは、正解だと思えるものをつくり、それを何度でも崩して、また築き上げていく仕事だと思う。

こうやってバーっと30分で書いてるものはまったく性質が違うし、根気と忍耐がいる。

書くことに、唯一の正解はない。

なんて言いながら、古賀史健さんがいま取り組んでいる「ライターの教科書」的な本を、とても楽しみにしている。やっぱりどこかで、正解があるような気がしてしまうのだ。


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