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お弁当の盛り付けあるあるに小6から憤っている。

わたしが毎日お弁当をつくりはじめたのは、小学校6年生のときだった、と思う。それから高校生くらいまで、父と交代でお弁当をつくっていた。そのころから、憤っていることがある。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

あのですね、レシピ本とかSNSに上がってるお弁当の写真……フタが閉まらない盛り付け多くないですか?

なぜ彩りのためだけの一枚レタスをはみ出させた?なぜエビフライのしっぽを完全にお弁当箱の場外にした?

フタが閉まらないじゃないか!

わたしは小学生のときから憤って生きてきた。まるで再現性のない盛り付け……いや盛り方というより"飾り方"だ。

ふつうにお弁当に限らず、テーブルフォトで食べものの扱いが雑だと食いしんぼう代表としてイヤだ。

なぜそのドライフルーツをお皿ではなくテーブルに直置きしたの?ねえ「食べるぞ」ってときに机の上がドライフラワーだらけって食欲減退しない?

わたしももういい大人。小学6年生じゃないから、わかるよ。

ぜんぶ、映えるためにやってるんでしょ。(決めつけ)

そういう写真はたしかに綺麗。色彩のバランス、全体のボリューム感、雰囲気、ぜんぶいい。魅力的だとも思う。そういう写真にあこがれることもある。でもわたし個人としては、食事をファンタジーにしたくない。

食事は、食べるってことをなにより第一にしたい。

だからお弁当のフタはすんなり閉まるおかずの盛り付けがいいし、お弁当箱を開けたときにフタに挟まって変色したレタスを食べたくない。

うつわをきれいに撮るんじゃなくて、食べものがより引き立つようにおいしいごはんをのせで撮りたい。

そんな気持ちで日々、運営するWEBメディアやインスタ用の写真を撮っている。

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すごく立派だったり派手だったりはしないけど、せめて、ちゃんとおいしく撮る。というのが、わたしなりのルールだ。


それにしても、もうちょっといい感じに写真、撮りたいなあ。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。