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消えゆく言葉たち

ジブリ映画『となりのトトロ』を観ると、幼いころは「きっとこんなお家がまだどこかの田舎にあるんだろうなあ」と思っていた。けれど近年観ると「きっとこんなお家、もうないんだろうなあ」とちょっぴり切なくなる。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

波佐見に住みはじめてから、おじいちゃんおばあちゃんの話を聞きに行くのがおもしろい。ぽろっと話してくれることが、ノンフィクション(のはず)なんだけど、わたしにとってはまるでファンタジー。

だって、おばあちゃんが話してくれるみたいに、川で洗濯したこと、ない。蛇口からお湯が出ない生活もしたことがないわたしからすると、もはや桃太郎の童話の中のお話なのだ。でも、そんな生活をむかしはしていて、そんな経験を持つおばあちゃんが目の前にいる。ふしぎな気持ちになるのです。

そして、聞いたことのない言葉もたくさん教えてくれる。わたしは標準語で育ってきて方言を知らない。だから知らない言葉もたくさんあるんだけど、もう波佐見の人でさえある程度の年代以降は知らない言葉もある。

今日もおばあちゃんに話を聞いていて、その息子さんとも一緒になって話をしていたんだけど、おばあちゃんの言う単語を息子さんは知らなかった。

「ありゃ、あなたこの言葉、知らないの?まきちゃんがよ〜く知ってるよ」

前もってわたしに教えてくれてたおばあちゃんが、チャーミングに笑う。

「ええ、そりゃもう、東京でも流行ってますからね」

ドヤ顔で冗談を言って、みんなでけらけら笑った。いっしょにいた、おじいちゃんのひとりがしみじみ言う。

「今はもう、むかしと生活も違う。使わない言葉は、消えていくんだね」

すこし胸がヒヤッとした。

消えゆく言葉たち。

でも、わたしはどうしようもできない。わたしには、川で洗濯する生活はできない。薪を割って、かまどで料理をすることもできない。むかしの人のようには暮らせない。電気もガスも、車も、Wi-Fiも、ないと困る。

もしもいま、トトロの映画でさつきとメイが暮らしていた家が出現して「ここで暮らしてみなさい」と言われても、わたしは暮らすことができない。トトロに会えるとしても、無理だ。

それでも、消えゆくものが尊く思えるのだ。

ただの感傷だけで飾っておきたくはない気持ちを、どうしたらいいんだろうと持て余している。

言葉ひとつでさえ、すぐに消えてしまうけれど。そういうものを、すこしでも教えてもらえることは、とてもうれしい。

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