じぶんのアタマで考えているか?
息をするようにTwitterを開く。なんもなくても指がオートで開く。Twitterはおもしろいからだ。そうして、いろんな人の意見にふれる。自分が選びフォローしている人の意見だから、なんとなく「そうだよなあ」と思うことが多い。ちょっと危険だ。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
自分で考えるだけじゃダメだし、他人の意見や知見を取り入れる柔軟さは必要だけれど。何事もバランスだ。自分のアタマで考えずに、他人の意見を丸呑みしていたら、アタマはどんどん怠けてさらに考えなくなる。
ちゃんと考えられているかなあ?
最近(けっこう前からだけど)、そう思うことが多くて、すこしTwitterから距離をとっている。「すごい! この人の視点はなかった!」と感動することもある。でもただ単に「わたし、な〜んも考えてなかったんだ」ってこともある。そんな考えなしの自分さえ、タイムラインに流されていく。
わたしの人生においては、自分で「決める」ということが大事。
その過程には自分のアタマで「考える」と「調べる」を行き来する段階があり、さらにその前にはこころとからだで「感じる」がある。
間違っていても、誰かにとっての不正解でもいいから、自分に素直になって「決める」までの過程を辿ること。ゆっくりでもひとつずつ、自分のアタマとこころとからだで選んでいきたい。
まだ仕事のことだったら「考える」スイッチが入るんだけど、そうじゃないところではわたしは考えが足りない、と思う。
なにがやりたいのか、どうしたらしあわせなのか、どんな服を着たいのか、どんなうつわでごはんを食べるのか。やさしさと甘えの違いは、きちんと休むとはどういうことか。自問自答し、感じて調べて考えることはたくさんある。
そして、自分の言葉で、誰かと語り合いたい。仕事でもそれ以外でも。
仕事も人生をしあわせにするもののひとつ。まるごと大切。いい意味で公私混同しながら、やっていきたい。
でも、な〜んも考えないでTwitterにいる友だちや知り合いと、たこ焼きの話ししたり、どうしようもないダジャレに笑ったり、クソリプしあったり、そんな時間も楽しいんだよなあ。
ぜんぶバランス。ゆる〜く、ほどよく、やっていこ。
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