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白百合が咲いて。

朝起きると、甘い香りが部屋を包み込んでいた。

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右の花は昨日咲いたもので、花粉の出てくるおしべを取ってある。今日咲いたものは、この写真を撮ったあとに取り除いた。花粉がいろんなところにつくと大変だというから。取るとなんだか、物足りない見た目のような気もするのだけど。

無垢な白い花は、開花することで甘い香りを盛大に放ちはじめ、つぼみのときとはまるでちがう姿を見せる。よくつぼみのあいだ、これだけの香りを秘めていられたものだなあと思う。感覚というのは視覚だけではないのだなと、あらためて思った朝だった。

つぼみはあとふたつ。咲くのがたのしみだ。おおぶりな花を咲かせるだけあって、茎はしっかりとたくましい。少し大きめの花瓶さえあれば、飾りやすさもある花だ。

百合の香りというと、多くのひとが甘ったるいものをイメージするんじゃないだろうか。わたしもそうだった。でも、それって加工してつくられた香りだったり、ただのイメージだったりするんじゃないだろうか。自然の百合の香りは、甘いけれど清洌としていて、すっと背筋の伸びるような気品がある。

百合をお部屋にお招きして、やっぱりよかったなあ。

ちなみに、カーテンの背丈が足りないのは、大阪に住んでたときの部屋の窓に合わせたサイズだからだ。間違えて買ったわけじゃない。ただ、ちょっとだけ短いからといって買い換える気にもならなくて、そのまま使っている。

もっとカーテンの丈を自由に変えられたらいいのに。ちがう布を簡単に足したりできないだろうか、ともったいないという気持ちが湧いてきてしまう。かといって、面倒もごめんなので、このまま2年以上暮らしている。丁寧に暮らしたいけど、面倒なのはいやなのだ。わがままにせわしなく、日々は過ぎていく。

ここが終の住処というわけでもないのだし、とじぶんに言い訳をして。

ここ数日、暮らしのことをなんども考えている。

さあ、次はなんの花を飾ろうかなあ。あたらしい花と出会いたいし、いままで知った花ともまた暮らしたい。

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