見出し画像

会わないと、話せないことがある。

最近すごく感じていることだ。会って話せることってどうしてこんなに多いんだろう。電話の向こうの相槌より、モニター越しの笑顔より、リアルがいい。当たり前のことだけど、感染症が流行してから意図的に目を逸らしてたことだ。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

泉さんが長崎市内から、波佐見町へ来てくれた。わたしが長崎の母と慕う泉さんは「まきちゃんの長崎の母」という自覚もあって、行く先々で親のように町の人たちに挨拶してくれた。

思えば不思議なものだ。まだ実の両親は感染症の影響もあって一度も波佐見に来てないのに、父母のように見守ってくれている西園寺さんと泉さんが、すでに会いに来てくれている。

今日は窯元さんをまわったり、地元のごはん屋さんやカフェをはしごしたりした。

どこへ行っても、泉さんはよろこんで楽しんでくれた。

ふと思うと、実の母とふたりで出かけた記憶がほぼない。妹がいたという点を差し引いても、ない。お店の手伝いに行ったことはあるけど、お出かけとは違うものね。

前にも書いたけれど、わたしは親の定義を広くしている。

だから、いっぱい親がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいるのだ。

泉さんもそのひとりだし、わたしは最高の「母とのお出かけ」を今日体験できた。しあわせだなあと思う。

これまでもTwitterやLINEや手紙でやりとりしていたけど、話すことの深さや広さは、やっぱり対面がいちばんだった。

まあまあ秘密にしていることも話したし、ちょっと愚痴も言えた。書き言葉と違って、話し言葉は形としては残らないから、すこしそれだけでも軽く話せて消化できる。

会わないと、話せないこと。

わたしがどうして、ある事象をそこまでよろこべたのか。過去に遡ってできごとを話した。文章にまとめるには若干容量的に重かったことも、泉さんがまっすぐあたたかい眼差しで「うん、うん」と聞いてくれると、するする話せた。

泉さんのお話も、彼女のツイートに込められた気持ちも聞けてよかったな。

今月がわたしの誕生日ということでお祝いにきてくれた泉さんに(楽しすぎて自分の誕生日が訪問のきっかけって忘れてた)、花束をもらった。

画像1

しばらく、今日のことを思い出して、にこにこしながら暮らせそうだわ。

泉さんとデートということで張り切ったんだけど、日頃からかわいくしとくことも必要だと痛感しました。すっぴんのわたしも最高だけどね!

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。