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デパートは特別な場所

皆さんこんにちは。クソ腐女子のアンタレスです。

生活のリズムが大きく変わったりして、しばらくnoteの更新ができませんでした。もう少し時間の使い方が上手くなりたいものです。

さて、今日の話題は、私の昔話です。私の自分語りでも許せるという方向けですので、ご了承ください。


今から数日前、ネットニュースを見ていた私は、とある記事を目に留めました。その記事がこちら。

静岡の松坂屋には行ったことが無いのですが、この「回るお菓子売り場」があることは知っていました。確か、どこかのSNSで見聞きしたんだと思います。

では、どうして行ったこともない松坂屋静岡店の回るお菓子売り場の情報を覚えていたのか。その答えは簡単、「回るお菓子売り場」と松坂屋には、私も思い入れがあったからです。

松坂屋は、私が住む名古屋にも店を構えています。今でこそ行く機会はぐっと減りましたが、私が幼い頃はたまに家族で松坂屋に出掛けていました。多分、何でも揃うショッピングモールが家の近くに無かったからでしょう。

といっても、幼い私は、デパートで売っている高級な雑貨や服には興味が持てません。それでも、私は松坂屋へのお出かけが楽しみでした。その大きな理由の一つが、「回るお菓子売り場」でした。

私が幼い頃は、名古屋の松坂屋にも「回るお菓子売り場」があったのです。キャンディやチョコレートをはじめとした駄菓子が、タワー状の什器に大量に入っている様子は、宝の山のように見えました。

回るお菓子売り場があったのは地下階で、他にも美味しいお菓子を売るお店はたくさんありましたが、私は回るお菓子売り場しか眼中にありませんでした。

今思えば、什器に入っていたお菓子は、買おうと思えばどこでも手に入るようなものでした。それでも、幼い私には、そのお菓子は特別なものに思えたのです。デパートという特別な場所が、私の目に補正をかけていたのかもしれません。

そういうわけで、私は、地下階に行くたびに両親にお菓子を強請りました。回るお菓子売り場は量り売りで、取ったお菓子の重さによって値段が決まる上、決して安くは無かったので、両親はさぞ困ったことでしょう。

だから、松坂屋に行くたびに、というわけにはいきませんでしたが、何回かに一回は、お菓子売り場のお菓子を買ってくれました(少しでも量が少なくて済むよう、取るお菓子について細かく口を出されはした)。また、用事があって一人で松坂屋を訪れた母が、お土産に買ってきてくれたこともあり、その時は大喜びしました。

買ったお菓子は、毎日少しずつ食べていました。量が少なくなっていくのが切なかった記憶があります。

松坂屋の回るお菓子売り場についての思い出はこんな感じなのですが、実は、松坂屋にはもう一つ楽しみがありました。

松坂屋に出掛けた時、両親は、回るお菓子売り場の代わりに、最上階のレストランに連れて行ってくれることがありました。レストランの名前は「カトレア」。落ち着いた雰囲気で、大きな窓から繁華街の景色が良く見える店でした。

そこでは、必ずフルーツパフェを注文しました。カトレアのフルーツパフェはとても大きくて豪華だったのです。まあ、私が小さかったからより大きく見えたのかもしれませんが。

それでも、豪華なパフェを食べられる機会などそうなかったので、カトレアでパフェを食べるのは、とても楽しみだったことを覚えています。

回るお菓子売り場と、素敵なレストラン。これらがあったから、松坂屋へのお出かけを楽しく感じていました。

しかし、私が成長するにつれて、松坂屋に行く機会は減っていきました。松坂屋によりも交通の便がいい所に、大型のスーパーやショッピングモールができたことが原因でしょう。松坂屋より便利に、そして安価でものが手に入るから、松坂屋を使う意味が無くなってしまったのです。だから、私も松坂屋のことを次第に忘れていったのです。

そんなわけで、松坂屋に行かなくなってから数年が経った時、事情が変わりました。

私はポケモンのゲームの大ファンなのですが、なんと、ポケモングッズの専門店「ポケモンセンター」が、松坂屋に移転することになったのです。

私と松坂屋の縁が結びなおされた瞬間でした。私は欲しいグッズが出ると、ポケモンセンター目当てで松坂屋に行くようになりました。ポケモンセンターのあるフロアはキッズ用品店が並んでいたので歩いていていたたまれなくなるのですが、それしきのことでくじけません。松坂屋は再び、私の大好きなお出かけ先になったのです。

そんなある時、私は昔大好きだった「回るお菓子売り場」のことを思い出しました。当時の私は大学生。好きにできるお金もそれなりにあったので、今度は自由に買い物ができるかもしれないと思い、お菓子売り場を探しましたた……が。

お菓子売り場は、どこにもありませんでした。

家に帰った後両親に尋ねてみると、「だいぶ前に無くなったよ」とのことで、私は酷く落胆しました。もうあのワクワクした瞬間が戻ってこないことが、本当に残念でした。

またある時、ポケモンセンターで買い物を終えた私は、ふと昔を思い出し、最上階のレストラン街に向かいました。フルーツパフェを食べるためです。

「カトレア」はまだ営業していてホッとしました。私は、店の前のディスプレイでフルーツパフェを探して、値段を見て、固まりました。

そこには、大学生の少ないバイト代から払うのは躊躇されるような額が書かれていました。しかも私はポケモンセンターで散財した直後。とてもじゃないですがフルーツパフェを食べる余裕などありません。

結局、すごすご家に帰りました。今考えると、両親だってあの金額を躊躇なく出せるはずがないのです。それでも嫌な顔一つせずに私や弟にパフェを食べさせてくれたのは、私たちが大事だったからなのでしょう。喧嘩することもありますが、それでも両親の存在をありがたく感じます。閑話休題。

結局、ポケモンセンター以外の松坂屋での楽しみは無くなってしまいました。しかもその後、大きな病気などで家にこもりきりになったので、ここ数年は松坂屋には行っていません。幼い頃感じた特別感も、「思い出」になってしまいました。

それでも、その「思い出」を振り返る機会を、静岡の回るお菓子売りが与えてくれたので、私はこうして記事を書けるのです。

それに、松坂屋のことを考えていたら、新たな目標が生まれました。松坂屋に買い物に行けるようにリハビリを頑張ること、松坂屋の高級なお店の化粧品を買ったり、カトレアのフルーツパフェを食べられるくらいにお金を稼ぐことの二つです。

きっと、松坂屋をもう一度結びなおして見せます。もうお菓子売り場は無くても、それ以外の要素で、松坂屋が特別な場所になるようになります。

最後に、私にこの記事を書く機会をくれた松坂屋静岡店と、回るお菓子売り場に挨拶を。

今まで長い間、本当にお疲れ様でした。

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