人が死んだら悲しい

皆さんこんにちは。クソ腐女子のアンタレスです。

久しぶりのnote更新ですが、今回は悲しい話題となります。閲覧する時は注意してください。


今日、安倍晋三元首相が銃で撃たれて亡くなりましたね。

当たり前ですが、テレビも、ニュースサイトも、SNSも、その話題で持ちきりです。

私は、仕事中にふと見たスマホの通知で、安部元首相が撃たれたことを知りました。すぐに職場はその話題で持ちきりになり、こっそり見たTwitterは物々しい空気に包まれていて、私の中で嫌な緊張感が起こりました。

「元」とは言え、日本という国の指導者だった人が銃で撃たれるなんて、信じられなかったです。だって、そんなの、歴史の授業で教わった戦前日本の話じゃないのか、って思いました。

それに、その時点で安部首相はすでに心肺停止状態だと伝えられていたので、どうか奇跡が起きて助かって欲しいという思いと、もうダメだろうという絶望感の両方が沸き起こってきていました。

でも、その時いたのは職場。仕事をする場所。私は自分の気持ちを素早くツイートして、仕事に戻りました。

昼過ぎ、仕事を終えて家に帰っても、状況は変わらないどころか騒ぎは大きくなっていて、不安な気持ちばかり膨らんでいきました。

その時にはもう犯人は身柄を確保されていて、テロとか政治的な意味合いの暗殺ではないことはわかっていたのですが、それでも恐ろしくて仕方がありませんでした。

でも、いつまでもニュースを見ているわけにもいかないから、色々用事を済ませたりして過ごしていたのですが、しばらくしてついに、安倍さんが亡くなったという知らせが報道されました。

「やっぱりダメだったか」って思うと同時に、胸が押しつぶされそうになりました。テレビやTwitterを見ていたらどんどん胸が重くなってきて、耐えられずに今、noteに書き殴っている次第です。


テレビ番組では、すでに安倍さんをまるで英雄のように扱っています。みんながみんな、安倍さんを褒め称えて、彼が立派な人だったかのように持ち上げています。

森友や加計とか、近畿財務局の職員の自殺とか、桜を見る会とか、そういう問題なんて無かったみたいに。

それが本当に薄気味悪いと感じます。いくら悲惨な最期を迎えようと、その人のやったことの正否まで変わるわけではないからです。

だから、安部元首相は、決していい面ばかりの政治家では無かったと思います。

それに、彼が死んだからといって、戦争が始まるわけでもないし、きっと日本という国が滅びるわけでもないのでしょう。

頭では全部わかっています。

だけど、それでも。


人が死んだことが、とても悲しいのです。

後ろから銃で撃たれて即心肺停止だから、きっと安倍さんは、自分ではわけもわからないうちに死んだんです。それが本当に気の毒で、哀れだと感じます。

それに、人が撃たれて倒れたのに、スマホやカメラを構えて棒立ちになっていた群衆に憤りを感じます。

動機はいまだにわからないけど、自分勝手に人の命を奪った犯人が許せないです。

平和なことが取り柄だった日本という国が、人が銃殺されるようになってしまったことが本当に残念です。

今書いたような感情は、テレビ局の安部さん英雄扱いへの軽蔑とか、生前の安部さんの行いを中立の視点で見ないと、なんていう中立面の言葉よりも先に出てきたんです。

この事件で色々言いたいことはあれど、まずは、人が無残に殺されたことが本当に悔しくて悲しいって思ったんです。

私が抱く感情が、果たして正しいのかはわかりません。だけど、人が死んだのに皮肉気なことを言ったり、いかにも「私は冷静ですよ」みたいな顔をするような人にはなりたくないなって思ってしまうから、きっとこういうところは変えられません。

とにかく、私はとても悲しいのです。

この記事を書いたのは、それを吐き出したかったからで、それ以外の理由はありません。

支離滅裂な記事ですが、それでも吐き出さなきゃやってられなかったのです。


さて、最後に、亡くなられた安倍首相に心より哀悼の意を示して終わろうと思います。

本当に、お疲れさまでした。どうか安らかにお眠りください。

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