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自然 zinen 瞑想を体験。 自分軸の片鱗が見えた。

〜吉澤マモさんに導かれ、原生林の残る奥飛騨の森へ〜

<目次>
・自然 zinen 瞑想について
・“スピリチュアル”な世界ですか?
・森との対話
・モノから友へ
・訪れた変化

自然 zinen 瞑想について

この瞑想法は、よくある「頭の中を真っ白にしなさい。呼吸に集中することが肝心です。」という瞑想ではありません。少なくとも私は何度も試しましたが、頭をゼロにするなんてそんなことできません!インドのヨギーや修行層のようなことを、情報に満ちた雑念の世界に生きる人々に求めてもかなり無理があるでしょう。この瞑想法は、頭の中に考えがあってもいいのです。ただ自然と対話をすることに集中し、今までになかった気づきを得るための自己鍛錬です。

「スピリチュアル」な世界ですか?

森の守り神、”マモさん”こと吉澤マモさんと出会ったのは、3年間住んでいた飛騨を出る前のある夜。
お世話になっている新聞社の支局長さんと、今後の自分の方向性について話をしていたことがきっかけでご紹介いただけることになりました。

余談ですが、今後の話というのは、私が飛騨の仕事を辞めてどうするか。これからどうするの?という問いに対して、私は、
「まだ何も決めてませんし、まだ決めたくないです。これからは自分が本当にしたいことをやりたい。
でも一つだけ確かなことは、森に関わり続けたいということです。飛騨に来た深層心理の理由も森だったし、3年間飛騨でやり続けてきたのは森と人を繋げること。
森は人なしでも生きられるけど、人は森なしでは生きていけません。
それを、多くの人に実体験することで腑に落としてほしい。森から離れていた数十年のことを思うと、森を愛していることを実感できたこの3年間はとても貴重な時間でした。今、去るとなって残念なのは、こんなに野生的でメッセージ的な森と、お世話になった愛する人たちとお別れすることです。でもそれを糧にして、今後も森と人を心でつなげる活動を考え中です。」

というお話をしたところ、
「紹介したい人がいる。奥飛騨で活動を始める吉澤マモさんという方で・・・」
お話を聞いていた私は、「まさに求めてたものだ!」とこの流れを運命のように感じ、興奮すると同時に、一箇所の脳はアラートを発していました。「瞑想は今まさに時代が求めているけれど、ちょっとスピリチュアル系なのかしら?ただでさえインスピレーション型の私は完全に「スピ子」へと向かうことになるのかしら?まあ、いずれにせよ、早まらないように慎重にいこう。」と感じていたのは、今だから言える正直な話。(笑)
しかしながら、好奇心旺盛、やっぱり直感で動く自分は、お願いをして早速、ミーティングの手筈を整えていただいたのです。

マモさんとお会いしたのは、飛騨の、とある居酒屋。
居酒屋のママが、飛騨を出ることを聞き、エールのメッセージをくださったので、早速その夜に利用させていただき、マモさんとお食事を。
まるで前から知り合いだったかのように違和感なく、心地よく時間は流れていきました。
きっとそれはマモさんは森の守り神で、私が森を愛しているからだと思います。(笑)
そんな感じで、話はあれよあれよと進み、既に奥飛騨へ移り住んでいた知的な梅さんと共に、テスト瞑想をすることになりました。

森との対話

その日が来て、ひらゆの森へ到着したのは午後2時過ぎ。しとしとと雨の降る日でしたが、マモさんと梅さんは奥飛騨温泉郷の美しい街並みと霧の幻想的な風景を見られる森へ案内してくださいました。刻一刻と変わる雲の表情にすっかり惹き込まれ、カメラのシャターが止まらない、でもカメラストレージは満杯。最後の策として、Facebookメッセンジャーで森や風景や美味しい食の写真を母親へ送りまくる始末。(母よ、自慢しちゃってごめん。)

ちなみにこの日は、美味しいお蕎麦さんやお寿司、素晴らしい温泉へも連れて行っていただきました。特にひらゆの森はトップレベルの泉質で、なんと9つもの異なる温泉を体験でき、お肌もツルッツルになってしまいます!

そして、いよいよ瞑想を行うひらゆの森へ。
湿り感のある森も美しい。緑が濃く、シャンデリアのような形のシダレ花の先端から滴り落ちる雫や、キラキラと輝く十色の苔たちは晴れた日とは全く異なる表情。

私が森へ足を踏み入れた時、私はまだ俗に言う「森ガール」だった。(むしろ「森婆」か。まあ、そこは目をつむってください ^^)
しかし、プログラムの序盤1番と2番を行ううちに、みるみると変わっていったのだ。

1. 自己紹介
まず自分を森へ紹介することからスタート。突然、「森に自己紹介をしてください。」と言われて、少し戸惑ったけど、私はすぐに入っていけた。
「あの樹も、その樹も、あの花も、向こうにいる鳥も、私のこと知らないよね。怪しいと思ってるかも。落ち着いて、丁寧に紹介をしよう。」
自分を紹介するということは、相手を当然ながら擬人化する。
『XXさん、私の名前は、森口明子、森の口を明るくする子と書きます!・・・』
一本一本の樹に名前を付けて、まさに初めて会った人にするかのように丁寧に自己紹介を進めた。

2. 自分にあったこれまでの出来事を話す(行動履歴)
次に、自分の人生の出来事を話すわけだが、目の前の樹々たちを見ていると、真っ裸でこっちを見ていて、そこになんの感情も被せることもできないと思った。むしろそんなことをする方が恥ずかしいと思った。つまり、鎧を取り去り、こちらも真っ裸で向き合うのだ。羞恥心も、プライドも、エゴも何も要らない。自然のまま、ありのままに話す。受け取ってくれるかな?

3. 自然対話
テーマは勝手に降りてきた。まさに、私の歩んできた分だけ日々考え悩み、それでも永遠に見つからない答え。真っ暗な洞窟を歩いている自分について語りかけてみる。
自然は、微動だにせず、ただそこに、佇んでいる

4. メッセージを受け取る
ふむ、メッセージ・・・。
即刻、「私はまだ初心者すぎて森のメッセージを受け取るほど心が研ぎ澄まされていない。」と思った。
世俗にまみれ、森の中では必要ない鎧をたくさん付けて来た。会話をする中で数枚は脱ぎ捨て少し素直になった気はするけれど、彼らの囁きが入ってくるほどには至らない。
そんなことが頭をよぎりながらも観察を続けると、雷に打たれて真っ二つになった樹、大根のように二股に別れ、間に大きな石を挟みながら空へ向かって伸びていく樹、隣の他樹種と根っこで繋がり合い、栄養を供給し助け合って生きてきた樹々などの多様な生き物達が目に入ってきた。
これほど過酷な環境の中で生き延び、時に倒れそうな隣人を助け、協力し合って百年も五百年も生きている樹々と、同じ生態系の中で生きる鳥や虫や草花たち。何も隠すことなく、何も飾ることなく、自分自身や自分に起きた境遇を受け入れ、他と共生しながら、ただそこに裸で立っている。

合計3日間の滞在で、4回の瞑想を体験した。
回を重ねる度に森の表情は異なって見える。
瞑想を重ねる度に森を身近に感じる。
少しずつ受け入れてくれている感じがして、初回は他人だった森が、
「お、今日も来たね!今日はどうだい?少し変わったんじゃない?」なんて話しかけてくれる。
「もう友達なんだ!」なんて梅ちゃんに誇らしげに話す私。
40年間対話を続けて来たマモさんを前にして。(笑)

モノから友へ

瞑想を終えて思うのは、私は、森へ入り自己紹介を始めるまでは、森を”オブジェクト(モノ)”として捉えていたに違いない。自然を擬人化して自己紹介をし、次に自分の人生を真っさらな気持ちで紹介する。相手にわかってもらいたい一心で。それが距離を縮めるのだ。
プログラムの構成がうまくできているから、「私と森」の関係性を構築するのに無理がない。
想像以上の効果をもたらしたことに、瞑想の森から戻って筆をとった1週間後の今でも改めて驚いている。

そして、このプログラムを通じて、最初に感じた「スピ子への転身」とはほど遠いことがわかった。
スピリチュアルとは、元々キリスト教の心霊術であること、宗教的な心理学、医療に通じるカウンセラー主導を指す。(吉澤マモさんより)
心に働きかけるという点で最終目的は同じでも、その意味するところや、アプローチ、プロセスなどは全く違う。

訪れた変化

変化はすぐに訪れた。
それは、自分が生きている中で常に課題だった考え方。
明らかに変わっている。
人の考え方って、すぐに変わるものではない。
もちろん、場所や人や本や映画やアートなどの影響を受けて変われるものだけれど、その環境から離れるとすぐに戻ってしまう癖のようなものでもある。
だけど、私には確信がある。
森へ行き続けて、修正・調整の作業を繰り返せば、「地固まる」ごとく、強固なものとなって私の芯に、軸になっていくだろう、と。
だからこれからもいくらでも通いたい、向こうのメッセージが聴けるように。
そして、自分の行動が変わるように。

待っててね、ワイルドな原生林の森よ。

続く。


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