書く習慣1ヶ月チャレンジDay 11 自分の嫌いなところ
今はこんな本を読んでいる。
社会学というものに初めて触れた。
日常の中で、端的に言い表せない違和感ってある。
それがn=1ではないことって結構ありそうだな、とは思っていて、私自身も著者に共感しながら読み進めている。
そんな違和感を掬い上げて、共有できるように言葉にする、さらに概念として定義づけるのが社会学者、ということなのだろうか。
noteでこうして記事を書くことも社会学になるのかなあ。ということは私も社会学者なのでは??なんて妄想をしながら楽しく読んでいる。
久しぶりに私の「読み終わりたくない本」の本棚に追加される本だ、これは。
隣には『水中の哲学者たち』を並べておこう。
前置きが長くなった。
11日目のお題は「自分の嫌いなところ」。
これは悲しいかな、割とすぐ思い浮かんだ。
① 余裕がなくなると視野が狭くなるところ
余裕がなくなると下を向きがちになり、自分の手元しか見なくなる。
一番良くないのが、話している相手の顔を見なくなること。
これはパートナーから別れ話を切り出された原因にも、同僚との関係がギスギスした原因にもなった。
この癖はかなり根深くて、根本的な解決策がまだ見つかっていない。
ただ猫背がひどいのでデフォルトの視線が下向きなことも要因だと思い、最近は姿勢を正すように意識している。
背筋を伸ばすことで呼吸が深くなるのがわかるし、気持ちが落ち着く。余裕が生まれる。
こうやって一歩ずつ変わる努力をしていく。
② 人に思いを伝えるのが下手なところ
数年前までは、自分の殻に閉じこもっていた。
他人のことは信用出来ないし、一緒にいても疲れるだけだ、心を許しても利用されるだけだ、なんて思っていた。
今でも、他人と生活することは確かに疲れる。
けれどもそれは、入ってくる情報量が増えることで処理に疲れるという意味合いであって、1人でないことも楽しめるようになった。
一方で、利用されるという点について。
最近他チームのサポートをしていたとき、同僚から、「大変そうだけど大丈夫?利用されてるんじゃない?」と声をかけられたことがある。
その時、なるほど今私は利用されていると映っているのか、なんて気づきを得た。
と同時に、自分としては利用されている感覚ではなかったのでその乖離が面白く感じた。
誰かに利用されるということは、つまり相手にとっては誰かからテイクしている(ギブアンドテイクという考え方において)ということ。
でも一時的にテイクされる(=ギブする)ことでそのチームが回るようになれば、自分の業務もスムーズに進むようになるので、これはマイナスではないと思っている。
自分の殻を破って外に出てみたことで、なるほど確かにギブアンドテイクで世界は回っているのだな、なんて当たり前のことを今更ながら学んだ。
ただテイカー(ギブをせずテイクのみする人)も一定数存在するのだという事実も、身をもって知った。
思いを伝えなければ奪われる一方なので、自分の人生を生きるためにも発信は重要だというのが現在の結論かな。
その発信する手段として、どうしても「話す」ことに焦点が向きがちで、それが苦手な私はどう生きればいいんだ、と絶望しかけたけれど、今は「書く」という手段も知ってだいぶ気持ちが楽になった。
③ インプット過多になりがちなところ
Day1の最後にも触れたように、私のストレングスファインダーの1位は学習欲。
成果よりも学習することに意義を見出しがち。
個人としては好きにすればいい話。
だけど会社員としては雇用されている以上、当然一定の成果が求められる。
これまでは20代だし、入社して間もなくて経験も浅いせいか、結構甘やかされてきたと感じている。
今は入社して2年経って、それなりに経験も重ねてきた。後輩も増えてきた。
この間上司と話した時、人が抜けていく状況も相まってか、リーダー職もちらつかされた。
自分はリーダーになるにはまだまだ未熟なのだけれど、同僚はプロばかりだ。
個人の力量を高めていくことはもちろんのこと、小さくアウトプットを重ねて「他人の頭を借りて考える」ということも必要だな。
今積読しているこの本にもそのヒントがありそうだ。
11日目「自分の嫌いなところ」でした!
今日はだいぶ語ってしまった。
ただ、長所と短所は裏返しなので。
苦手を得意にするより、得意を伸ばすこと。
嫌いを好きになるより、好きを深掘りすること。
その方がずっと生きやすいし、健康的で幸せだ、というのが私の結論です。
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