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旅に生きる~撮り溜め放出編~その23~自殺と地形①

有料ですが全て読めます。
過去の撮りためた内容と無関係の画像を使っておりますが、ところどころ説明入ります。

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浮島神社
宮城県多賀城市浮島一丁目1-1

みなさんは自殺したことありますか?
ある?
どうですか?成功しました?成功した人はぜひコメントしてもろて。


自殺ってなんでするんでしょうね?
なんてったって紀元前7世紀の女性詩人サッポーが飛び降りしとるってことですし。
古代ギリシャではすでに自殺を「悪である」「いいや権利である」と現代にも続く論争をやっているわけです。


日本ですと最古の自殺は妃弟橘比売命の身投げ。
日本武尊が上総に渡る時に荒れ狂う嵐でなかなか船が進まない。嵐を鎮めるために姫が海に飛び込み無事船はたどり着く。

理由に関わらず、自分の生命活動を終わらせることを選ぶのは現代社会の歪みでもなんでもなく過去から続く営みの一部であり、生への執着と同じくらい引きはがすことができない人を人たらしめる何かなのでしょう。

もちろん、何故自殺するか?とかそういうのは扱いません。精神科医にでも聞いてください。


日本で一番有名な自殺ってなんだろうとぼんやり考えていたんです。
近代でも芥川龍之介、三島由紀夫、川端康成、乃木希典・・・・

中二が引かれる度合いでいえば明治36年の『藤村操』かなぁってこれまたぼんやり。
有名な『巌頭之感』
当時の若者に衝撃を与え後追いの自殺者が多発した遺言。

わずか16歳の少年が木に刻み付けたなにやら深そうな詩。
しかしなんというか『中二』感がある。

彼は死の前日、日光町(現日光市)の旅館に泊まっている。
もちろん移動は日本鉄道、日光支線開通が明治23年なので藤村君の自殺には間に合っている(おかしい)



そこからどうやって華厳の滝に行ったのか?というと徒歩か馬車。

国道120号、日光道路として有名ないろは坂がアクセス路となるが自動車が通れるようになるのは大正まで待たねばならない。よって藤村君の自殺には間に合わない。

※これは昔の映像です!真似しちゃダメ!安全運転(;´・ω・)



明治時代のいろは坂(画像は栃木県庁HPより)


旅館に泊まるお金があった藤村君。馬車にも乗れたかもしれない。
ただボートを漕いだり文武両道の男だったため歩いたと思いたい。このへんはたぶん記録ないでしょう。
籠もあったと思うのですが健康な人は歩いていたんじゃないかと。


彼は第一高等学校に通っていて夏目漱石に英語を習っていたのは有名な話です。

しかし彼は課題をやってきません。
飛び級、勉学だけではなくスポーツもできる。明朗活発で当時にしてはデカい5尺5寸(165cm)。

自殺の約7か月前ほどから弱気な発言をしたためた書簡を友達に送りだします。
漱石に会った時の彼の精神状態は
自己嫌悪と感情コントロールの喪失によって大きく揺れ動いていたわけです。



実は藤村君のとうちゃんも自殺なのだそうです。
漱石は「遺伝があるやもしれぬ」と推測しています。
これに関してはいまさら専門家でも100%正しい判断はできませんのでこれ以上追及しませんが、
自殺に近づくにつれ書簡には気分の落ち込みや厭世観、また支離滅裂まではいかないがややまとまりに欠ける文章が増えていく。

これね、じゃね?(´・(ェ)・`)うつ
漱石に叱られた近辺の親友への書簡には
「何もかも少しも訳がわから ぬので書かうと思ふても書くこともなく,言わんにも言い方がない」
とあります。
ただでさえ自分を見失って思考能力が欠落しているところに叱責されたら

「あーあー(´・(ェ)・`)死ぬか」
ってなってもおかしくはないわけです。




漱石は後世の作品で幾度も藤村君に触れることになります。
本人もだいぶ心に引っかかっていたようですが、悪口とか悪評とかそういう意図ではなく無自覚に彼の死へのトリガーになった可能性があり、
死後それに気が付いてしまった可能性があります。

つまり藤村君は『哲学的』でもなんでもなく『鬱による自殺』
漱石先生は誰にでもありえるしくじりをしただけです。

両方とも気の毒ですな。

ホレーショの哲学でもなんでも彼の溢れる才能が彩った装飾であり、一人の人間が押しつぶされる理由なんてそのへんにいくらでも転がっているのです。





ここまでが前置き。
本題の前に浮島神社の説明を。
多賀城市にある小さな神社です。コンビニの裏手にあって非常にわかりにくい場所です。

ですが歴史は古く多賀城創建のころにはすでにあった由緒ある神社。
歌枕の『浮島』とはここをさすと言われており境内には浮島を使った和歌の看板が展示されています。
小さいのですが氏子が相当活発なようで今もよく保存され祭祀例祭も執り行われています。

はい、本題(´◉◞౪◟◉)ここから
なんで藤村君は東京で死ななかったのでしょう?

自宅には父親が死んでから母と妹も同居していたようなのでNGとしたのは理解できます。

高い建物から飛ぶ。
高い橋から飛ぶ。
川に飛び込む。
首を吊る。

なぜ東京を舞台に選ばなかったのか?
しかも鬱、考えることも体を動かすこともおっくうになっているはずです。
それにしてはあまりに元気すぎる自殺。

藤村君はよくある
「死ぬ間際も元気でまさか彼が・・・・」
ではなく
ふさぎ込み口数少なく、まさに自殺するするムーヴをしていたそうで。

場所を選ぶ理由、
やはり死を特別なものととらえていて、でも現在のこの世もよくわかっておらず自分で境界線を引くために地形を利用するんではないか?

そこに至る道のりだったり、象徴的な場所だったり。

そして見事死を遂げ、『自殺報道』がされて後追いが出るのは
なんちゃら効果というより
『自信がなかった人達にここなら死ねるという勇気を与える』からなのかなって。

華厳の滝は幻想的な雰囲気があるし、本来霊場として開かれた奥日光の自然は今でも何かスピリチュアルなモノを求めて訪れる人もいる。

巨大な橋や崖なども地形として死のアイコンとなる。
そのわかりやすさ、地形として『生と死の境界線』となる地形が自殺の名所となりえる。

そして藤村君は華厳の滝を名所にしてしもうたと。


東尋坊など自殺の名所などで一番効果があるのは監視カメラや施錠ではなく、『声かけ』だそうで。
ボランティアの人や土産物屋さんのちょっとした声かけで保護につながり、自殺が減るのです。

わたしもずーっと付いてきた2人の某自治体の職員に阻まれてしまった。
2人はただ後ろ歩いてきただけだけど。

地形を乗り越えるのはいつも人間。
その乗り越えられる人間は優しい人なのです。



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