旅に生きる番外編~境界~2019/04/03?
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※皆さまの投げ銭を旅費にして記事を書く企画です。
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皆さんは電気と水道だけで生きてきたとこはありますか?
キャンプとか車中泊とかそういうのではなく。もちろん非日常な被災などでもなく。
私が西会津町で住み着いたのは携帯圏外の山奥だった。
なぜ住もうと思ったか。
まあもう疲れていたし、どうせならこの地で1人もいいんじゃないかと思ったんですね。まだ身体的には健康でしたから仕事もできるだろうと。
精神的には疲れていて、そういう原因から遠ざかろうとしたわけです。
それで山奥で仕事を探していた時間はとても幸せだった。
1日500円生活。
朝起きて猫の餌、トイレ掃除、家の前の峠道を1Kmダッシュ1日3本。ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
あとはひたすら曲を書いたり、昼寝したり。
500円は食費と3日にいっぺん入るお風呂代。
そう、お風呂は撤去されていて入れなかった。
電気と水道だけ。TVなし、電話なし、ネットなし。
電話する場合はどうしていたのか?
車に乗ってわずか2分ほど、そうすれば『宝坂』という地区に出れる。
山奥なんだけど49号線からそんなに入らない場所で、その入り口が『宝坂』。
ここはオパールが採れた場所なのだ。
2008年に閉山した鉱山があってそこで国産オパールが採掘できた。
地名もそういうこと。
福島県は意外と近所に狸掘りなんかで採ってた場所がたくさんあるんです。
会津も金山、銀山、銅、硫黄が採れるところがいっぱいあった。
その中でも宝坂は国内で一番有名なオパール(蛋白石)鉱山だったので平成まで稼働、休業してからも入山料を払えば採掘ができたメッカなわけ。
宝坂は49号線で会津から一番最後の福島県。
ここを境目に携帯は圏外になっていた(今は入ります)
家から車で宝坂の入口まで来たら広くなっているのでそこに停めてメールをチェックしたり電話をした。
買い物にいかない日は宝坂まで出てくるのがお約束だった。
ここが自分にとって外の情報との境界だった。
西会津町は閉鎖的。
町営ケーブルTVに加入しなければTVも見れないしインターネットもできない。
だが電柱からケーブルを引く工事は町営のくせに町民負担。
ラジオも嫌がらせのように西会津だけの周波数でしか聴けない。
これじゃ民間の劣化版(´Д`)
今回、ちょっと寄り道のつもりで49号線にストレートに出ないでちょと集落の中へ入ってみたら寺が倒壊していた。
いつかはわからない。無残な姿だ。
ストリートビューでは2015年当時の姿が見れる。
それから4年、雪か老朽化かとにかく神も仏もないことをお寺自ら示すように片づけもされず、ただ中身を晒している。
正直な話。
西会津町に限らず、過疎の町が抱える問題。
それは単純に地理的な事ではない。
やはり仕事と病院なのではないかと思う。
『家をあげます!』とか『畑あげます!』とか
『毎月10万円を1年間支給します』とか。
それは被災者への一時見舞金みたいなモノじゃないか。
危険から遠ざけて、大丈夫になったら復旧して仕事やコミュニティの回復までが本来やらねばならないことでしょ?
時限付き生活保護みたいな呼び込みしたってどの年代等しく来るわけがない。
もちろんホワイトカラーな仕事ばかり求めているヌルイ人や、
モニターの前から動かないで全てを終わらせたい勘違い若者も問題だけど。
あと『仕事=年寄りができなくなった農業』みたいな風潮もよくない。
実はそういう事に対して自分のアプローチを私は持っている。
偉ぶるわけでもなんでもないし、もちろん町議会に立候補するとかそういう錯乱ではなく。
むしろみんな持っているべき、と思っているのだけれど。
皆がそれぞれの視点でたくさんの意見ややり方を示すのは大切。
でも町おこしや田舎暮らしだと
『農家になって無農薬野菜を・・・・』
『アウトドアの趣味を生かして猟師に・・・・』
『そういう田舎暮らししたい人にコンサルティングを・・・・』
ってやつばーーーーーーーーかり。
雑誌もTVも新聞も。果てはその自治体そのものの広報なんかでも。
たとえば長年、汲み取りの仕事していた人が
「この町に排水施設作って周りのも全部引き受けてしまおう!そういう技術の研究者をみんな招いてしまおう!」
って考えをお腹に抱いているとするじゃない?
それを飲み屋の与太話くらいにして流してしまう『どうせ~』って思考。
これは大人も、そして悪い事に楽して稼ぎたがる若者もどっちも持ってる。
もしこの話で注目されていなかった排水処理のエキスパート達が集結したら?
その町は人とモノが集まる場所になる。少し税金で支えてやれば
そのうち金を生み出すシステムができあがる可能性もあるかもしれん。
ウンコやションベンが金になるかもだ。
でも『夢!』『お金に縛られるな!』って言って金を掻き集める胡散臭い人はわっしょいしちゃう愚かさ。
東京で、雑誌やTVやネットで取り上げられている胡散臭い人達は実は日本の衰退の慣れの果てなのかもしれない。
たしかに運は全てを動かしてしまう。
100%運で生き残れる人間がたった1%の不運で道端に転がってしまった天才の腹を蹴り上げる。
でもそれやって転がしてきた死体についに海外が気がついてしまった。
『日本は氷河期世代どうするの?いままで通り無視するの?』
と海外の有識者が発言をしている。
もうバレてる。
最近になって浮上したんじゃなく30年前からずっと国が隠してきた世代をさらに捨てたまま見殺しにするってもう海の向こうがわかっちゃった。
そうして捨てた世代と地方が横たわる。
それらを振り切っていくのは『前進』なのだろうか。
そろそろ今の大人が机の中に食べ忘れのコッペパンと一緒に隠している『0点の答案用紙』を引きずり出すタイミングなんじゃないかな。
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