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旅に生きる~撮り貯め放出編~ その②

有料ですが全部読めます。

※ちうい
いつもの記事と違って順不同、日時不明の写真を掲載していきます。
内容やテーマと一致しません。

その①

いわき市川前愛宕神社

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昭和の40年代まではわりと重要な道路も細かったとか、砂利だったとか、そもそも開通していなかったなんて当たり前です。
トラックも大型が田舎の自治体まで来たのか?っていうとこれまた難しいわけです。

台数が少ない。
所有している運送屋さんがどれだけ山奥の荷物に車体を割り当てられるかっていう話なのですね。

だから今で言う2tトラックに5tくらい過積載したりして。
でも木造の橋が多かったですからあまりに重い重量に耐えられません。
だから地方は山であっても水運や、とりあえず最寄り駅まで持ってくることが求められる。

まあもちろん葉タバコばかりじゃなかったと思うんです。
まだ機械がなかった頃は畑の耕す労力として、牛馬を扱うのが博労であると。
ウチの実家はちょうど山を越えて駅に向かう途中の集落にあって街中にも畑にも駅にもちょうど良い場所であったと思われます。

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それでですね、
食べたかどうかはわかりませんが、死にますね、牛さんに馬さん。(´・_・`)
ひょっとしたら荷物を運んでいる帰り道で倒れてしまったりね。

そういうのを葬ったり解体したり、最終的な場面にまで立ち会うのが当たり前だったと思うわけです。

動物の生き死に触れています。まさに『穢れ』

じゃあこれで東北の人は差別したか?って言うとしていない。
精肉店がある!その精肉店の親戚である太鼓店がある!
だから?(;´Д`)

わたしは悩んだんです。

関西の人はケガレを感じて差別したわけでしょ?
じゃあなんで京の都に死体がゴロゴロしていた時に都そのものがケガレているとは考えなかったのかなって。

『死体』じゃなくて
『死因』を恐れたんじゃないかなって。

流行り病はわかる。天然痘とか同じ症状が出て同じく死ぬ。
ところが普通に生きているのに死んでしまうことがある。
普通の生活範囲で普通に生活しているのに罹ってしまい、もがき苦しんだり、顔にひどい傷が残ったり。

そしてそれを当時の科学でつきとめていたんではないか?って。


貴族的な人も狩りと血や毛皮を触れることもあった昔。
もちろん衛生面は今よりもひどいもんですね。
そうすると寄生虫がついてしまう。

で、まず貴人がそういったモノから離れます。
庶民はやりますね。食べたり冬着にしたりするために。

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ところがやはり死んだりしてしまう。
たぶん、このへんで
『死なない人』と『死ぬ人』が分かれたんではなかろうかと。

それは何か特別な血液を持っているとかそういうのではなく、
『水辺』
ではなかったかと。

皮を剥ぐ。
血が飛び散ったりします。
手を洗う時に井戸を使えば汚れる可能性があります。
衣服や身体に付着すればもちろん危険。

ところが川や池の水辺に近い人は水のすぐ横で解体したり、解体した後に流れる水でじゃぶじゃぶと清めることができる。

だから死なない人達に『ケガレ仕事』を任せていた。
死なない人達は便利だから常に川の近くに住み着いた。

用事があって手紙を渡す時に竹の先に挟んで直には渡さなかったり、
タバコ盆を使ってもらう時も玄関口で来客用を使って飲んでもらう・・・

これ『感染対策』ですよね?

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ところがだんだん、その助けてもらっている人達を勘違いしたのか、正しく認識を伝承できなかったのか差別したのがいわゆる日本的差別だと思うわけです。

そうすると
『昔はこういうことがあったけど今はないよ』って静かに教え伝えればいいだけで、

大声で怒鳴って埒って糾弾して差別作りだして、金や利権や優遇を求めるのは差別を産みだす差別者であって差別の問題解消でもなんでもないし、被差別の当事者ですらないかもしれない。

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では、東北で関西的な差別がなかったのは?

田植えしつつ狩猟するからではないかと。
水に入るし、魚は獲るし、山で熊さんに猪に鹿・・・・
だからこそ近年まで寄生虫に関しては関東から北はね。

田村市と言えばツツガムシ。
子供のころは川で遊ぶな、草むらに入るななんて言われてました。

まず一つ目のテーマはこれで終わりですよ。

あの浅草から何年ですか?長かったですね。
日本はすでに感染対策を古からしていた。
でも間違って攻撃するまでもちゃんとテンプレートだった(笑)みたいな。

だからまあ、落ち着いていこうやって話です。

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