見出し画像

僕がデザイナーを目指すワケ

僕はデザイナーになりたい。

将来はデザイナー以外の道なんて考えられない。


現在僕は就活中である。でもまわりにデザイナーを目指す人はあまりいない。ほとんどが院進したり総合職系の職種に就く中、ただ僕はデザイナーを目指し奮闘している。

何故僕はこんなにもデザイナーになりたいのか?それは僕の人生がデザイナーになるように物語っていたからである。


【幼少時代】 つくることが好きだった

まず大前提として僕はつくることが好きだ。それは何でも良い。絵を描いたり、模型を組み立てたり、Webサイトを立ち上げたりすることはもちろん、文章を書くのも舞台公演を考えたりするのも"つくること"だ。とにかく手を動かして何かものをつくることが好きなのだ。

それは幼い時からそうだった。小学生のころは書道を習っていたし、カードゲームを作って弟と遊んでいたし、漫画を描いたりしていた。家にあるものをドライバーで分解してその内部をノートにまとめて組み立てる、なんてこともしていた。とにかくつくることが好きだったのだ。


【小学生時代】 ものに対するこだわりや美意識が強かった

親から見たら生意気な少年に思われていたのかもしれない。なぜなら親が買ってきたものや学校に持たせるものをダサい!と言って駄々をこね、しばしば困らせていたからである。親が買ってきた服がダサいから着たくない!とか、学校に持たせる袋がダサいから嫌だ!とか言っていた。

これは今でもそうで、僕はものに対するこだわりは強い方だ。家具は白やオーク系、茶色系のナチュラルカラーで揃えているし、服装もセットアップコーデばかりである。持ち物も無地でミニマルなものが多い。こういったこだわりや美意識が、デザイン業界を志す一つの要因となったのかもしれない。


【小学生時代】 漫才コンビを組みライブに出た

この経験は僕のこれからの人生を大きく変えた。小学2年生、もう15年も前の出来事である。

ある冬の日、友達のH君とお笑いコンビを組みライブに出た。ライブといっても学校主催の小さなもので、演奏したり踊ったり何をしても良かった。その中で僕たちは単に面白そうという理由で漫才を選んだ。

毎日学校の帰り道に彼の家に通い2人で練習していた。彼のお母さんも練習に手伝ってくれたのもあり、無事ライブは成功しサイン会まで開くほど一躍学校の有名人になった。

その後H君とは方向性の違いで解散してしまったが、4年生のときに転校してきたF君とコンビを組んでまた漫才をするようになった。このように僕の小学生生活は漫才によって成り立っていたのである。
そして、この経験によってある強い思いが生まれた。

「人を喜ばせるのってすごく楽しい!」

一見すると”デザイン”と”お笑い”はすごく遠い存在のように思えるかもしれない。しかしこの気持ちは後に僕がクリエイターを目指す大きなきっかけとなった。


【小学生〜中学生時代】 哲学的思考の少年

「人はなぜ生きるのだろう?」

家の近くにある橋を渡りながら一時期毎日のように考えていた。結局答えの出ないまま月日が過ぎていき、今も答えは出ないままだ。

こんなことを考える小学生が2020年現在、一体何人いるだろうか?周囲からしたら「変なことを考える子どもだなぁ」と思われていたかもしれない。でも僕は哲学的な問題を考えるにしろ、勉強のときに難しい問題に挑むにしろ考えることが凄く好きだった。

でも今思うとこれもデザイナーを目指す大きなきっかけになっていたのかもしれない。デザインとは考えることが8割を占めるからだ。一般人が想像する、色彩構成を考えたり形を整えたりするといったいわゆる”意匠としてのデザイン”はデザインの流れの中の一部分に過ぎない。ユーザーの課題を解決するために戦略を練ったり、使っていて心地よい設計を考案したりするといった”考えること”がデザインの本質なのである。意匠やビジュアルをつくるといった表層の部分はこれらを元にしてカタチに起こすといった、本当に最後の最後の仕上げに過ぎないのである。

つまりデザイナーとは考える人なのである。左脳で理論を組み立て右脳で表現する。そんな人たちだ。だから考えることが好きな僕にとってデザイナーは自然な道だったのかもしれない。


【中学生時代】 先生のためにドラえもんを描く。飛び出す本をつくる。

中学1年生のとき美術部に入部したが、部の雰囲気に馴染めず夏頃に辞めてしまった。その代わり卓球部に入ったのだが、絵を描くことは好きで自宅で色鉛筆を使ってたまに描いていた。

そんな日々を送っていたが、ある日連絡帳にドラえもんを描いていたのが担任の先生にバレてしまった。先生に見せるつもりは更々なく趣味で描いていたのが見つかり、怒られると思って恐れていたが、なんとこれが大絶賛だったのだ。これ以降毎日のようにドラえもんの絵を描いては先生に見せる日々が続いた。さらにその波紋はクラス中にも広がり、美術部でもないのに友達のノートの表紙や黒板に絵を描いたりしていた。

さらに、美術の授業で絵本を描いてくるという宿題があったのだが、ただ描くだけでは面白みがないと思い、一人だけ飛び出す絵本を作ったことがある。そしてこれもドラえもんと同様大絶賛で、先生だけでなく友達も巻き込み大きな話題となった。

このように、今までは”人を喜ばせることだけ”が原動力になっていたのだが、これに加えて新たな思いが生まれたのである。

「ものをつくって人に影響を与えたり、ワクワクさせたり、喜ばせたりするのって凄く楽しい!」

この思いが僕をクリエイターの道へと誘うことになるのだ。

将来はものをつくる仕事に就きたい。その中でも人に影響を与えたりワクワクさせたり喜ばせたりできるものってなんだろう?パソコンとかゲームが好きだからゲームクリエイターかなぁ...。この時はうっすらであるがそう思っていた。

なお高校生〜浪人時代は地獄の受験生活を送っていたので詳しくはこちらを読んでいただければ幸いです。


【大学生時代】 初めは3DCGや映像を学びたかった。

地獄の受験生活を終え、ついに始まった大学生活。高校〜浪人時代の4年間を経てもものをつくりたいという思いは潰えず、そしてゲームクリエイターになりたいといった思いはどんどん強くなっていた。

僕は大学でゲームを作りたかった。なぜならそれは僕の昔からの信念に合っていたからである。人に影響を与えたりワクワクさせたり喜ばせたりできるものはゲームしかないと思っていた。

ゲームクリエイターの中でも様々な業種があるが、その中でも3DCGや映像などを学びたかった。それらを学ぶことができる大学生活に憧れと期待を抱えていた。しかし大学1年生のある日、ある事件が起こり3DCGや映像から離れることになった。そしてその結果、後にグラフィックやWebといった2Dの制作を主とするデザイナーを目指すことになる。

3DCGや映像を断念した経緯は以下にまとめているので、くわしくはこちらを読んでいただければ幸いです。


【大学生時代】 そして、デザイナーを目指す

3DCGや映像を学ぶことを断念し、グラフィックデザインに手を出し始める。さらにWebデザインに手を出す。僕のデザインの勉強は止まることを知らなかった。

そしてデザイン業界の講義を聞きに行ったり、デザイナーと話したり、本やWebで調べたりしているうちに、僕の信念を達成するためなら別にゲーム業界のデザイナーでなくても良いことを知った。その他にも広告デザイナーやUXデザイナーなど、他にも様々な業種がある。だから今はゲーム業界だけでなく、僕の信念が達成できるデザイナー職の選考を受けているところだ。

だがクリエイティブな仕事がしたいという思いはずっと変わらない。それは僕の人生がそう物語っていたからである。

幼少期からつくることが好きで家にあるものをドライバーで分解してまた組み立てて遊んでいたこと。親の買ってきた服がダサいといって駄々をこねていたこと。漫才コンビを組んでライブに出たこと。小学生ながら「生きるってなんだろう?」と思いを馳せていたこと。ドラえもんを描いたり飛び出す絵本を作って先生や友達を喜ばせたこと。

こういった経験や考えは全て”つくる仕事に就きたい”という思いにつながっていった。だからこそ僕は将来クリエイティブな仕事がしたいのだ。その中でも紆余曲折を経てデザイナーという道を選んだ。そしてものをつくって人に影響を与えたり、ワクワクさせたり、喜ばせたりしたい。

デザイナーとしての初めの一歩はもうすぐだ。


※ 2020年5月15日に就活は終わりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?