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2802号室_前橋俊輔

この部屋には半年前に引っ越してきた。
引っ越しの日はちょうど誕生日だった。28歳になる日に28階の家賃28万円の部屋に引っ越したことに運命じみたものを感じたし、何より誇らしかった。
ベランダからは東京タワーがよく見える。未開封の段ボールに囲まれたこの部屋で、自分はようやくこの東京という街にグリーン席を確保したような気がした。

兵庫信用金庫の社宅である乳白色のマンションの4階の子ども部屋からは、茶色い水の流れる加古川と、轟音を立てて東京へと疾駆する東海道新幹線がよく見えた。やけに新幹線が好きな子だったと母は言っていた。停滞する街の、その淀んだ空気を切り裂いて遠くへゆく白く美しい新幹線。

勉強はできるが足が遅い子、というのが、僕のあの頃の不幸の本質だったと思う。
こくごさんすうりかしゃかい。あらゆるテストで難なく100点ばかり取っていた。祖父も父も早稲田大学を受験し落ちた。我が家にとって都の西北にある稲門はまさしく丑寅の鬼門で、遂に親子三代に渡る大隈重信との因縁の物語を僕が断ち切ることを一族の誰もが熱く期待していた。祖父は遊びに行くたびテストの点数を聞いてきたし、僕が100点と答えると10,000円札を喜んで手渡してくれた。

勉強で積み上げた自己肯定感をぶち壊すのは、いつだって体育の時間だった。特にかけっこの類。50m走、リレー、シャトルラン。足が速い子がモテるという文化はここ兵庫県加古川市にも存在した。足の遅い子である僕は、人類は狩猟採集の時代をとうの昔に通過したのになぜそんなに走り回らなきゃいけないんだろうと苦々しく思いながら母がきれいに畳んでくれた体操服にモゾモゾと着替えた。

埃っぽい茶色い砂の運動場。靴の下に感じる石灰の雪のような湿っぽい柔らかさ。「ろくでなしBLUES」に憧れて教師になったという黒ジャージ姿の体育の先生が笛を吹くと、2人の生徒が同時に50m先のゴールに向けて走り出す。地元のサッカークラブで活躍しているという浅黒いクラスメイトの背中がどんどん遠くに離れてゆく。11.2秒。息を切らしながら後ろを振り返った時に見えた、スタートラインに並ぶクラスメイトの待ちくたびれたような、うんざりした4つの目ー 。耳がカッと熱くなり、頭の中で甲高い音が鳴っていた。

いっそ、勉強もできなければ気が楽だったんじゃないかと思う。最初から無価値な人間であれば、誰からも注目に値しない人間であれば、あんな惨めな気分にはならなかったんじゃないか。惨めさとは高低差である。浮かれた気分で登ったステージでヘマをするから惨めになる。完全な人間か、完全に不完全な人間。どんな不幸な形でもいいから、調和がそこにあることが幸福への一本道。

今思うと、単なる自意識の暴走だ。足が遅いからと言って僕に石を投げるクラスメイトはいなかったし、そもそも少し勉強ができただけでそれほど注目や憧れが生まれるわけでもない。父母や祖父母の過剰な甘やかしで変な高低差が生まれただけだと今は理解している。

一族の期待を背負った大学受験では、無事早稲田大学に合格し、なんとなくそのまま入学した。特に祖父は大変な大喜びで、父が冗談で買った大学のペナントを居間に飾っているらしい。その祖父が費用を負担してくれて海外留学なんかもやった。なんとなく受けた渋谷のメガベンチャー(顔採用じゃない方だ)に無事採用され、なんとなく入社して好きでもないゲーム事業を担当した。
採用面接の際に「挫折経験はあるか」と聞かれて、ふと思い出したのはあの光景だった。足の本数は僕と一緒のはずなのに、僕を置いて先へ先へと走り去ってゆく大村くんの背中。それから運動会や球技大会での居心地の悪い時間。体育の時間が終わったあとに手のひらに気持ち悪く残る、皮膚にべったりと貼り付いた目に見えない砂埃の粒子の感覚。
僕は留学先の大学生と仲良くなるために日本食パーティを開催した話をした。テリヤキソースが喜ばれるんですよ。

数年前に転職した。職場は同じく渋谷で、toCサービスの広告分野でマネージャーをやっている。副業で始めたweb広告代理店が結構当たって、最近は節税のためにポルシェでも買おうと思っている。

最近は東カレデートで日々いろんな女の子と会っている。数限りないABテストの結果、過去編で人気なのは「陸上部かサッカー部」だと判明したのでその日の気分でどちらかを答えている。
アポでビールを飲みすぎたのか、最近太ってきた。スーツがきつい。お腹が出てきて実害が出てきた。運動をしようと、取り急ぎナイキでランニング用品一式をECで購入してみた。走るなんて行為は高校の体育の授業以来だ。

新一橋交差点から古川橋、そこから天現寺橋へと南麻布あたりをぐるりと回る。外苑西通りで広尾を抜けて西麻布交差点へ。六本木通りで六本木ヒルズの脇を通って新一橋交差点へ。
走るのは案外気持ちがいい。頭がスッキリする。人は移動の苦労をなくして楽をするために遂には自動車を開発したのに、道路を満たすそれらを眺めながら走って汗を流すなんて倒錯的で面白い。

相変わらず僕は足が遅い。キロ8分くらいでダラダラと走っている。それでもすぐ疲れる。引き締まった浅黒い体のおじさんに軽々と抜かれた。彼と比べると、なんだかフォームもおかしい気がする。
でも、そんな僕を笑う人も、そんな僕を見る人もいない。道ゆく人と目が合っていいことなんて何一つないから、この街の賢い住人たちは互いに顔を見ることさえしない。
心地よい無関心。地上36階建の僕のマンションの一室一室に、互いに顔も名前も知らない440戸のプライバシーのユニットが詰まっている。柔らかな細胞膜で覆われた暖かな細胞液に漂う、胎児のように丸まった人々の様子を想像する。孤独と沈黙の細胞たちの集積体。タワーマンションが人体だとしたら、どんな顔をしているだろう?もしかしたら、あの頃子ども部屋の窓から窓から来る日も来る日も飽きずに新幹線を眺めていた僕のような顔をしているのかもしれない。

夜の街をゆっくりと駆ける。モリモトの安っぽいデザイナーズマンションにも、高台の由緒ありそうな戸建てにも、あるいは道を埋める高級外車にも。この街は、目に見えるすべてのものに物言わぬ孤独がひしめいている。
家を出る前に郵便受けを確認したら、祖父から手紙が届いていた。美しい手書きのハガキ。東京に来てから10年間、祖父には会っていない。
彼から離れて気付いたが、僕は彼のことがあまり得意ではない。自分の人生のやり残しを僕に当然のように期待し、その進捗報告を都度やらせて都度評価するその態度。祖父のため良き孫であれという無言の圧力。かけっこが遅い自分を責めたあの頃の元凶は、実は彼だったのではないかと思っている。

僕の足が遅いと聞いた祖父は図書館で体育教育に関する本を読み漁り、似合わないジャージを着て僕にトレーニングを施した。夏の加古川の河川敷。密度の濃い青々しい雑草の匂い。飛ぶバッタの羽音。何度も何度も50mを走らされる。息が切れ、汗が目に染み、気道に鉄の味を感じる。
ぬるくなったアクエリアスを笑顔で手渡す祖父の笑顔。これさえ渡しておけば喜んで走るだろうと当然のように期待する祖父のその笑顔。

孤独の本質的価値は、誰からも何も期待されないことだと思う。こうして欲しい、こうあって欲しい。楽したい一心で車を生み出した人類は、楽したい一心で他人にあれこれ期待してしまう。その期待が、あの頃の僕にとってものすごく息苦しかった。
大学の同級生とも、前職の同僚とも特に連絡をとっていない。最近会う人は東カレデートの女の子たちで、彼女らには僕が本当に入っていた部活すら伝えていない。予定のない金曜の夜中とかに急に寂しくなることもある。しかし、それでも僕はこの孤独から得るもののほうが大きいと考える。東京タワーの見えるこの部屋で、僕は暖かく柔らかな孤独の中を胎児のように漂い、眠るのだ。
このマンションの440の部屋の中には、きっと何百何千もの眠る胎児がいる。東京の本質が孤独であるように、タワーマンションの本質も孤独であるのかもしれない。知らんけど。

ナイキの高いランニングシューズで古川を渡ったとき、立ち上る腐った水の匂いの中で、加古川の水の重苦しい茶色をふと思い出した。

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