スポーツは「楽しい」ものか、「楽しむ」ものか

このタイトルの意味する違いがわかるでしょうか。

近年、日本フェンシング協会のイノベーションが話題となっています。
昨年の「エイブルpresents 第72回全日本フェンシング選手権大会」は、フェンシングを観る人のユーザー体験(UX)をとことん追求したエンターテインメントでした。

そして、同協会が並行して進めている「学校訪問プログラム」も、フェンシングを初めて知る子供たちがわずか1時間「観戦」をするだけで、大声を出し、飛び跳ねながら、熱狂的に応援するようになる衝撃的なイベントです(ここではその詳細を割愛しますが、ぜひ調べてみてほしいです)。

これらの新たな取り組みを見て、フェンシングはこんなにも魅力あるスポーツだったのかとたくさんの人が驚きます。この現象はフェンシングに限ったことではありません。ラグビーW杯2019でも、ラグビーの魅力に気づき「にわかファン」となった国民が多くいたことも記憶に新しく、東京2020オリンピック・パラリンピックでも、次は我こそと新たにスポットが当たることを目指す競技が多くあるでしょう。

ここで為末大さんの言葉を借ります。

― 楽しいことをやることと、やっていることを楽しむことは違う。前者は受け身の行為であり、後者は主体的な行為である。前者は誰かが人を楽しませるために作り出したものによって遊ばされている。後者はそこにあるものを自分なりの工夫で編集し直し遊んでいる。もちろんきれいに分けられるものでもなく、前者から後者への移行もある。

スポーツ界の人々は、スポーツは楽しいものであると信じ、スポーツと主体的に関わることを声高に主張します。しかし、スポーツを「楽しい」という人は、すでにそれを「楽しむ」すべを知っているだけにすぎません。
そのスポーツの持つ特徴のどこかに魅力を感じ、それを「楽しむ」方法を知ることで、初めてそのスポーツが「楽しい」ものとして認識できます。

つまり、コンテンツとしてのスポーツが単体で存在しているだけでは、それは決して「楽しい」ものではないのです。

スポーツの「楽しさ」を伝えたければ、スポーツを自分の中での「楽しい」形に変換して提供することでその体験を共有させればいいのですが、これを具現化しているのが今の日本フェンシング協会です。フェンシングの持つ「特徴」を「魅力」として感じ取ってもらえるように、エンタメ化して提供しています。

では、コーチや指導者ではどうでしょうか。
例えば長距離走を「楽しい」と感じさせるには、何を楽しませればよいのでしょうか。タイムが縮むことや爽快感を味わうことという結果的なものでは決してありません。

上越教育大学大学院の高嶋香苗氏は、それはレース中の駆け引きであると述べています。それを感じやすくするために、直線でしか追い抜き出来ないというルールでトラック周回をさせるなど、より駆け引きをしやすくなるように変換して実施させることを提案しています。そうすることで、ずっと全力疾走を続けるのではなく、ペースを上げるタイミングを探り合いながら走るという体験ができるようになります。長い距離を走るという過程の中にある「特徴」を「魅力」として気づかせるのです。

このように、スポーツはそのままでは「楽しい」ものではなく、「楽しむ」すべを見つけることで初めてその人にとって「楽しい」ものとなります。同じスポーツでも何を、どのように楽しむかは人によって様々であるため、スポーツの提供者はより多くのニーズに応えられるようにアレンジする引き出しを持っていることが重要なのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

【参考】
・太田雄貴(2019)、『CHANGE 僕たちは変われる―日本フェンシング協会が実行した変革のための25のアイデア』、文藝春秋
・高嶋香苗,渡辺輝也,周東和好(2017)、競争相手との駆け引きを学ぶ長距離走の新たな学習指導過程の提案、体育学研究
・為末大,私のパフォーマンス理論vol.46-楽しむこと-, tamesue.jp

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