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『「わざと負けて」企画』が語る勝利の意味

スポーツの文脈において「勝利」は常に議論のタネとなっている。オリンピックに出場するアスリートや日本一を目指す学生など、スポーツをする選手がみな勝利を目指すことは言うまでもない。その一方で、「勝利至上主義」といった言葉で、過剰な競争やそれに向けた過酷なトレーニングなどスポーツの競争的な側面に批判的な声もある。

「スポーツで勝利を目指すことはいけないのか?」

これに対して「いけない」と答える人はおそらくいないだろう。しかし、「勝利以上に大切なことがある」と答える人もかなりの数いることが予想される。彼らが言う「大切なこと」は何だろうか?それは本当に「勝利以上に大切」なのだろうか?では、仮に”勝利することを完全に捨てる”場合、スポーツがどうなるかを考察してみる。それが本稿の目的である。

PKに「わざと負ける」ゲーム

過去に某バラエティ番組で『サッカーのPK対決で互いに”わざと負ける”ように指示されたらどうなるか説』の検証が行われた。両タレントがそれぞれマネージャーから「勝ったらスケジュール的に次の収録に出られないので、このPKは絶対負けてください」と言われるという奇妙な設定である。互いに相手にも同じことが告げられているとは知らず(のちにだんだん勘付いてくるのだが)、両者が(悟られないように)わざと外し合うという展開は、バラエティ企画として最高のお笑いとなった。

私も「バラエティ」としてその企画を観て楽しんだ一人だが、これをあえて「スポーツ」としてみたとき、『勝利』に対する重要な視座を与えてくれるものだと感じた。対戦する両者が互いに「わざと負ける」という構図、すなわち通常なら互いに「勝利」を取り合うところが「敗北」を取り合うという逆転構造が、いったい何を意味するのか。

「ゲームミッション」と「プレイヤーミッション」

議論を進めやすくするために「ゲームミッション」と「プレイヤーミッション」という2つの概念を便宜上用意する。ゲームミッションとは、ゲームが原理としてもつ勝利条件であり、「何をすればそのゲームに勝利できるか」を指す。もう1つのプレイヤーミッションとは、「プレイヤーがゲームの中で何を目指すか」を指す。以降、この2つの概念を頻出するが、上記の意味として理解してほしい。

前述のバラエティ企画では、”通常の”PK対決に「負ける」ことを目指した。”通常の”PK対決とは「ゴール数が相手より多いこと」が勝利条件(=ゲームミッション)となるゲームである。本来ならばこの対決に「勝つ」ことを目指すため、自然とプレイヤーの中にも「ゴール数を相手より多くすること」がゲームの成功条件(=プレイヤーミッション)として生じる。つまり、原則として

ゲームミッション=プレイヤーミッション

という等式が成り立つ。一方で、この対決に参加する両者が「負ける」ことを目指すとは、すなわち「ゴール数が相手より少ないこと」が成功条件(=プレイヤーミッション)となる。つまり、「わざと負ける」ことを両者に課すことで

ゲームミッション≠プレイヤーミッション

というちぐはぐな構図をつくり出していたのだ。しかし、ここにも2つの構図が存在する。それは①2つのミッションがトレードオフの関係にある場合と、②2つのミッションが両立可能な場合である。

プレイヤーミッションの種類

ここで、プレイヤーミッションについて詳しく述べる。改めてプレイヤーミッションとは、言い換えれば「プレイヤーがそのゲームの中で何を目指すか」である。私は、プレイヤーミッションには全部で4つのタイプがあると考える。

【1】最終的にゲームに勝利すること
【2】(最終的な勝利に向けて)特定のプレーを達成すること
【3】(勝敗とは無関係の)特定の行為を達成すること
【4】最終的にゲームに敗北すること

【1】最終的にゲームに勝利すること
ここは特別な説明はいらないだろう。ゲームに参加するほとんどのプレイヤーがこれを目指している。このタイプのプレイヤーミッションを掲げた場合、必然的にゲームミッションと一致する。したがって、ゲームミッションに求められているプレーを達成することを目指す。

【2】(最終的な勝利に向けて)特定のプレーを達成すること
PK戦のようなゲームでは、ゲームミッションもプレイヤーミッションもどちらも「ゴールを決めること」となる。しかし、これはキッカーに限った話である。PK戦では、GKは「シュートを止めること」をプレイヤーミッションとして掲げるはずだ。このように、ゲームミッションとプレイヤーミッションが一致しない場合がある。大人数やポジションの役割が明確になるほど、不一致の割合が高くなる。しかし、各自のプレイヤーミッションを達成する延長線上に、ゲームミッションの達成(=勝利)が待っているため、これらの両ミッションは同時に成立可能である。

【3】(勝敗とは無関係の)特定の行為を達成すること
特にアマチュアレベルにおいて、勝敗とは関係のない目的をもってゲームに臨む場合がある。例えば、「他の参加者と仲良くなること」のような人間関係づくりを目指しているプレイヤーや、「ひと笑い取ること」を目論んでゲームに臨むバラエティタレントがいることもあるだろう。この場合もゲームミッションとプレイヤーミッションは不一致となる。しかし、このタイプはゲームミッションの達成(=勝利)には無関心なため、あえてそれを阻害することもない。したがって、ゲームの流れに身を委ね、ゲームミッションの達成に自然とアプローチしながら、プレイヤーミッションの達成を目指すことになる。

【4】最終的にゲームに敗北すること
前述のPK企画のように恣意的につくられた場合のみ、このタイプのプレイヤーミッションが発生する。この場合は、ゲームミッションとプレイヤーミッションが完全に矛盾するため、両者はトレードオフの関係となる。すなわち、プレイヤーミッションの達成を目指すほど、ゲームミッションの達成からは遠ざかる。

勝利に近づくことは完全には捨てられない

勝利とは、ゲームそのものがもつ「原理」であり、どちらか一方が勝利に近づいていくことは「自然現象」である。その勝利へのアプローチを意図的に加速させるか【1・2】、自然のスピードに任せながら別の目的を同時遂行するか【3】、意図的に減退させるか【4】という選択をしているのがプレイヤーミッションである。

仮にすべてのプレイヤーが【4】を選択した場合、どちらも一向に勝利へと近づかず、ゲーム自体の「原理」が崩れることになる。したがって、基本的には【1】~【3】しか生じず、どのタイプのプレイヤーミッションを掲げても、その人のプレーは(意図的あるいは無自覚に)勝利に近づいていく中で行われる。つまり、ゲームに参加している以上、”完全に”勝利を捨てることはできないのだ。

では、なぜ勝利を目指すことへの批判が出てくるのか。この批判は、プレイヤーミッションのタイプの相違からくるものだと考えられる。具体的には、タイプが【1・2】か【3】かというだけの違いである。両者の明確な違いは、【1・2】は勝利へのアプローチを加速させるのに対し、【3】は勝利とは無関係なところで遂行される(アプローチを加速させない)ということである。しかし、ゲームミッションの方に視点を置いた場合、勝利へのアプローチは「自然の原理」であり、どのタイプのプレイヤーにもそれを否定できないはずなのだ。

まとめ

オリンピックでのメダルラッシュにわく一方で、メダルにこだわりすぎているという声がある日本国内。しかし、この批判は世界的にはめずらしく、海外諸国はいかなる選手もメダルを目指して当たり前という考え方が主流であるという。この差はどうして生まれるのか。それは、スポーツにおいて勝利を目指すこと、大会でより高いところを目指すことが「自然の原理」であるという認識の有無ではなかろうか。

冒頭に「勝利以上に大切なことがある」という主張があることを記したが、それは「原理」であるゲームミッションよりも「モチベーション」であるプレイヤーミッションをより重視しているからであろう。本稿は、バラエティ企画を参照することでその「原理」を浮かび上がらせ、「勝利」と他の何かを二項対立にすることの無意味さを明らかにできたと思う。スポーツを含むゲームにおける「勝利」以外の目的は、勝利とは無関係に目指されるもので、勝利を捨てて目指されるものではない。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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