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New体育論-Management Perspective-

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小学校で体育を指導しながら、スポーツ産業のマネジメントを学んだ私が、スポーツが発展するためにあるべき体育の姿を様々な切り口から解説するシリーズ。これまでにはなかった「新しい体育の…
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#教育

評価のときにもつべき5つの視点

教師に限らず、すべての人は何かしらの対象を評価している。個人の成績かもしれないし、自分の健康状態かもしれないし、今日訪れたレストランの料理の味かもしれない。学校で教師が「評価」と聞くとすごく堅苦しい感じがするが、実はもっと日常的で感覚的なことなのだとも思う。 評価するとは、ものごとを価値づけし、場合によってはその因果関係などを推測する知的作業である。また、その評価の結果が自分の行動選択に影響を与えることも少なくない。では、我々は対象について、何をどのように評価しているのだろ

主体的な者と責任ある者

【主体性】は、現代の学校教育には欠かせないキーワードだが、極めて抽象的な概念でもある。似たような文脈でよく用いられる「自発的」「自律的」「能動的」などの用語とは何が違うのだろうか。主体性の程度を示す「主体的な状態」とは一体どのような姿だろうか。 これが不明瞭のまま観察評価をすると、ただ楽しそうにしているだけの子や(内心めちゃくちゃ不満に思っていても)言われたことをきちんとこなす子がA評価をもらうことになりかねない。主体性が重要であることに疑いの余地はないが、ならば尚更明確な

教育とは「行為」ではなく「影響」である~現象学的還元~

今回はかなり哲学的な話を書くことにする。私は職業として小学校教諭をしており、いわゆる「教育のプロ」とよばれる仕事をしている。しかし、学生時代からこの実態の見えない「教育」という言葉がずっとひっかかっていた。今の仕事には誇りを持っているし、同業界の同志や先人たちにはリスペクトの念は忘れない。しかし、彼らが「教育にこだわる」ことや自分が「教育をしている」という表現には非常に違和感を持っていた。自分がやりたいことは別に「教育」ではない、そもそも教育って「するもの」ではない、では自分

なぜAIを育てることを「教育」といわないのか?

近年AI(人工知能)の発達が予想をはるかに上回るスピードで進んでいます。AIが人間の知能を上回る「シンギュラリティ」と呼ばれる状態が、かなり近い将来に現実となると主張している研究者もいます。 そもそもAIは、入力されたデータからある法則を導き出し、方程式(アルゴリズム)を作り出していくものです。アルゴリズムという”道筋”が一度できてしまえば、人間が計算するよりも圧倒的に速いスピードで計算ができてしまいます。さらに、入力データが増えると、自動的にアルゴリズムを修正し、その精度