フォローしませんか?
シェア
行くあてもなく心が流れて行く時に、何かがふと流れてくることがあり、それをつかむことによって、何かを思いついたりします。本来であれば水面に常時浮いているはずの軽石が、何かのはずみで川底に沈んでしまい、それもまた、水流や動物の侵入、乱入により浮上してきます。それは決して「ささいな事」だったわけではなく、ただちょっとタイミングが悪かったり、他の事の方が重要だったりしただけです。「それどころじゃない!」というやつです。 それでも本当に大事な事は、何年かかっても浮かび上がってきて、
努力は全く実らないわけではなく、なおかつ100%のうち99%位まで何かをやれば実る!(キリッ) というわけでもありません。 遠回しに外堀から攻めていくのか、いきなり門を叩き、中に入ってから言いたい事を言うのか? 人は誰でも相手の顔色を見ています。態度を見て大まかに予測し、表情から細かな事を察します。とは言え、心の状態が顔に出にくい人もいれば、顔に出さないようにする人もいます。 概ね良好なら良いのですが、細かな事は本人が説明するしかありません。通訳が必要な時もあるけ
全てが明るみに出た時に、人は絶望を味わい、様々な面で助けを求めて溺れそうになっています。誰かが手を差し伸べても暗くては何も見えません。どうしても明かりが必要なのです。その明かりを一体どこで見つけるのか? やれる事をやりつくし、それでも見つからないこともあります。 大いなる存在は明かりを掲げていますが、目を閉じていると、ほんのり明るく感じる程度で、誰かの助けの手は見えません。大きな目で、視野で物事を見て学びましょう。 学びは、川の底からきれいな石を拾うようなもので、水が