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人の記憶と意見の一致

行くあてもなく心が流れて行く時に、何かがふと流れてくることがあり、それをつかむことによって、何かを思いついたりします。本来であれば水面に常時浮いているはずの軽石が、何かのはずみで川底に沈んでしまい、それもまた、水流や動物の侵入、乱入により浮上してきます。それは決して「ささいな事」だったわけではなく、ただちょっとタイミングが悪かったり、他の事の方が重要だったりしただけです。「それどころじゃない!」というやつです。

 それでも本当に大事な事は、何年かかっても浮かび上がってきて、その存在を示します。もちろん、目の前に再度浮上したからと言って、それを必ず取り扱わなければならない! ということはありません。色あせてしまったり、使えなくなっていれば、思い切って捨てます。

 人の記憶は一度に覚えておいたり、思い出したりできることに容量的な限りがあります。例えばパソコンの画面上に表示できるものは限られています。しかしながら、モニターを増やせば、今までよりも、サイズの面でたくさんのものを表示できます。モニターのみならずPCも増やすなら、処理能力は二倍になるでしょう。このPCを人に例えて、人が二人、三人と増えていけば、それだけ色んな事ができるようになるかもしれません。

 個性はそういう点ではバラバラで画一的でない方が良く、たとえバラバラでも、どこかで共通する点、何かに対する好みや、能力、信じるもの、価値観があると、協力して何かを成し遂げる事が可能になるでしょう。そういった協力的な姿勢を好まない人もいますが、それはそれ、これはこれ。全ての人々があらゆる面で意見の一致を見ることはなく、違いがあることで何かがよりよくなることもあるでしょう。

 ありがとうございました。(2023.2.17)

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