聖人は賞金首 極悪人は英雄になる世界で その双子は一人は地獄の底に堕ちる悪の道、もう一人は天国へ続く光の道を志した。 ──神の実在を確かめるために


朝陽の中で見る商売女の顔みたいに薄ら汚れた壁に、童貞の白ブリーフのような真新しい指名手配書が貼られている。


イエス・キリスト

賞金10兆ギル

ブッダ

賞金10兆ギル

預言者ムハンマド

賞金10兆ギル

この世界の原理原則。それを端的に示すための広告みたいなものだった。

頂点の3善人からだいぶランクの下がる壁の腰あたりの高さに俺と全く同じ顔をした男の手配書が貼られている。


トーマス・コルベ神父

賞金500万ギル


身体の弱い子供や女性を砂漠の砦にかくまい、守るというとんでもない善行を働いた凶善犯だ。そして、俺の双子の弟でもある。

俺は、弟が描かれた壁の手配書を引き剥がした。

500万ギル。俺たちの目標には遠く及ばない。

俺の皮膚に、視線のタトゥーでも刻みつけようとしてるのか。ずっと睨み付けてる男がいるのは知っていた。

なかなか、良い顔をしていた。薄汚い悪行を長い事積み重ねて出来た、腐敗臭の漂ってくるような顔。

街から出て、人気の無い林道に差し掛かると向こうが動いた。

「てめぇのなめ腐った海馬は、やっぱり忘れ去ってるみてぇだな」

公衆便所の中に建てられた墓石みたいな汚ならしい歯が荒れた唇の隙間にちらちら覗いた。

「思い出の引き出し、ガッタガッタに引きずり出して、クリスマスの夜にママのおっぱい吸わせてもらった記憶と、あの日の俺様の顔をごちゃ混ぜに思い出させてやろうか?」


──この世界では、より重い罪業を積み重ねれば積み重ねるほど、より強大なパワーを付与される。

逆に、善行を積み重ねる者、正しい行いをする偉人は指名手配され賞金をかけられて首を狙われる。

誰が、俺たち悪人に超人的な能力を授けているのか、それは分からない。

ひねくれた神なのか、神を打ち倒した悪魔なのか?

「俺は、お前を殺すためだけに罪業を積み重ねてきた。何千人殺したか。何千人の女を犯したか。お前に手足を切断されたあの日から」

男が腕を振るうと、林道に沿って繁茂した若い木々がダース単位でひしゃげ、粉砕された。

強烈な、負のオーラが鼻先に漂ってきた。口先だけではない濃密な罪業の気配。

八歳の少女を性奴隷にして鎖に繋げてつれ回していた男。それが12年前のこいつだった。なぜ、こいつの四肢を切断し、酒場の前の路上に放り出し少女を解放したのかは分からない。自分のテーマには明らかに反する行動だったから。

イレギュラーな行動のツケを今さら払わされる。人間は生きているだけで、人生から負債を負わされ続けているのかも知れない。

「悪事を重ねれば重ねるほど強くなぁあある!この世は俺たちにとってパラダイスだよなぁ?えぇ?コルベェェ」

男の毛穴ひとつひとつから黒い煙のようなものが吹き出してくる。

それは男の頭上で結集して円盤状に固まった。煙の円盤は高速で回転している。

男が空中で何かを掴むような動作をすると、円盤が宙を滑り出した。

周囲の木々が軽やかな音をたてて切断されていく。

一体、どれほどの女たちを凌辱すれば、どれほどの罪無き人間たちを殺せば、これほどの力を得られるのか?

周囲の木々を根こそぎ切断した円盤が背後から襲いかかってくる。

腰に差した長剣を背中に回して円盤の襲撃を弾く。

「ヴァーカーめぇ~囮だよ~」

愉悦に浸りきった男の表情。導火線が尽きかけた、人面林檎デザインのダイナマイトが目の前に出現した。

凶器を透明化する異能。想像以上だ。

次の瞬間、視界が漂白された。

林道の中心に炎の華が開く。炎の花びらを広げる。

──どれだけの、一体、どれだけの罪を重ねれば?

首にかかった聖灰のロザリオがすでに魂の計測を終えていた。

「なんじゃ、そらぁ」

突風が吹き荒れ、煙で濁った視界が透明度を取り戻す。

漆黒の大剣。腐敗した肉と骨を継ぎ足して形成したようなグロテスクな大剣があらわになる。

俺の手に握られた大剣は爆発の直撃を受けても傷一つつかずに妖しく湿り気を帯びていた。

この大剣は、その男の罪業の形。

俺の武器は、相手の魂の罪業を計測し、その罪の重さに応じた武力を持ち手に与える。

前世、前々世と魂の経歴を遡り、罪業は計測される。

この男は生まれ変わるたびに罪を重ね続けたのだろう。今生の罪だけでは到底、説明のつかない強烈な重みを大剣は帯びていた。

大剣を軽く左右に振るった。

剣波が発生し、それは黒い波となって男に向かった。

振るわれた剣の軌道の形をした黒い波は、女の悲鳴をあげていた。複数の、女の断末魔の悲鳴。耳を覆いたくなるような悲痛な声だった。

男は余裕をもって波の軌道から逃れて林道の木々を蹴りながら空中を移動した。

だが、女の断末魔をあげ続ける黒い波は軌道を変えた。空中の男に追いすがる。

波はもはや無数の女の顔そのものになっていた。

男は恐怖で顔を歪めながら、波に球形の小型爆弾を投げつけた。自分も爆風を受ける距離だ。

空中の、木々の間で赤い光の華が咲き、左右前後の木々が粉砕する。

ドラムロールのように林道周辺の風景が微かに鳴動するなか、しばしの空白が生じた。

相手の生死も負傷度合も判然としない様子見の時間だ。

身体の周囲をたなびく煙が人間の頭部の形に盛り上がった。

血と、焼け焦げて剥落した皮膚。焼死体と同じ色あいをした頭部。

「えげつねぇ、えげつねぇぜ!てめえのエモノよぉおお」

男が、死角から飛びかかってくる。爆風の直撃を受けて、なお死なない。この不死身性。もはや人間の領域を遥かに超えた生命力。超人に到達するほどの罪業。

男が犯し、殺してきた女、子供の死臭が鼻をついた。悲鳴が、色情狂の老女のように鼓膜に粘りついた。

「だが、罪業の質、量では俺の方が遥かに上!肉弾戦に持ち込めばこちらのものよ!キャハァ~!八つ裂きにしてくれるわぁあああ!」

男は、腐れかけたスラム街のチキン料理を引き裂くような手つきで俺の両腕を掴んだ。

4、5歳の男の子が、この男に同じように身体を引き裂かれるビジョンが浮かんだ。おそらく実際にあった事なのだろう。聖灰のロザリオが見せる魂の記録。

肉塊が巨大なハンマーで叩き潰されるような、生々しい音が空間にのしかかり、血の滴が霧雨状になって林道に降り注いだ。

俺の拳が、男の上半身と下半身を繋ぐ部位を、消し飛ばしていた。

二つに切断された男が、地面に落下していく。

「・・・・・・なんだ、この力。なんだ、お前」

切断された上半身だけで囁《ささや》く男は、人間以外の何かに見えた。異様にふてぶてしい芋虫をみているようだ。

「どんな・・・・・・罪背負ったら・・・・・・そんな力授かるってんだ・・・・・・」

男は、このまま放置すれば大樹のように数百年でも生き続けるだろう。いずれ下半身と合流して癒着し、再び歩き出すかも知れない。そうして、罪も無い女、子供をさしたる理由も無くいたぶって殺して回る。

足跡をつけた場所を即席の地獄に変えていく。

地獄とは人間の魂の中にあり、俺たちの身体を通して地獄はこの世に具現化されるのかも知れない。

「・・・・・・一民族まるごと、数百万虐殺でもしない限り・・・・・・お前の力は説明がつかねぇ」

今、この場所で地獄の入り口を塞ぐ。この男の魂という地獄の門を完全に粉砕する。

「・・・・・・まさか」

男の罪業が具現化した俺の手の中の腐敗した大剣が獰猛な悲鳴をあげた。

「・・・・・・メシア殺しの噂は本当だったのか?」

ぷちん。

罪業の重みで出現したクレーターの底で、薄汚い肉袋が破裂した。

「・・・・・・こんな薄汚《ぎた》ねぇ悪党《モン》ばっかりたたっ斬ってたら、弱気な神に気に入られちまうじゃねえか」

月明かりの中、聖痕から血を滴らせている幼少時代の弟の姿が頭にちらついた。

青い夜だった。果てし無い白い砂漠が、夜に染められて真っ青に光っていた夜。

弟の手のひらと足に出現した聖痕から血が滴って、青い天地に染みを広げていく。

それは、俺が初めて人を殺した夜だった。

まるで、俺の罪を贖《あなが》うように。

俺が弟を食べさせる為に悪事を重ねるたびに弟は聖人として覚醒していった。

贖罪体質。弟は、俺が悪の力を増大させていくたびに逆のベクトルに成長していく。

ある日、弟が言った。

「究極の悪人と究極の善人がふたりいて、それぞれの道を極めていけば神の存在を確かめられるかも知れない。

もし神がいるなら、究極の悪人には天罰を下さずにはいられないだろうし、究極の善人は愛さずにはいられないはず」

神の存在を確かめる為にお互いの道を極める。あれから二十年が経ち、弟は世界中から指名手配されるほどの偉人になり、俺は『メシア殺し』の異名をとる極悪人になっていた。

□□

処女懐胎が世界中で同時多発的に起こるようになって久しい。

数百人にも及ぶ量産型の聖母マリア。黒いのや白いのや黄色いマリアだ。

なぜ、悪が栄えるこの世界にメシアが大量出現を始めたのか?

だが、世界各地の巨悪たちはメシアの大量出現から神のメッセージを読みとく事などまるきりせずに、それを新種の鉱物資源か何かのように奪い合うようになった。

具体的に言うなら、世界各地の、処女懐胎をした聖母を買い取っては、その腹を引き裂いて胎児を自分たちの力に転用したのだ。

安直にメシアになるはずだった胎児を喰らった者もいたし、自分の身体に移植しようとした者もいた。

一番流行ったのは特殊な培養槽を使って胎児の成長を止め、自分の手元にメシアの赤子を御守りがわりに置いておく事だ。

聖母の子宮をいくつも手元に保有する権力者たち。現実に、それが絶大な加護を保有者に与えた。

聖母の子宮を制する者が世界を制する。

俺は、そんな聖母の子宮を保有する権力者たちを狩ってきた。メシアの胎児を始末し、世界のパワーバランスを常態に戻してきた。

自らの罪業を果てし無く膨らませながら。

□□

巨大な罪業がある場所を探知しては、その場所に俺を導く聖灰のロザリオ。

今までは全く反応の無かったエリアに強烈な罪業を探知して、俺は戸惑った。

そこは、善人や平凡な人間が集まってお互いを保護し合っている世界で唯一悪行が横行しない都市だった。

その都市は、ある宗教の総本山でもあり巨大な壁で周囲を守られていた。

今ではその聳《そび》え立つ城壁の内部から圧倒的な罪業が探知されている。白《ぜんにん》でも黒《あくにん》でもない灰色の人々が平穏な生活を送っていたはずの貴重な中立地帯で一体何が起こっているのか?

城門を出入りする商人たち、物資を運ぶ荷車などに異常は見られなかった。

城門の外に何かの用事で出ていく住民たちの中にも巨大な罪業を持つ者はいない。

しばし城門を出入りする人々を観察しながら罪業を計測していた。すると、頭の先から足先まで純白の装飾をまとった一団が城門から出てきた。

どうやら、遺体を埋葬しに行く葬列のようだ。

奇妙な事がひとつ。

純白の衣装をまとった彼らからは罪業がほんのわずかすらも探知できないのだった。

これはおかしかった。というより、あり得ない事と言えた。

今生だけでなく前世の罪まで計測する聖灰のロザリオ。赤ン坊ですら罪をまとって生まれて来るのが普通なのだ。

これは、すでに魂が肉体から抜け出した死体を計測したときとそっくりな反応の仕方だった。

細く伸びる白い煙のように荒野を歩んでいく葬列を追った。純白の葬列。生命力のまるで感じられない人々。

十分な距離をおきながら岩場の上から見下ろしつつゆっくりと並走する。陽射しにあぶられてからからに乾ききった岩を乗り越えるたびに唇の水分が奪われていく心地がした。

荒野の中に建設された巨大な墓地が見えてくる。

純白の葬列は、墓地の入り口へと吸い込まれていった。

広大な敷地を持つ墓地内。墓石の列の間を貫く中心の通路に長いテーブルが置かれている。

テーブルに着席しているのは、どれも豪華な装飾品を身に付けたドレス姿の絶世の美女たちだった。

およそ、墓場には似つかわしくない派手な衣装と美女たち。何人か、見覚えのある顔の女もいた。大富豪の妻の座に収まって世間の注目を集めた顔だ。

白い葬列は、彼女たちのテーブルの前で止まった。

女たちの目が、血の通う宝石みたいにぎらぎら輝き出す。

白い衣装の人々が、棺桶をテーブルの上に置いた。

女たちは立ちあがり、棺桶の中を覗きこんでは喉を鳴らした。絶世の美女たちの太ももが陽射しの中で刀身のように輝いている。

女たちは棺桶を引き裂いて、木片を背後に投げ飛ばすと、一斉に死体に覆い被さった。

聖灰のロザリオが強烈な反応を示して震動した。

強烈な罪業に呼応して、盛大な震動音をあげるロザリオ。拳の中に握りこんで音を消す。

幸い、食事に熱中した女たちはこちらに気づいてはいない。

が、視界の中から白いものが消えていた。葬列がいない。あり得ないような消え方だった。遠方に視線を向けても葬列は見えない。

岩場の荒々しい肌の上を小石が転がった。

自分の影が、不意に膨れ上がった。

純白の人型が、頭上から降り注いでくる。剣は変化を示さない。罪業の無い襲撃者。今まで味わった事の無いシチュエーションだった。

一人目が剣の刃《やいば》に喰らいつき、二人目が腕に喰らいついてくる。

左拳で第3の襲撃者の顔面を打ち抜いた。頭蓋骨が粉々に飛散し背後の巨岩に脳味噌で原始絵画が描かれる。

生身の人間の温かな肉と血だった。

からくり人形でも、屍食鬼《あるく死体》でも無い。

天使のように無垢で、罪業とは無縁な存在が俺の四肢に同時に喰らいついてくる。

俺はたまらず岩場を転げ落ちた。人間サイズのダニのような連中を無数にぶら下げながら。

罪の無い人間ほど恐ろしいものはなかった。

転げ落ちた先で、俺は四肢にへばりついた人体を振り回し、そこらじゅうの岩に叩きつけた。

罪業を持たない肉体たちは夏場のチーズみたいに容易《たやす》く液状化して岩場に飛散する。罪業無き肉体は脆弱というルール自体がネジ曲がった訳じゃない。

聖灰のロザリオが狂ったように震えている。

濡れた毒虫のような唇を舐めながら女たちが歩いてくる。

白装束とはうってかわって、こちらは王族のウエディングケーキさながらに積み重ねられた規格外の罪業揃いだった。

貴族の女たちの中には、若さと美貌を保つために貧困層の処女を集めてその血を抜き取り、血を溜めた浴槽に浸かるという習慣があった。赤ん坊から剥ぎ取った皮膚を顔にのせ、その肉を喰らう。貴族の女たちのおぞましきサロン。

そういう女たちの中には実際に老化が止まり、老年に差し掛かっても少女のような容貌を保っていた者もいたらしい。

罪業のあまりの深さに生きながら悪鬼と化した女たちだ。

そういう女たちには共通した特徴があって、まともな人間の食事が喉を通らなくなり、パン一切れや米粒数個ほどの食事しかとらなくなる。

馬鹿な貴族の男たちはそんな妻の食事を可愛らしい女らしさとでも勘違いして、さらに寵愛するのだが、実態はこれだ。

墓場に足繁く通って、埋められたばかりの死体を掘り起こし飢えを満たす。悪鬼と化した不老の美女たちは人間の死肉しか受け付けなくなるのだ。

この女たちは、そんな貴族のサロンから産み出された罪業の怪物たちだろう。

罪業を解析し終わった聖灰のロザリオが、剣を変化させた。女たちの罪業のカタチに。

それは、血まみれの鳥かごのような形状をしていた。うら若き少女たちの肌を切り裂き血を抜き取るために開発された拷問器具『鉄の処女』。

剣身がいびつにねじ曲がり、鉄の処女を彷彿とさせるカタチに定着した。

鳥籠状の剣身の内部から、得体の知れない叫び声が聴こえてくる。鳥籠の中にドス黒い何かがいた。

持ち主にさえ、形態変化後の剣の性質が未知数なのがこのエモノの弱点だ。他人の罪業の実体化など常に未知数に決まっている。

振るえば、何が起こるか分からない。

見た目だけは異様に清楚で可憐な、女の一人に剣身を振るった。

女の身体の左半分が、巨大な猛獣に咬み千切られたような傷痕を残して消失していた。

自分の手の中で咀嚼音がしている。鳥籠の中の何かが肉を喰らっていた。

生理的なおぞましさで背筋がぞくりと冷える。

鳥籠のサイズが一回り大きくなっていた。中身と一緒に剣身が成長している。

周囲を囲んだ女たち。香水と、血の臭いが混じりあった濃密な香りが岩場を包んでいる。劇場の貴賓席そっくりの匂いだ。

上流階級の女は屍食鬼《グール》だらけなのかも知れない。

同時に飛びかかってくる女たち。

空中に向かって剣をぶん回した。

剣が通過した空間にあった女の肉はすべて削り取られた。

鳥籠の内部では激しく歓喜しながら何かが食事していた。

一人、女が残っていた。躊躇して飛びかからなかった女。

肉体の大部分を消失した女の残骸の中で、五体満足なのはその女だけだった。

18、9にしか見えない黒髪の清純そうな美女だった。なぜ屍食鬼《グール》には清楚で可憐な見た目の女が多いのだろう。

手の中で鳥籠がさらに成長し、猛獣を入れておく鉄の檻のようなサイズにまで巨大化した。

中身が重すぎて、持ち上げる事すら難しい。激しい敵意を充填させて、鳥籠の中のドス黒い何かが唸っている。

女は背中を見せて走り出した。

ふくらはぎや足の裏の白い肌が陽射しを浴びて光る。

手の中で憎悪の咆哮が上がった。

急に剣の重さが消えた。剣そのものが空を飛び、女の背中を追おうとしている。

巨大な鳥籠が、岩場をバウンドしながら女を追った。肩の腱がねじ切れそうになって鳥籠を手放すと、それはさらに加速した。

山猫のようなしなやかさで走る女の背中を、鳥籠が削る。

身の毛のよだつ光景だった。一ミリずつ肉体を削られ断末魔の叫びを上げる女。

檻が女の身体にのし掛かり、爆発的に吹き出した土煙が周囲の大気を茶色く染めた。

足元に、元の姿に戻った剣が転がっている。

土煙の中で黒いものが蠢いていた。

女の上に覆い被さり、食事をしている黒いもの。

風が吹き荒れ、土煙が薄まる。

黒いものが立ち上がっていた。

拒食症の少女のような細いシルエット。

口元を拭う影。

消えず、居残り続ける具現化した罪業。

黒いものが跳躍した。こちらに飛びかかってくる。

黒いものの額が裂けて太陽の光が差した。俺の頬を照らす。

太陽の光に次々と身体を食い破られて、黒いものは俺の眼前で形を失った。

いつか、この剣を制御しきれなくなって、誰かの罪業に殺される。俺の悪夢のひとつだった。

□□

川の清流で白装束についた血を洗い流しているときに、やけに汚れの落ちやすいポイントがあるのを見つけた。

先にその地点に座り込んで洗濯物の布を擦っていた険しい表情の女にさりげなく訊いた。川の上流で頻繁に生贄を捧げる儀式が行われる邪神信仰の祭壇があるそうだ。

川に投げ捨てられた人間の身体から脂肪が溶けだして、下流のこの地点で石鹸化しているのだろう。

おぞましい話だが汚れが落ちるという利便性には代えがたい。

白装束を乾かしながら夜まで待って、例の白い行列が城壁に入るタイミングを待った。

まさか、罪業の欠片も探知できない超善人たちが魔人に死体の差し入れを行っていたとは。

白装束たちの親玉である教祖様を締め上げねばなるまい。あるいは、この教祖が巨大な罪業の発信源かも知れない。

闇にまぎれて白い行列の最後尾に合流した。

城門を通る際も、行列の一部と化している事で軽くすり抜けられた。

目の前に城壁内の風景が広がっていく。

上空や周囲に見とれていたせいで急に行進を辞めた目の前の白装束にぶつかる。しかし、目の前の男は何の反応も示さない。

周囲の景色は、明らかに異様だった。

城壁内にある一般家屋のどれもが、葬式中を示す黒い幕を掲げ、入口の木戸に子羊の血を塗っていた。

歩いても、歩いても、見えてくるのは葬式中の家ばかり。この地域随一の活気を誇るはずの市場は喪に服しているのか無人になっていた。痩せた犬だけが道の端に並んで寝転んでいる。

女のむせび泣く声、男の太い忍び泣きの声が流行歌のように家々の中から響き渡る。

白い装束の列は、無言で悲しみに暮れる街中を通り抜ける。巨大な戦乱の世でもあり得ないような異常な光景。狂暴な旧約聖書の神の怒りに触れたかのような。

「さぁ、みなさん、聖堂に入って今日の罪を洗い流しましょう」

葬式に溢れた街の風景を完全に心の風景から切り離した風情の晴れやかな笑顔で、純白の尼僧服を着た女が声かけをしている。

濡れた瞳に、艶やかな唇、不必要なくらい潤いを帯びた肌。どう見ても毎晩のように男と触れあってる女の匂いを漂わせていて、尼僧服がまるで馴染んでなかった。

白い列は、女の誘導に無言で従って歩いていく。聖灰のロザリオが静かに振動を始めた。

女は、夜鷹が客を値踏みするときそっくりの表情で俺の横顔を見ていた。

石畳の道路に、地下へと続く階段が口を開けている。

白い列は、その階段に飲み込まれていった。

独特な匂いが鼻をつく。湿り気を帯びた石段。壁も天井も濡れて音も無く光っている。

巨大な蛇に丸飲みされた卵の列のような白い後ろ姿が下方に続いていく。

数十段、下った先で石の床が平行になった。

周囲を見回すと、石の壁に無数の穴が空いていた。だいたい穴の大きさは揃っていて、人間の頭ほどのサイズがある。

ここは納骨堂だった。

奥から集団による囁《ささや》くような祈りの声が響き渡ってくる。石の壁を照らす微かな火の光。

奥に進むにつれて天井が高く、広くなっていく。最深部はドーム状に空間が広がっていた。闇と薄明かりが溶け合う空間の底には敷き詰められた卵のような人間たち。

ドーム状の壁面に両腕を広げた祭司の影が映っている。異様に巨大な影だった。

あまりにも強烈な罪業に、聖灰のロザリオは胸もとで浮かび上がった。

背骨が氷の柱そのものになった心地がする。身体が縮み上がって一人でに震えだす。

「あなた方の罪をゆるーーーーーーす」

祭司がそう宣言した瞬間だった。

ドーム状の空間を埋めた白装束の口が一斉に上を向いた。

口から、何かが抜け出ていく。白く濁った霧のようなものが猛スピードで抜け出ていく。

白装束たちの口から飛び出た無数の糸が空中で絡み合って、ひとつの巨大なかたまりが形成されていった。

「みなさん、よく働きましたねぇ、よく罪業を重ねました~!それでは、いただきまーす」

巨大な白いかたまりが、祭司の口に吸い込まれていった。

胸もとの聖灰のロザリオを押さえつけておくのに必死だった。跳ね上がり暴れ続ける。

蜘蛛の糸を固めたような白い球体は、罪業の塊。罪業の凝縮されたものだった。

それを、この祭司は口から吸引している。

背後の、ドーム状の壁に浮かぶ祭司の影がみるみるうちに巨大化していく。この男の本体が、そこに映りこんでいるかのようだ。

餌を要求する雛のように上を向いた白装束の群れが痙攣し、身をこわばらせ、仰向けに倒れた。

罪業を吸い付くされ、赤子のように無垢な存在に戻った人々。

罪業を引き受けた側は、恍惚とした表情で白いかたまりを飲み干した。

盛大なげっぷ。

「あれぇ、なんでこんな美味そうなご馳走が転がってんだぁ?」

気付けば、周囲が倒れ伏しているなか、1対1で怪物と対面していた。

祭司が、こちらに踏み出してくる。

一歩踏み出すごとに祭司の中の罪業が膨れ上がった。また、それとリンクして肉体そのものも膨れ上がる。

5歩も歩いたときには祭司は筋肉の異常に隆起した巨人と化し、その司祭服は内側から破裂して身体から脱げ落ちた。

足元に転がる白装束たちは気軽に踏み潰され内側から血と肉が飛び出した。

俺は、縮み上がった身体を奮い立たせて逃げた。来た道を引き返し、石の階段を昇る。

外に出ると、景色が一変していた。

先ほどまで葬式が行われていた各家屋のどれもが廃虚と化している。もう何年も人が住んでいない荒廃した廃虚が街を覆い尽くしている。

まるで、地下納骨堂に入っている間に数百年の月日が流れ去ったかのようだ。

道のそこかしこに白骨死体が転がっている。

背後から、筋肉の怪物の足が石段をはねる音が聴こえてきた。

巨大化し過ぎた祭司は地下への入口を吹き飛ばしながら外に躍り出てくる。

祭司の巨大な肉体には、膨れ上がり皮膚が伸びきって中身が透けて見える瘤《こぶ》がいくつもあった。

半透明で中身が透けて見える瘤の中には、胎児の姿があった。

その数、肩や腹部、太股など全部で15ヶ所ほどもある。

世界中の、処女懐胎した聖母の腹を引き裂き、取り出した胎児《メシア》たちだった。

これだけの数のメシアを体内に取り込んだ例は見たことも聞いた事も無かった。

祭司の巨体の中で瘤が光り輝き出す。

半透明の瘤の内部で胎児たちが輝いているのだ。

道端に転がる白骨たちが、超高速で時を逆回転させているかのように肉を芽生えさせ始めた。みるみるうちに肉が盛り上がり、筋肉が再生していく。

白骨死体が肉を生やしながらそこら中で起きあがる。

イエズス・キリストに匹敵する奇跡能力をおぞましい秘術として悪用するこの様に、神への底知れない悪意を感じた。原初の三悪人というフレーズが脳裏をよぎる。

もし、こいつがその大物《アタリ》なら俺は大きく目的に近付く事になる。

まだ、肌ができあがる前の筋肉剥き出しの状態でラザロ《甦り》どもが襲いかかってきた。

新生した直後のラザロ《腐れ外道》どもに罪業など存在しない。

プリンさえ切れるか怪しいなまくら刀と化した剣を背中の鞘におさめて拳を振るう。勃起不全のボス猿になった心地だ。

赤身を剥き出したまま、ふたたび墓地に殴り返されるラザロのなり損ないたち。

巨人の瘤《コブ》の中で、再び胎児が光り輝き始めた。

その背後で、黒雲が蠢き膨張していく。

嵐でも呼び寄せる気か?と安易に考えた瞬間、強大な黒雲が猛烈な勢いでこちらに雪崩れ込んでいる事に気付いた。

あれは、蝗《いなご》の大群だ。

さながら、昆虫を弾丸にする軍隊による一斉砲撃だった。

この蝗《いなご》はまともじゃなかった。鉄よりも硬い。周囲の廃虚がいとも簡単に貫かれ、穴だらけになってやがて崩壊した。

周囲の蘇りたちも全身の肉を削り取られてゆっくりと白骨に逆戻りさせられていた。

身体中の骨にぶち当たってくる鋼鉄の蝗《いなご》の痛みに俺は絶叫した。

牛ぐらいのサイズの太陽が出現したのかと思った。

それは祭司の後頭部に輝く後光だった。

祭司の後頭部から放射状に光の矢が伸びている。イエズス・キリストの聖画そのものの光景だ。

蝗の過ぎ去った後で、俺の身体は血まみれになっている。

そのとき、肩に激痛が走った。何かが肩をしたたかに打ち付けたのだ。

地面に散乱する鋼鉄の蝗《いなご》の上に落ちたそれは、赤ん坊の形をしている。茶色い岩だった。

それが化石化した赤ん坊の遺体なのだと気付いた瞬間、今度は脳天にそれが直撃した。

空を見上げると、空が落下物のシルエットで埋め尽くされていた。

雨粒と同じ数だけの赤子の化石が天から降ってくる。

エジプトに生まれた初子を皆殺しにするという旧約聖書の神が下した罰を、こいつは模倣してみせているのか。

光り輝く聖なるオーラをまといながら、この異様な邪悪さ。ようやく、聖灰のロザリオがこの祭司の巨大すぎる罪業を計測し終えた。

赤子の化石が大地に降り注ぐなか、剣が祭司の罪業の形を具現化した。

失望が、真っ黒な夜明けのように胸の中に広がっていく。

刀身が無い!

剣の柄だけが手の中にあって、相手を切りつけるべき刃の部分がどこにも存在しなかった。

ヤツの体内にいるメシアの赤子たちが、ヤツの罪業を帳消しにしたとでも言うのか?

もはや人の限界を遥かに超え、原始宗教の邪神や大天使に匹敵する霊性を手に入れた祭司が目の前にいて、俺をせせら笑っている。

大海を歩いて渡りきれ、と浜辺に放り出されたような心地だった。背骨が、みるみるうちに縮んでいくような恐怖心。

刃の無い剣で、神と戦えというのか?

そのとき、地面が地球サイズの蛇になったようにうねった。

また、祭司の奇跡能力が発動したのかと俺は子犬みたく怯えた。

上空に、剥き出しにされた歯が見えた。一本一本が家ぐらいのサイズがある前歯。奥歯は、鯨を小魚みたいにひと噛みで磨り潰せるに違いない。

空の一点だった場所に、雲が流れ行く場所に、なぜそんな顔が浮いているのか?

暑い雲の中から、巨大な握り拳が出現した。雲を引き裂き、巻き込みながら現れた拳は、天から振り下ろされたものだった。

それが地面に着弾し、周囲の景色を遥か彼方まで舐める爆風が発生したとき、ようやくそれが巨人の拳で、狙いは祭司なのだと気付いた。

数百個目かの小石が顔面を叩いたあとに、ようやくそれが祭司の罪業の具現化などだと気付いた。

あれそのものが剣。あれが、刀身。

答えが頭に閃くと同時に俺は爆風に吹き飛ばされ、聳《そび》える城壁の中腹に張り付けになった。

巨人はいまだに、祭司のいた辺りの地面をぶん殴り続けていた。雲の上まで振り上げた拳が地面に着弾するたびに地軸が歪むような地震が起こる。

巨大な地割れが広がり、そこから真紅の液体が溢れ出したとき、それが祭司の起こした異常なのだと悟った。

肉が剥き出しになった巨大な腕が、巨人の腕を掴んだ。

広がり続ける地割れの中から、真っ赤な、血まみれの巨人が起き上がってくる。

祭司が、今この場で命を吹き込んだ即席の魔神。

だが、次の瞬間、筋肉が再生中の血まみれの巨人は小山サイズの拳で心臓を打ち抜かれた。

真紅の液体が溢れ出てくる地割れの中に沈んでいく筋肉剥き出しの巨人。

自分自身の罪業の強大さに祭司自身が恐怖しているかも知れない。

これではまるで、一民族の数世紀ぶんの罪業をまとめて具現化したかのようだ。

巨人が、十字架に磔《はりつけ》にされたイエズス・キリストのようなポーズをとっていく。

どこか荘厳で、圧倒的に禍々しい光景だった。

巨人の頭上の空の色がおかしい。光り輝く渦のようなものが発生している。

渦は規模を拡大していき、辺りの景色がみるみるうちに薄暗くなっていく。

光り輝く渦の中に、純白の光り輝く都市が浮かび上がっている。

純白と黄金の光り輝く王国。まさに天の国のイメージそのままといった風景。

天国への扉が開いた。そう感動に胸を震わせた瞬間。

赤黒い腕が天国への扉から伸びてきた。

黒い炎が森林火災のような規模で腕のあちこちに浮いた腕。

さっきまで暴れていた巨人の腕が可愛く思えるほど太く極大の腕だった。

どう見ても天使や聖霊の腕には見えない。

腕と一緒に、周囲が一気に凍てつくような凄まじい冷気がこちら側の空間に流れ込んでくる。合わせて周囲に広がる濃密な毒気。

真紅の液体が満ちた地割れの中に極大の腕が入ると、辺りに血液が沸騰して蒸発する何とも言えない悪臭が広がっていった。

巨大な手が握りこんだ、赤く潰れた肉片の中に祭司の顔が見えた。

腕が、出てきた穴の中に戻ろうとしている。

光り輝く白い王国だったものが、反転していく。天上にあった世界が、地の底に沈む魔界への入口に。

いまや隠しようもなく禍々しい空気が穴の向こう側から漏れてくる。

十字架のポーズをした巨人が、ゲラゲラと狂ったように笑い出した。

巨大な拳に握りこまれた祭司が凄まじい叫びを上げる。

ありとあらゆる呪詛をこめた断末魔の叫び。

奇跡能力をやたらめったら発動しているのか空からは血の雨が降ってきて、その中には人間の歯らしき白いものが混じっていた。

祭司と共に巨大な拳は穴の中に消えた。

白く光り輝く王国が、禍々しい気配と一緒に薄れて消えていく。

祭司の絶叫も消えていく。

穴の向こう側の得体の知れなさに鳥肌が止まらなかった。

祭司が消えたあとも罪業の具現化した巨人はいつまでも消えずにそこに佇み続けた。

まるで、死んだ後も巨大な罪業は消えない、とでも言うように。

巨人は三日三晩もそこに立っていて、四日目の朝日の中でようやく薄れて消えていった。

□□

荒廃した街の路面に水の膜を張るみたいにして視線を這わせていった。

徵《しるし》を探していたのだ。

原初の三悪人を征伐したという徵《しるし》を。

だが、どこにも無い。見当たらない。

そして、途方に暮れた。

あれだけのバケモノですら、原初の三悪人の一角ではないのかと。

崩落した城壁。下向きにした乳房のような形にえぐれた城壁から夕陽が射し込んでくる。

滅び去った通常人の街。灰色の人々が暮らしていた街の廃墟が、紅く染まる。

肌の内側から、ひたひたと恐怖が沸き上がってくる。あれ以上のバケモノを相手にするのだ、これから。

生きている限り、人間の罪業と対面し続ける事になる。

冷たい風で背骨を削られていくような心細さを感じた。

だだっ広い廃墟の空間、その底に俺の心臓がひとつだけだった。

赤い海の底に独りぼっちでいるかのようだ。

胸を静寂でしんしんと焼かれ続けるような孤独。

暗闇がこの廃虚の器を満たしたとき、孤独に存在が押し潰されるような気がして俺は歩き始めた。

淡く、緑色に光る、サボテンのような植物が地面に生えている。その植物は半透明の球体を葉の中に抱いていた。

赤子が、透けた球体の実の中に眠っていた。

祭司の身体から剥がれ落ちたメシアの赤子の一部分。

俺は、剣を振るった。

植物化した赤子の緑色の体液が廃虚の瓦礫に飛び散った。

自らの罪業が膨れ上がっていくのを感じる。

俺自身の罪業に反応して、聖灰のロザリオが静かに震え始めた。

□□

心が擦りきれた老年の娼婦のようにうずくまる街。

大悪人にも善人にも成りきれない小さな魂たちがそこらに転がっている。

路地裏で女を襲って性器を切り刻まれた男の悲鳴が聴こえた。

石造りの広場の壁に真新しい賞金首の紙が貼られていた。

一瞬、それは俺自身の顔に見えた。

古代宗教の地下遺跡に子供と女と数少ない善人を保護する武装村を組織した咎《とが》で、さらに賞金額を上乗せされた弟のものだった。

俺は、弟の上に貼られた悪名高き大善人、阿闍梨《アジャリ》アキシノミヤの賞金首を剣で剥がした。

眠れる神が怒りを示すその日まで。

この地面が罪業の重みに耐えきれず地獄の底まで抜けていくその日まで。

俺は悪の道を極めると、そう決めたのだ。

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