ユーミン「あの日に帰りたい」一考察

死にたい、ではなく会いたい。
死にたい、ではなく寂しい。
生きてきたら会えないから、死にたい。この世に居たのではいつまで経ってもそばにいけないから、死にたい。死にたい、は死ぬことではない。
前を向いているけど
前向きにはなれないし、ならない。
どうして、死んだ人のために生きろ
などと言うのだろう。子どもたちのために生きろ、言うのだろう。
私は私のために生きるのに、生きてきたのに。
元気出して、前向きに、いつも明るく、笑って、いつまでも泣いてちゃだめ。そうなんだろうか、本当にそうなんだろうか。
そんな、常套句には振り回されない。要らない。私は好きなだけ自分の感情のままに、人の声には耳を貸さずにやっていく。気持ちは受け止めるから、伝わってるから。
とやかく言わないでおいてほしい。そっとしておいて、構わないで。
私の気持ちは私にしか分からないから。分かりようがないから。
ほとぼりが覚めるまでこのままで居させてほしい。
大切だった人を失って、逃げ場がなく、身の置き所のない私を受け止めてくれる人はもはや居ない。
私は置いて行かれた。
安易な言葉や声掛けは要らない。
欲しいのは、夫がいた時間。夫が生きていた時間。それだけ。

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