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「そこにあった証」を残す



「今月いっぱいで閉店することにしました」



まだ見たくなかったその貼り紙を出したのは
親戚がやってるお寿司屋さん。

小さいころから何度も、何度も、食べてきた。
間違いなく私を育てた味の1つ。


実家のすぐ近くにあるその小さなお店に

ランドセルを背負って、
塾のカバンを持って、
制服を着て、
スーツを着て、
仕事着のジャージを抱えて、

春も、夏も、秋も、冬も、
雨の日も、雪の日も、もちろん晴れの日も、

いろんな姿で数え切れないほど顔を出してきた。


昔はお品書きのサンプルが目の前に並んでいて、
おじさんおばさんに顔を見せるからって
わざわざ抱っこしてもらってたっけ。

それが今じゃ屈んでサンプルを見るんだから
私も26歳になるわけだ。



お決まりの第一声は「ただいま」で、

おしゃべり上手なおばさんが
「おかえり~!」と返してくれたら

その日のことやら学校のことやら

まさに家でするような雑談をちょっとして、
運がいい日はお刺身の残りをもらって、
そのまま家に帰る。

それが私の日常で、我が家の日常だった。



だけど、それも今月で終わる。



忙しいのは重々承知、
でもやっぱり最後に1回食べたくて、
家族でゆっくり食べられる日にお願いした。






「(忙しすぎて)予定時間にできあがらない」
と電話が来たのはその4時間以上も前。

いつもは時間に行けばすぐ渡してくれるだけに
ちょっとだけ申し訳なさが込み上げてきた。



時間になって受け取ったら
いつもの丸い飯台に加えて小さな袋も渡された。


「これ、おじさんたちにお供えしてあげて」


おばさんの言う「おじさん」は
もちろんお店にいるおじさんじゃなくて、
私の祖父にあたる人(ややこしい)。

そこにはおばあちゃんもいるし、
ひいおじいちゃんもひいあばあちゃんもいる。
「おじさんたち」は、みんなそこにいる。


ねえみんな、
お寿司屋さん終わっちゃうんだって。
これが最後だって。
寂しいよね。でも美味しいよね。

…と心の中で思っていた。
私はまだ食べてないのに。



食べ始めは大好きな大トロ。
口の中にお店の香りも一緒に広がるから
「ここでしか食べられない味」になる。


来月からは「どこに行っても食べられない味」だ。


我が家はお金持ちでもなんでもないから
他の回らない寿司屋の味は知らない。


でも、いっそ知らないままでいいかも。


どんなに素敵なお店に行って
どんなに高級な寿司を食べても、

結局おじさんの握るお寿司を思い出しては
きっと「あぁ、もうあれは食べられないんだ」って
ちょっと落ち込むんだろうな。



地元の人たちに愛されていた素敵なお店が
私の大切なもう1つの帰る場所が
もうすぐ無くなってしまうから、


お礼にも労りにもならないと思うけど
せめてその証をここに。

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